2017年、
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
すでに予告したとおり、
今年はまず16冊目の本(単著)がアスペクトから出ます。
「政治経済用語辞典」が収録されるのはこちら。
つづいて文春新書から
17冊目の本となる藤井聡さんとの共著が出る。
年の後半にもさらに出したいので
新春より仕事に励みたいと思っています。
それはさておき。
年末年始の国民的番組といえば
みなさんご存じ、NHK紅白歌合戦。
1951年にラジオ番組としてスタートし、
1953年暮れの第4回からテレビ放送されるようになって現在にいたります。
一昨日に放送されたのは第67回。
1951年が第1回なのに
1953年に第4回というのは計算が合わない?
じつは一年に二回やった年があるのですよ。
紅白歌合戦、最初は新春番組だったのです。
第1回と第2回が1月3日、
第3回が1月2日の放送。
ところが1953年から大晦日へと移動することに。
結果的に1953年は
1月2日と12月31日に紅白が放送されました。
視聴率については、
1961年までは記録が残っていないようですが、
その後は1980年代半ばまで
70〜80%という数字を保ちつづける。
私の少年時代を振り返っても
大晦日の夜は紅白を見るのが自然の摂理という感じでした。
むろん当時から裏番組は存在しましたし、
見たくなければ見なくてもいいわけですが
テレビのある日本人なら紅白を見るのが正常であり、
テレビがありながら紅白を見ないのは異常という空気があったのです。
しかしそれも、今は昔。
最近は紅白も、往年の勢いをすっかり失ってしまいました。
2006年〜2015年の十年間を見ると
視聴率は前半で30%台、
後半で40%を超えるか超えないか。
それに何より、
見ていてまるで面白くない!!
一昨日の夜はこんなツイートまであったくらいです。
・・・とはいえ、
なぜ最近の紅白はかくもつまらないのか。
私の見るところ、
それはNHKが紅白歌合戦を
たんなる大型歌謡バラエティのごとく扱うようになっているからです。
かつての紅白には、その年の流行歌を振り返ることによって
ああ、この番組を見ている人はみんな
これらの歌を聴いて一年を過ごしたんだなあ
と実感させる力があったのですよ。
つまりは歌を通じて、全国の視聴者が心情的に共鳴した。
ちょっと大げさに言えば
ある種の国民統合の式典だったのです。
だからこそ
紅白は見るのが正常で、見ないのは異常
という空気も成立したのですが
今の紅白には、この要素が決定的に欠けている。
論より証拠、
元旦に配信された産経新聞の記事には
今回の紅白には「万人向け」というより、
「分からない人は置いてけぼり」のような演出が多すぎたのではないか
という一文がありました。
これはもう、そのものズバリですね。
たんなる大型歌謡バラエティなら、
分からない人は置いてけぼりでもいいかも知れない。
しかし紅白は本来、
歌を媒介に国民的な共感をつくりあげる番組だったはずであり、
ゆえに国民的番組と言われたのです。
たしかに近年は
誰もが知っているヒット曲が少なくなったのも事実ですが、
だからといって
分かる人だけ分かればいいという発想で演出してよいはずがない。
そんな紅白歌合戦など、
中身を抜き取られた残骸とも呼ぶべき代物にすぎません。
つまらないのも当たり前でしょう。
けれども、この視点に基づいて
紅白の視聴率の変遷を眺めていると
面白いことが見えてくる。
大きな区切りとなった年が二つあるのです。
最初は1985年。
この年から、紅白の視聴率が70%を超えることはなくなります。
次は2000年。
この年から、紅白の視聴率は50%を超えなくなるのです。
しかるに前者は、改革や国際化が本格的に推進されだしたころと重なる。
後者も構造改革やグローバル化が本格的に推進されだしたころと重なります。
そしてこれらは、ともに国民統合を弱める性格を持つ。
はたしてこれは偶然か?
ではでは♬(^_^)♬
9 comments
カインズ says:
1月 2, 2017
歌詞に英語が混じり始めたのが、いつ頃なのかも気になります。英語が分からなければ意味が分からない。ノリで楽しんでいるんだと言っても、けっきょく英語もノリも「分からない人は置いてけぼり」になってしまいますし。
マゼラン聖人二代目 says:
1月 2, 2017
“I have a pen. I have an apple. etc.”で「国民統合の祝典」とは聞いてあきれるそのお気持ちはわかりますが、その一方で音楽に対して表意性のみを過剰に求めるのはどうにももったいない気がします。
>”I have a pen. I have an apple. etc.”
