日本文化チャンネル桜
『闘論! 倒論! 討論!』の
「どこまで自立したか? 日本」、
おかげさまでコメントが多々寄せられています。
まずはおなじみ、平松禎史さん。
筋を通す(議論をす)べし。
と言うと「国際社会から理解されるわけがない!」と返す。
国論がいきなり国際社会にジャンプするのは、
筋など通すべきではない(=戦後は続いてて良い)という自己否定を
自己弁護する自己欺瞞だなぁ…。
「金融緩和するとハイパーインフレになる!」
「積極財政で公共事業を増やすと利権・腐敗が蔓延する!」というプロパガンダ同様、
中間(バランスをとる)が抜けている。
中間、つまり「中空」の虚無化が漏れ聞こえる討論だった。
平松さんの指摘する「中間(バランスをとる)」とは
いきなり自立を達成するのは難しいからと言って
「筋を通そうとしたって仕方ない」などと安易に居直らず、
戦後の経緯を踏まえて、なるべく筋を通すための道を模索する
ということでしょう。
たしかに、そのような姿勢を見せたパネリストは
ほとんどいませんでしたからね。
カインズさんからは、こんな反応が。
議論を見ていると、
アメリカから信頼されていると主張している論者の方々が
とても嬉しそうなんですよね。
これもタテマエの従属がホンネになってしまった例の一つなのかなと感じました。
外圧で国が動くのは日本に限った話じゃないと
中野さんの『富国と強兵』で理解しましたが、それでもなぁ……
ポチのふりをしているだけのつもりだったのが、
いつの間にか純然たるポチになった。
ありがちな話です。
ねこちぐらさんのツイートはさらに強烈です。
佐藤健志さん以外の出演者は、ニヒリズムに陥って
「大義など必要ない」
「アメリカに信頼される日本」
「憲法改正も外圧でも自立のために利用すればいい」
これが保守か!
ニヒリズムと言うより
現実主義のふりをした御都合主義と言った方が
いっそう的確だと思いますが、
W(^_^)W\(^O^)/そうだ!!\(^O^)/W(^_^)W
・・・しかし。
じつは今回の討論、学ぶべき点が非常に多い。
そのひとつ、
「危機への心理的依存」については
4月15日の記事で書きましたが、
同じくらい注目すべきはこちら。
平松さんの言う
「自己否定を自己弁護する自己欺瞞」、
カインズさんの言う
「タテマエの従属がホンネになってしまった例」、
そして、ねこちぐらさんの言う
「ニヒリズム」は
そろいもそろって
対米従属を否定しない形で、戦前と戦後の歴史に筋を通そうとした結果のものなのです。
歴史に筋の一つも通せなければ、保守派の名が泣こうというもの。
しかし戦前と戦後に筋を通そうとしたら最後、
戦後の対米従属を肯定することなどできるはずがない。
わが国は太平洋戦争で、アメリカと総力戦を繰り広げたんですからね。
さあ、どうすればいい?
パネリストのみなさんの発言は、
戦後保守がこのジレンマをどうごまかしたか、
もとへ
このジレンマにどう立ち向かったかを
雄弁に物語っていました。
具体的に整理すれば、こうです。
1)太平洋戦争において、日本の真の敵はアメリカではなく、
かつアメリカの真の敵も日本ではなかったことにする。
ならば真の敵はどこか?
言うまでもなく、ソ連率いる国際共産主義です。
冷戦が始まる前から
日米は共産主義に対抗する形で
実質的な同盟を組んでいたのだと言わんばかりの
妄想崛起的歴史観が
こうして成立する次第。
d(^_^)そうか、原爆投下は「希望の同盟」の下でなされたんだな(^_^)b
当時、ソ連が謀略を展開していなかったとは言いませんよ。
ただしこの歴史観が正しいのであれば
昭和天皇による大東亜戦争開戦の詔勅は
なぜ「米英両国に対する宣戦の詔書」と呼ばれたのでしょう?
みんなそろって、スターリンに騙されていたのかな??
そうです。
この歴史観を取ることは
当時のわが国の指導層、ひいては昭和天皇を貶めることにひとしいのです!
ご立派な保守ぶりではありませんか。
のみならず。
とにかく国際共産主義を悪者にする(←敵への心理的依存丸出し!)
妄想崛起的歴史観を取るだけでは
残念ながら戦前と戦後に筋は通らない。
かの安倍総理まで
戦後70年談話で(否定的に)述べたとおり
先の戦争には
白人による世界支配秩序への挑戦という意味合いがあったからです。
そしてこの支配秩序、
べつに国際共産主義が中核を占めていたわけじゃないんですよね。
もしそうだったら、
いちいち世界革命なんぞをめざす理由がないでしょうに。
こうして出てくるのが、こちらの特徴。
2)太平洋戦争は、あくまで自存自衛のための戦いであり、
アジアを植民地支配から解放して大東亜共栄圏をつくるという崇高な理想は
たんなる付け足しだったことにする。
早い話、
日本は決して国際秩序に挑戦したわけではなかった
(=だからアメリカとも本当には敵同士ではなかった)
と強弁しているのです。
だとしても
アジア解放の理想を信じて
先の戦争で亡くなった幾多の英霊を貶める点で
これは左翼・リベラルの「戦死者は犬死に」論といい勝負ではないでしょうか?
