マンガには

「コミック・ライセンス」と言われるものがあります。

 

要するに、マンガだからこそ受け入れられる

誇張された(=現実ではありえない)表現のこと。

 

手塚治虫さんはこれを「マンガの嘘」と呼びました。

巨匠いわく、

 

漫画にとって、ウソはだいじなものだ。

ことに絵のウソは、どうしても必要なのである。

 

荒唐無稽さ、デタラメさを抜きとった漫画が、

いかにつまらないか、考えてみるといい。

(手塚治虫「マンガの描き方」、光文社カッパ・ホームズより)

 

しかるに戦後日本のマンガでは、

このような「コミック・ライセンス」が、

日本人と欧米人の違いを曖昧にするという形でも表れました。

 

伝統的な少女マンガの

「目がとにかく大きく、瞳に星がきらめいているヒロイン」は、

その典型例ではないでしょうか。

 

ほかならぬ手塚さん自身、

あれは欧米コンプレックスの反映ではないかとコメントしたくらいです。

 

他方、昨日の記事で取り上げた「英語化の波」も、

日本の大学を、

あたかも欧米の大学であるかのごとく見せる意味合いを持っている。

 

なにせ学生寮をわざわざ「ドミトリー」と呼ぶわけですからね。

 

こう考えるとき、

英語化というのは、日本の現実のマンガ化である

と見なすことができます。

 

大学における英語化の進展について、

現実がアニメになってきたような感じがするというのは

その意味でまさに的確でしょう。

 

ちなみにこれについては、

今日の「新日本経済新聞」に施さんが寄稿した記事

「ヘイトスピーチ規制の本末転倒」

も参考になります。

 

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また2008年に私が刊行した

「夢見られた近代」にも、

関連した論考があるのですが、

それについてはまた次回。

 

夢見られた近代

 

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ではでは♬(^_^)♬