今日のブログは本来、
噂の大型新人歌手・三沢カヅチカが
この6月1日に発表したデビューシングル
「豊洲の女 c/w 逆賊ブルース」
を取り上げようと思っていました。
(↓)作詞はともに適菜収さんです!
ちなみに22日に開催されるトークライブ
「歴史に筋を通す〜勝手にしやがれ、天下国家!」では
saya さんが司会を務めてくれますが
三沢さんもやってくるかも知れません。
ジャズ/ゴスペル系のsayaさんに
歌謡曲/ブルース系の三沢さんがぶつかり
トークライブから本当のライブへと熱くなだれこむか?!
なんというか、
ホットな晩になりそうです。
そこで「豊洲の女/逆賊ブルース」についても
本ブログでしっかりお伝えしたいのですが、
国家のヤジウマさんから
興味深いコメントが寄せられましたので
今日はそちらにお答えしましょう。
まずはコメントをどうぞ。
私が普段拝見している保守系のブログにこのようなコメントがありました。
「経路依存性などというネガティブなものを保守するなんて不適切だ」
個人的には驚きでした。
なぜならこの方も戦後の保守派を否定的に見ているはずだからです。
しかしこのコメントですからね。
まるでポジティブで綺麗なものだけを保守できるとでも思っているかのようです。
それならば、例えば既得権益などという
ネガティブなものは破壊するべきだという答えに辿り着くと思いますが、
革新派と何が違うのでしょう。
左派が戦前を破壊したがり、
右派が戦後を破壊したがる。
そして右派を批判する自称保守派の中にも
経路依存性を頑なに認めたくない姿勢を表す人たちがいる。
彼らは皆歴史に筋を通せない螺旋階段の中にいるようですね。
コメント全文は
6月8日の記事
「保守派の行動原理は困難を避けて逃げ回ることのように見受けられる」
にあります。
国家のヤジウマさんのコメントはまったくの正論です。
保守に「いいとこ取り」はありません。
「いいとこ取り」ができるのであれば
自分たち(だけ)は理想的な経路を歩めるはずだ
という
例の左翼的妄想崛起で良いことになるからです。
あちこちの経路からおいしいところを取ってきて
融合すればいいわけですからね。
よって、
ポジティブで綺麗なものだけを保守できると思っている者は
主観的に自分をどう規定していようと
純然たる左翼なのですが、
そんなことを問題にする前に、考えるべき点がある。
経路依存性がネガティブというのは本当か?!
経済学における経路依存性は
「自己強化メカニズム」が持つ特徴の一つと規定されます。
で、自己強化メカニズムとは
主流派経済学が想定する(収穫逓減法則に基づいた)市場均衡が
現実には成立しない理由なのです。
理論では成立するはずの市場均衡が現実には成立しない
というのは
たんなる事実でありまして
そこにポジティブもネガティブもありません。
よって、自己強化メカニズムも
それ自体としてはポジティブでもネガティブでもなく
ゆえに自己強化メカニズムの特徴である経路依存性も
ポジティブでもネガティブでもないわけです。
それはまあ、
主流派経済学の想定する市場均衡の達成=善と仮定すれば
自己強化メカニズムをネガティブと見なしてもいいですよ。
ただし
市場均衡に関する主流派経済学の理論が正しい(=均衡が現実に達成される)のであれば
経済は市場メカニズムに任せておいても安定する
ということになりますので、
新自由主義であれグローバリズムであれ、何も問題はなくなります。
すなわち
自己強化メカニズム(経路依存性)=ネガティブ
という発想は
新自由主義やグローバリズムを肯定するものなのです!
で、戦後保守の何が気に入らないの?
ついでにもう一つ。
経路依存性は、より具体的には
小さな出来事や偶然により決まった初期の市場シェアがその後も支配的になること
と規定されます。
早い話、
より優れた技術や製品を開発しても、市場に入り込めなくなるわけです。
・・・これが弊害をもたらすケースが皆無とは言いませんよ。
けれども1980年代後半いらい、
アメリカはいかなる口実で、わが国に市場開放や構造改革を迫ってきたでしょうか?
日本市場は閉鎖的だから、
本来なら日本人にも喜ばれるはずのアメリカ製品や
アメリカ企業によるサービスが入り込めずにいる。
何とかしろ!
まずもって、これじゃないですか。
経路依存性をネガティブなものとばかり見なすのは
構造改革を正当化する発想でもあるのです!
