次に出す本の山場となる章を仕上げていたり
イギリスの某映画監督(異端の巨匠と呼ばれた人)の未亡人と
ツイッターで盛り上がったりしていたら
ブログが2日、空いてしまいました。
すみません。
さて。
10月26日の記事「全国民祈祷国家」と関連して
ある親しい友人より
URLのついたメールが来ました。
いわく、面白いから見てみろ!
・・・こちらです。
日銀総裁、心はピーターパン? 「疑えば永遠に飛べない」
「飛べるかどうかを疑った瞬間に永遠に飛べなくなってしまう」――。
日本銀行の黒田東彦総裁は(2015年6月)4日、
都内で開いた日銀主催の国際会議で、
ピーターパンの物語に出てくる言葉を引き、
物価や景気が思い通りでなくても、
世界の中央銀行が「前向きな姿勢と確信」をもって
政策を進める重要性を呼びかけた。
会議には世界の中央銀行関係者が出席した。
黒田総裁は、大量に市場に資金供給をする量的緩和などを
各国で続けていても景気回復が緩やかで、
かじ取りが難しいことを指摘。
「ピーターパン」を持ち出し、課題の克服を訴えた。
くしくも今月31日より
新しいピーターパン映画
「PAN ネバーランド、夢のはじまり」が公開されますが、
黒田総裁の心は
一足早くネバーランドに向かっていたようです。
飛べるかどうかを疑った瞬間に、永遠に飛べなくなってしまう!
この理屈を超えた精神論、
なかなか魅惑的ではありませんか。
そしてここに、一片の真実があるのも確か。
ただしネバーランドならぬ現実の世界では
二点ほど留保をつけねばなりません。
つまり・・・
1)飛べると信じさえすれば、本当に飛べると考えてよい根拠はない。
2)本当は飛べない者が飛ぼうとすると、往々にして大怪我をする。
ついでに言えば
物事がうまく行っていなくとも
自分の方向性に確信を持てというのは
「現実の状況がどうであろうと
ひたすら無視して行動せよ」というのと
じつは同じなんですよね。
・・・なるほど、
それがコミットメントの意味だったのか。
ここはひとつ、
日本銀行に飛ぼうと頑張っていただきましょう。
ただしその場合、
日本が「デフレ脱却のネバーランド」、
すなわち永遠にデフレから脱却できない国となるリスクは
覚悟しておかねばなりません。
ではでは♬(^_^)♬
4 comments
たかゆき says:
10月 29, 2015
ピーターパン♪
ギリシャ神話に登場する 牧神パンがモデルですよね。
牧神パンを検索していたら
<ピーター・パンと牧神「パン」>(山 内 暁 彦)19頁に
こんな一文がありました、、
「飽くなき色欲の持ち主で、同時に自慰も繰り返す。」
日銀の政策は まさに 自慰の繰り返しじゃあないですか♪
パンとはどのような存在なのかも深く掘り下げずに
パンの片言隻句を取り上げて
さあ 飛ぼう♪ なんどと おっしゃるような
頭脳を お持ちの方が
この国の経済政策の舵取りをなさっているのかと 思うにつけ
背筋が寒くなり 鼻水が流れ落ちてくる
今日この頃でございます。
ちなみに アニメ「紅の豚」で
「飛ばないブタはただのブタさ」という台詞がありますが、、
ぼくは ただのブタなのだ♪
たかゆき says:
10月 29, 2015
親がヤラなきゃ 子はできぬ♪
ぼくは 下ネタ(お金のことです 念のため)は 苦手ですが、、、
これしか 表現のしようがありません。。。
政府日銀が 自慰してばかりでは
赤子は なんも できません。
しかるべき 部位に しっかりと
しかるべきモノを放出なさる 心構えが必要かと
存じます。
fujio says:
10月 29, 2015
次に上梓される本を手にする日が待ち遠しい限りです。
本の内容や発売日がいつごろの予定かなどお伺いしてもよいでしょうか。
フルート says:
10月 30, 2015
―「飛べるかどうかを<疑った瞬間>に<永遠に>飛べなくなってしまう」―
・・・<一瞬>でも疑ったら最後、
それは(←黒田総裁の考える範囲の目的の達成、や、
もしかしたら全消費者の目的の達成は)
<永遠に>失われてしまう・・・
つまり黒田総裁のリフレ理論(ないし現実認識)とは、
『<瞬間>さえ介在できない<永遠>を
自分だけでなく消費者も同様に生きている』論
(ないしそういう感覚から形成された現実認識)、
とも説明できてしまえそうに思いました。。
また
『「瞬間」や「永遠」という言葉は<あくまで言葉の綾>なのであって
揚げ足取りをするな。』、
と反論される方もいらっしゃる筈(特にリフレ派に多く)とは思うのですが
それにしたって、
<黒田総裁の考え>が、
黒田リフレ理論に疑問を持っている識者や普通に一般の消費者が有する
洞察を含んで余りある洞察力から
・・本当に考え出されているのか・・?
という疑問に、
この回も答えていなかった事に変わりはないと思います。
懐疑の許されない理論へのコミットメントは、
過去の経験の精査や現実への洞察からその理論への懐疑に至った人を、
その理論から排除して行く事のコミットメントでもあり得てしまえそうですし、
もっと突き詰めたら
その理論を懐疑する人とその理論を信じる人双方の現実が、
部分的にその理論によって忘れられて行く事でもありそうです。
もしそうなら
「前向きな姿勢と確信」にしたって、
黒田総裁自身が、しっかりと説明する事ができ、
且つ
聞いた側も、自分の体験と照らし合わせてみて、
確かにその通りだったかも・・(思い出してみれば・・)として納得され、
それが過去からの共感としても共有されて、
現実に適うものじゃなかったら、
方向性としても姿勢としても
やっぱり信じては駄目なのでは・・?・・。っと思います。