英語が混じっているのではない。混じりけなしの純度100パーセントの規範的な英語です。
tinman says:
1月 2, 2017
「ドーモ。ダンシングライター=サン。アケマシテ・オメデトウゴザイマス。ティンマンです」
「除夜の鐘/ショッギョ・ムッジョの/響きあり」
誠に勝手ながら、業界の代わりにハイクを詠んでご覧にいれましょう。
「流行に/逆らえません/インガオホー」
建設や郵政が囲んで警棒で叩かれたことで、私も少なからず根に持つところがあります。
でも、昔お世話になった先輩が業界にいるので、複雑な気分。
「怨みに怨みをもって報いず」の難しさよ・・・
後藤隊長の言うように、みんなで幸せになれるのならそれが一番なんですけどね(悪い顔)
※私は紅白を見ずに正月早々軽薄なコメントをしています。ご容赦ください。
フルート says:
1月 3, 2017
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくおねがいいたします。
私は紅白は見ていなかったのですが、郷ひろみさんが『言えないよ』を歌う直前の平野ノラさんの「OKバブリー」のことについて産経新聞では、「確かに平野さんは昨年、ブレークしたタレントといえるが、郷さんや楽曲との関連性は不明で、ラブソングのしっとりしたイメージとも合致していなかった。」となっているのですが、それなのに私は「この『言えないよ』という曲は実はバブル期に作られた曲なのでは?」とか思ってしまって調べてみたら1994年リリースの曲で、バブル期からもずれているしほんとに何なんだろう・・と一瞬思ってしまったりもしたのですが、でももしかしたら制作者側にはただ単に流行りもののネタを安易にはさんで不評を買ってしまったという側面だけではなくて、実は本当にバブル期を懐かしんでいてそれで楽曲以前の郷ひろみさん自体にそのイメージを重ねている側面もあったのでは・・とも思いました。
またピコ太郎さんの曲がニュースの始まりと被って、途中までは画面に流れたけどあとは無情にもばっさりカットになったりもしてたみたいで、ユーチューブで映像を見た限りですとまた短い曲だったんじゃないかなと思うんですけど・・すぐに流行ってすぐに人気がなくなるかもしれないような短いものまで無理に詰め込んだり・焦って取り入れ過ぎているのかもとも思いました。入場券を忘れてしまった一般観覧者という設定で警備員と押し問答したというタモリさんとマツコ・デラックスさんの寸劇も、紅白という価値を高く示したいのか低めたいのか良く判らない感じも私はします。収拾がついてない感じのこの紅白にもしもSMAPのラスト出演まで入っていたら一体どういう放送になっちゃってたんだろう・・とも思いました(ただSMAPの出演がかなわなくなって、それでお笑いを増やしたというのが舞台裏の真実だったのかもしれません・・)。
ネットには進行の「グダグダ」さを指摘する感想も多いのですが、受け手側だけじゃなくて本当は司会進行や製作者側も、急きょの変更など時間が足らなかったことによるただのリハーサル不足とは別の理由でついて行けてなかった可能性もあると思いました。流行りもののいきが短すぎるのと、そもそも長く続いてきていた筈の昔からのものと新しくでてきた筈のものとが上手くつなげられていないところに問題があるのかもとも思いました。
福岡ワマツ says:
1月 3, 2017
確かに、NHK紅白歌合戦の視聴は、国民の共通体験として国民統合に寄与していたように思います。
義務教育が、国民の共通体験として国民統合に寄与しているようなものですね。
shun says:
1月 3, 2017
あけましておめでとうございます。
紅白というかテレビを見なくなって
4年くらい経っております。
紅白、本当にしょうもなく感じてしまいますね。
昔はそんな風に思いませんでしたが・・。
永久に続くものはないということですかね。
GUY FAWKES says:
1月 3, 2017
あけましておめでとうございます、先生の新作が待ち遠しく思っておりますので今年も何卒よろしくお願いします。
さて、件の紅白ですが先生もツイッターでお察ししている通り、白組への圧倒的得票数にも拘らず紅組優勝という結果には
昨年に繰り広げられたPC(ポリティカル・コレクトネス)、ポピュリズムといった語句の片鱗を垣間見られる年越しでした。
現実の事象にせよ、人間の感性にせよ、身勝手で不誠実な予定調和をゴリ押ししても誰も受け容れてはもらえないのですね…
たろう says:
1月 3, 2017
日本人それぞれの好みの細分化により他の曲やアーティストに関心を全く持たなくなったのでしょうね。
また、こういったヒット曲の背景には曲やアーティストの魅力によるものだけではなく、事務所の力や商業的政治力も感じるようになったのもあるでしょう。今日の紅白は国民全体が共鳴できないどころか、今年のヒット曲のおさらい的意味合いもなくなってると言えます。これはグローバル化により日本人の共同体意識が希薄化した悪い点もありますが、ネットの影響によりメディアの作り上げたスターを虚像と見抜く人も多くなった良い点もあると思います。
玉田泰 says:
1月 7, 2017
流行りの〇〇〇48とかって国民的アイドルがいた時代とは真逆ですよね。ジャニーズにしてもどこか閉じている感が有ります、関心がないならそれでいいよと言う。アイドルが居て大御所が居てみたいな構造が根本から崩れているのではないでしょうか。
今度のオリンピックには、誰が歌手として選ばれるのでしょうね?
文化としてはそれはそれで健全と言う気もしますが、頭一つ抜けたスターが居ないのはつまらないですね。歌手がノーベル賞受けるとかって、今の日本の芸能界にはあり得ないのでは?