で、ホントに戦後保守の何が気に入らないの??
それともわが国には
反グローバリズムを唱えながら
主流派経済学の正しさを信奉してやまない人がいるとか???
ヾ(℃゜)々\(◎o◎)/これぞ認知的不協和丸出し\(◎o◎)/(゜ロ)ギョェ
だ・か・ら、
『右の売国、左の亡国』と言うのですよ!!
要約すれば、こういうこと。
1)経済学において、経路依存性は本来ポジティブでもネガティブでもない。
2)主流派経済学を絶対視するのならともかく、経世済民の達成を経済の目標に据えるのであれば
「経路依存性=ネガティブ」の発想にこそ警戒しなければならない。
しかも!
私は政治と関連させた形で、経路依存性を持ち出したのです。
政治と経済は、重なり合う部分は多々ありますが、
だからといってイコールではない。
たとえ経済学において、経路依存性が完全に否定すべきものと見なされていたところで
(すでに見たように、そんなことはありませんが)
政治分析において、経路依存性を肯定的に評価してはいけない
などという結論は成立しないのです。
そういう発想は硬直した権威主義と呼ばれます。
かのエドマンド・バークだって
18世紀末の風潮では、とかくネガティブなものと位置づけられていた
歴史や伝統をポジティブに評価するところから
近代保守主義の基盤を構築したのですぞ。
私より経済学にずっと精通している中野剛志さんも
このような形の「経路依存性」の使い方に
まったく異論はないと語っていました。
というか、
経路依存性が弊害をもたらす場合があるとしても
経路依存性をできるだけ尊重するのが保守
という見解には、
彼も賛成していますからね。
(↓)この写真については、いずれまた。
思考が硬直していたり、
思考に筋が通っていなかったりする者は
左翼にはなれても保守にはなれない。
まあ、そんなところではないでしょうか。
ではでは♬(^_^)♬
(↓)そしてもちろん、こちらもよろしく!
16 comments
学天則(影なびく星) says:
6月 10, 2017
乙女座の、女神は天秤を持っておるといいます。
その女神の神話はさておき
ようするに過去に学ばない反動は愚かだと言う事です。
天秤は正義という均衡を探る物であり、すなわち法理で有りますね。
安倍総理はどうお考えか解りませんが
安倍総理のおじいさんの世代がやりすぎた反動が今の結果でしょう。
また逆にやりすぎればどうなるか?そういう時間軸での当然の視野が無いのなら
政治家としてはダメでしょう。私は悠久の歴史の中で、そう当たり前に考えているだけです。
神の天秤にあるであろう均衡点を人の愚かさで無視するのを私は保守だとは思いません。
我々には例え、その天秤が不合理に思えてこそ、目の前に皇室と天皇があるのですからね。
カインのための復讐が七倍なら レメクのためには七十七倍
何事もやりすぎは破滅を招きます。神を無視して勝手に77倍にしてはいけません。
東に傾いたのなら、いずれ、それはいずれ西に傾く事でありましょう。
KATO says:
6月 10, 2017
それは嬉しい、当然豊洲の女の即売会もあるでしょう。買うしかないな♬
GUY FAWKES says:
6月 10, 2017
>国家のヤジウマさんのコメントはまったくの正論です。保守に「いいとこ取り」はありません。「いいとこ取り」ができるのであれば自分たち(だけ)は理想的な経路を歩めるはずだという例の左翼的妄想崛起で良いことになるからです。あちこちの経路からおいしいところを取ってきて融合すればいいわけですからね。
先の国家のヤジウマさんのコメントと本記事での佐藤先生のご指摘には全面的に同意します、
「綺麗事だけを尊ぶ、美味しいところだけをつまみ食いすること」の何が保守か!?
どこをどう見てもミシェル・フーコーの言う所の『左翼的錯覚』ではありませんか!
