2月24日の記事

「政治運動で信用をなくす方法」では

昨今の保守派の行動に、

以下のパターンがうかがわれることをご紹介しました。

 

1)「今こそ日本を変える! 今、変わらなければ全てはおしまいだ!」と意気込む。

2)この意気込みに沿って、急進的な運動を展開する。

3)そんな運動はたいがいうまく行かないものの、この点については、できるだけ長く頬かむりする。

4)いよいよ頬かむりが無理になったら、責任のなすりあいをやって分裂する。

5)何事もなかったかのごとく、また「今こそ日本を変える! 今、変わらなければ全てはおしまいだ!」と意気込む。

 

そこでも書いたとおり、

これは信用をなくすうえでは非常に有効な方法論。

 

ずばり「オオカミ少年+内ゲバ」なんですから。

 

となると、

「震災ゴジラ!」で指摘した自滅願望の存在が

いよいよ疑われるところですが、

興味深いのはこのパターン、

かつては左翼のお家芸だったということ。

 

こう申しては何ですが

運動の方法論に関するかぎり、

保守派は一周遅れで左翼の真似をしていると言っても

過言ではありません。

 

すると今度は

「僕たちは戦後史を知らない」で展開した螺旋階段史観

やはり正しかったことになります。

 

 

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それはともかく、

この自滅的なパターンの背後には何があるのか?

 

重要なヒントを提供してくれるのが

戦後最高の知性とも謳われる福田恆存さん。

 

「進歩主義の自己欺瞞」という評論で、

こう指摘しているのです。

 

今日まで彼ら(=左翼)が行ってきた抵抗運動の特徴だが、

いちいち例を挙げるのがわずらわしいほど、

そのたびごとに

これに失敗すれば何もかも御破算だという

絶望的な身ぶりをともなって繰り返されてきた。

 

思うに、それは戦術(=ただのポーズ)ではあるまい。

彼らはそのつど、絶望的な気持ちになっているに相違ない。

現実や論理ではなく、

気分に関するかぎり、

そのつど絶望がやってくる。

そのかわり、時期が過ぎれば、

なんのことはない、忘れたようにケロリとしている。

(表記を一部変更)

 

いや、耳が痛いですねえ!

 

しかし保守派、じゃなかった左翼は

どうしてそうも安易に絶望できるのか?

 

これについての福田さんの分析は

明日、ご紹介しましょう。

 

何にせよ、「右か左か」の区分には

今や決定的に意味がないのです。

 

 

というわけで、こちらをクリックどうぞ。

 

ではでは♬(^_^)♬