大体にして「『経路依存性』なんてネガティヴ」だと言うなら、
尚の事それを直視しないのは「絶望が足りない」ことの証左でしょうに。
>私より経済学にずっと精通している中野剛志さんもこのような形の「経路依存性」の使い方にまったく異論はないと語っていました。 というか、経路依存性が弊害をもたらす場合があるとしても経路依存性をできるだけ尊重するのが保守という見解には、彼も賛成していますからね。
「漸く」としてしまっては中野・佐藤両先生に失礼千万なお話ですが、
ここに改めて『国家のツジツマ』で語られた本質が見出せたと思います。
近現代日本の虚妄性が『経路依存性』に結びついているのであれば、それ自体を全否定ないしは抹殺しようとすることは
我々自身の破局・破滅とイコールであることはそれこそ自明の理というものです。
それに耐えられない「勇気のない存在」が「ウォーギルトインフォメーションプログラムだ!、コミンテルンの陰謀だ!」とか、
自分が絶望するつもりなんて更々ないにも拘らず「絶望が足りない!」と激昂したり、
挙句の果てには言うに事欠いて「じゃあ、どうするの!?」と自分でぶち上げた問題提起の解決の為に始めた討論で
参加者に具体的な方法論を述べることを食ってかかるのです。
然るにご都合主義とキッチュにまみれ、自己を内省できない者に保守主義は遥か遠い概念と言えましょう。
一体どうした!?井尻千男先生が泣いておられるぞ!
ZERO says:
6月 10, 2017
佐藤先生は残念ながらご参加されていませんでしたが、平成23年12月31日の討論で中野剛志さんが
司馬史観を例えに右派、左派の経路を言い当て、現状の客観的分析をして絶望されています。
これまでの先人達の積み重ねで得た文化が、どんなに立派であっても滅びていく国はある。
いや、天皇の国なんだ。皇室がある限り大丈夫。日本は125代の万世一系がある。
それを守ろうとしない日本人がいないと、皇統は断絶しますよ。
じゃあ、どうするの?戦後保守の何が気に入らないの?とはおっしゃらなかったですが
向き合わないんですね。逃げるんですよ。皇統に。思考停止なんです。
https://youtu.be/UUDPAKIYtcg?t=2531
Intermezzo says:
6月 10, 2017
チャンネル桜のパネリストとして登場する思想家・佐藤氏の思想(私はそこに波のうねりを想起させるような舞踏のもつ躍動性を感じるのだが)に私が魅了と共感をおぼえるのは、氏の「精神の政治学」に対してである。
先ほど、たまたま観たTOKYO MX西部邁ゼミナールの「近代化と伝統の狭間で揺れてきた先人たちは、どう生きてきたのか」における西部氏の言葉を聞きながら、かつて西部氏の《幻像の保守へ》で読んだ「精神の政治学」と題する文章を思い出し、この言葉を思い出したのである。
https://youtu.be/uIwnIRewbZs
「保守思想」とは何か、それを考察することは、自らの精神態度を「保守」と自己規定することとは別である。いや、自らを「保守」と規定することは自己の思考のドグマ化をもたらし、そこに我知らず転落し、思想の生命を硬直化するという陥穽に嵌る可能性を孕んでいるのではなかろうか。保守であろうとなかろうと、それはおのずから精神の型となって表れるものであり、「保守」なる精神態度は、自らを「保守」と外在的概念によって自己規定することとは無縁の在り方なのではないかと思う。「精神の政治学」それは絶えず精神の中で繰り広げられる社会的・歴史的・実存的な価値の葛藤という危機において平衡を見出し、決断する思想的営為であり、それは生きることそのものの在り方にほかならないのではなかろうか。
「保守」とはこの意味における「精神の政治学」を生きることであり、私が佐藤氏に共感するのも氏の思索がそのことを示してくれるからにほかならない。
青 says:
6月 10, 2017
保守にいいとこ取りは出来ない。名言ですね。
しかしあるいみ現在の経路は、敗戦の屈辱を隠蔽するために敗戦を美化したにもかかわらず口先では日本のナショナリズムを唱えたいという、いいとこ取りで始まった経路なんですよね。
日本というのは何重にもねじれててなんだかどうしようもない気がします。
福岡ワマツ says:
6月 11, 2017
佐藤さんがご著書(『右売左亡』)で指摘なされたことの一つに「すべての道はアメリカ化に通ず」がございましたが、その一端を示すような新聞報道が本日ございました。
外国人労働者に関する記事なのですが、「外国人労働者への依存度が09年と16年との比較で約2倍になった」旨の記事です。(最近、西日本新聞は移民に関する記事を連載し、力を入れているようです。)
『外国人労働 依存度倍に 09年と16年比 就業者割合 建設3.8倍小売2.5倍』
(西日本新聞、2017年06月11日朝刊第一面)
http://www.nishinippon.co.jp/feature/new_immigration_age/article/334755
『右売左亡』を拝読し、またこの記事を併せ読み、「日本はアメリカのような国になろうとしているんだなぁ」とつくづく感じている今日この頃でございます。
国家のヤジウマ says:
6月 11, 2017
私は自分が生きているうちに世の中が良くなることはないだろうと構えるくらい絶望して良いと思っていますが、経路依存性を意識して具体的に考えると恐ろしいですね。たかが数年や数十年で既存の経路が変わるとも考えにくいですから、現代の多数派から支持されてしまうと、自分自身も螺旋階段の中にいる可能性が高まるということかもしれない。一般人ならフォロワー数、動画再生回数、ブログランキングが上がることを警戒しなければなりませんし、プロの知識人となるとさらに大変かと思います。
ただ、私が佐藤さんから学びを得ようとする理由は、絶望の分析すら正しいとは限らないと仰られる点ですね。チャンネル桜のある討論で絶望の話が展開されるなか、佐藤さんが「それでも日本は続いてきたんですよ。」と仰られた瞬間、誰もがそれに続く言葉を発せなくなったことを覚えています。私の記憶なので間違いがあるかもしれませんが、いずれにしろ絶望しながらも日本の長い歴史を軽視はしないこのバランス感覚こそが、私には最もとるべき態度のように思えてなりません。
jirou says:
6月 11, 2017
この前の討論での話題に上がらない問題点ですが、経路依存性は人口問題にも絡んでくることだと思います。これも戦後日本の抱える問題点として見過ごせませんが巷で言われる様に労働環境を整え、育児し易い環境を整えれば解決されると安易な解決策を考える前に、なぜここまで子供の出生数が減っていったのか戦前の日本の社会の在り方と比較して考察していかなければならないと思います。(他の先進国に少子化が多いのは承知で話してます)急激な人口増が先の大戦の遠因ともつながっていたと考えるなら、人口が減る理由にもネガティブのみの原因を求め、ポジティブな要因に目を向けないのではここまで至った経路を理解するのは難しいのではないでしょうか。佐藤先生の仰りたい事の大本は私なりに考えますと、経路依存性に至るにはそこになにがしかの必要性、又は必然性を孕んでるからかもしれない。その本質を理解しない限りは問題からの出口は導き出せないではないですか?討論の内容とは余り関係なく済みません。
マゼラン星人二代目 says:
6月 12, 2017
>革新派と何が違うのでしょう。
>左派が戦前を破壊したがり、
>革新派
>左派
「既成事実への屈服」はいかん、「であること」は「すること」に劣後する、
というわけです。
マゼラン星人二代目 says:
6月 12, 2017
一部のパネリストに欠けているのは「絶望」というより、「いかに自分が丸山眞男のゾンビでしかないか」についての、その自覚なのではないでしょうか。
半ライス大盛 says:
6月 12, 2017
良い所取りは理論的にあり得ないと思います。
良い所とは、ものの見方で欠点でもあり、時代やタイミング・作用する量によっても
悪くなる事はあります。
従って、良い所を取ると、それに付随して悪い所も取ってしまうのです。
従って、良い所取りとは、都合の良い幻想だと言えると思います。
例)明治維新以降、日本の近代化は、西洋の良い所取りをして発展した。
国家のヤジウマ says:
6月 12, 2017
急激に支持されることに警戒するべきと書きましたが、反発が多くても同様ですね。それは経路をあまりに無視しているということになります。そうではなく、今の日本人にも日本人らしさがあることを見いだして、現代人に頼り頼られる存在になるべきだと思います。右がどう左がどうと敵視していては頼ることも頼られることも叶いません。それを抜きに国民運動なんかしても、極一部の自己満足で終わるでしょう。後世に感謝されるとしたらそのような人物ではなく、人を束ねて導くような言論と人柄を兼ね備えた人物ということになるかと思います。そうすると、田中角栄が最近人気になってきているという現象は、何か示唆しているような気もしてきます。
メイ says:
6月 14, 2017
慣れない言葉を理解しようとする時、既に知っている事を手掛かりに理解するものなのかもしれませんね。
「経路依存性」を、ネガティブに捉えた方々は「依存」という言葉にネガティブなイメージを持っているのかな。アルコール依存症とか、アメリカ依存症とか?
討論の冒頭で佐藤さんは、ちゃんと言葉の意味を説明して下さっていましたが・・私も、自分流に理解してしまいがちだと思うので、気をつけようと思いました。
トークライブがあるのですね。私は地方在住なので、なかなか東京に行けないのですが、行ける方が羨ましいです。
記事の内容と違う事なのですが・・・日本にとって大事な存在である官僚を安倍政権に人質にとられているような感じがして、本当に腹立たしいです!どうしたらいいのだろう。
傍からみていると、人事その他でガチガチに縛られているように見えて、心配でならない。
極端な言い方になってしまうかもしれませんが、共謀罪も、憲法改正案も、加計学園問題も、全てがおかしい。安倍政治に賛成できるところ、全く無いです。
柾木 says:
6月 24, 2017
佐藤さんが論じ中野さんが認めたエントリーにコメントするのは正直怖いものがあります。経路依存はネガティブなのか?へのコメントです。
戦後の歴史から今の政権が醸し出されてきた。だから一政権に物申すだけでは不十分でその奥にある歴史に目を向けないと同じ事を繰り返すだけ、似た政権が生まれるだけ、と動画をみて思いました。
その上で動画の中で「経路は歴史的にできあがってきたものだから強靭性がある」と経路を歴史の様にみなしていました。そこで経路依存を別の言葉に置き換えてみました。歴史依存、伝統依存、そして歴史や伝統から生み出される共同体として、国家依存、家族依存等。
国家依存状態に陥ったら? 当の本人は国家を必要とするでしょう。依存しているのだから。しかし国家からみたらそのような国民を必要とするのでしょうか? 依存されている側なのですから。依存している国民の代わりはいくらでもいると考えてしまうのでは? だから現代は「自己責任」といって国民を切り捨てる様になっているのかと。動画でも国民の願いでない事を強要する国民を無視する様な政権を望む発言が出てくる。
経路を大事にする。その通りだと思いますがその経路に依存したら? 例えば経路を共同体でなく一つの手段として考えた場合。経済で今の緊縮・増税から積極財政・減税への経路へと移れたとしたら。経済は当初は良くなると思いますがそれに依存したら、将来に経済が過熱して冷やさないといけない状態でも積極財政をし続けるのではないかと。その場合起きえるのはバブルと崩壊、そしてデフレへと結局は元の状態に戻るのではないかと。
経路依存の先にあるのは経路の喪失の様に思えます。佐藤さんの著書や表現者の書評にあったようにポップカルチャーにおける子殺し、つまり現実においても次世代への圧迫が起きている。経路を継承するはずの次世代を圧殺していては経路は成り立たないのではないかと。つまり未来の喪失に繋がってしまうのでは。
バークの言葉と経路依存性は重なる部分はあると思いますが根本のところでは非なるものの様に思えます。
バークの言葉、
『(前略)どうしても変えねばならないときも変更箇所は最小限にとどめるのが知恵である』(「経路依存性に反発する保守」という大笑い)
ですが依存状態では最小限に変更する事さえも拒否し盲信的に全肯定する様に思えます。
長く続いてきたモノの例として中野さんの新刊「真説・企業論」から『老舗』の説明をあげたいと思います。
『会社をできるだけ長く存続させるというのは、決して守りに徹するということではありません。その反対に、常に先を読み、イノベーションの努力を怠らないようにしなければ、会社を存続させることはできません』(P238)
『老舗企業を調べると、硬直的で守旧的であるどころか、環境の変化に柔軟に対応し、イノベーションを起こし続けることで、生き延びてきたことがわかります。柔軟性と革新性がなければ、会社が百年以上も続くわけがありません』(同)
一企業と国家や歴史伝統とは違うかもしれませんが、この論と経路依存性の動画のフリップでの説明文とあまり合致しません。では依存ではなければ何かと考えたら共存もしくは共生の様に思います。歴史共存、伝統共存、国家共存、家族共存等。会社共存も? ただの言葉の違いに過ぎないかもですが経路依存性というより、造語ですが経路共存性を尊重する事とした方が自分の中では腑に落ちます。具体的に経路共存とはどういう事かは思案中ですが、経路を大事にしかつ依存状態に陥らせない様に共存(共生)状態を保つようにするといった感じでしょうか。
未熟なうえ堅苦しい文章失礼しました。
玉田泰 says:
6月 29, 2017
「保守に『いいとこ取り』はありません」
肝に銘じます。
「経路依存性は本来ポジティブでもネガティブでもない」
その通りですね。単なる事実です。それに色を付けたがるのは、何らかの思惑が有るからでしょうね?