・・・そうです。
わが国の保守派(の大半)は、
現実主義の名のもと、おのれの矛盾や欺瞞を棚上げしたあげく
昭和前期の指導者
英霊
昭和天皇
のすべてを、そろって貶める認識を持つにいたっているのです!!
ここまで見事に自分の首を絞めた例も、めったにありませんね。
自覚はないとは思いますが。
だ・か・ら
『右の売国、左の亡国』と言うのですよ!
ちなみに私が愛してやまないのが
某パネリストの先生が
ご自分の妄想崛起的歴史観を私に語られたときの口ぶり。
あの物分かりの良さを装った猫なで声と、
そこに見え隠れする上から目線は
かつて一世を風靡した
左翼・リベラル系インテリの口ぶりそのものではありませんか。
いや、鮮烈でした。
これが保守か? そうだ!!
ではでは♬(^_^)♬
16 comments
青 says:
4月 18, 2017
お疲れ様です、討論拝見しました。
僕はチャンネル桜の大東亜戦争に関する討論をよく見るのですが、小堀さんの大東亜戦争に対する態度に昔から少し疑問をもっていました。
例えば小堀さんは「大東亜戦争と天皇」という討論の冒頭で、あの絶体絶命の境地から、天皇に救っていただいた。というのがあの戦争に対する固定観念になっていると語るんですね。
また、その討論の二時間目で西部邁先生が今上陛下が即位なされた時に平和と民主を守る、憲法を守ると仰られたことに対して余計なことだと思ったと、続けて天皇というのが日本の歴史的連続性の象徴なら日本には戦争の時期もあったし国内戦の時期もあった、その全てを含んで歴史の象徴なんだとすれば現憲法に含まれる平和と民主、つまり戦争をダメよと言われたら困るというような事を言うんですね。
それに対して小堀さんは、戦争はダメよは、それは当然ですよ。そんな事は自明の理。言わなくても良いこと。と、来るのです。
さらに「大東亜戦争とは何だったのか?」という別の討論で桶谷秀昭先生が本土決戦はするべきではなかったのか、という意見に対して、それは絶対反対ですと前置きして、反対の理由にああいう形で戦争を終わらせた天皇への不敬であるというのですよ。もちろんその後で桶谷先生から天皇を担いではいけないと反論されるのですが……。
他にも「戦争をはじめるということ-大東亜戦争」という討論で小堀さんは、本土決戦をするべきだったということに対する反論として、戦争というものは勝てばいいというものじゃない、ある程度の戦争目的が達成されたらそこで手を打つべきものだと言うのです。そうなると日本の戦争目的は達成されたのかという疑問がでてきますが、小堀さんがおっしゃるにはアジアの開放というのは十分に達成されたという解釈なんですね。では自存自衛のほうはどうか? こちらに対してはなんと、自存自衛を達成するには戦いに負けたっていいんですよと言い切り、さらには本土決戦してまで勝とうという考えは野蛮だと居直るんですね。
それに対して西部先生が、
少なくとも本土決戦をわれわれがやれば、戦後の日本人はわれわれの意識はどうなったのであろうかというね、ありえたかもしれない過去の歴史上のifについて我々は一切、考察することをやめてきたんですよ。
そんなのは私に言わせればくだらない科学精神であってですね。
歴史は物語りですからね、物語ならば、あのとき本土決戦をやってあと500万1000万の日本人がですよ 大西瀧治郎さんに何も従う必要もありませんが
天皇を先頭にして戦ったときに日本人はどういう風な意識で戦後を迎えたのか、という問題提起をするんです。
それに対して小堀さんは、観念の遊び、本当の観念的遊戯ですよ。と切り捨てるんですね。
西部先生はその後も続けて本土決戦にこだわって、このような事をおっしゃるんですね。
本土決戦について言論界でただの一度でも議論されたのか? といえばまったくの皆無なんですよ、僕はこれ自体ノーマルじゃないといっているんですよ。と、
すると小堀さんは、私はそれがノーマルだと思う。それが日本人が正常だった証拠ですよ。ここでもし本土決戦やったらどうなったかっていう観念的遊戯をするのが、それがもう堕落のもとですな。と言い出します。
戦前に一億玉砕と言っていたのは気が狂っていってたのか、それともおふざけで言っていたのか……。
なるほど、確かに本土決戦をしたら日本は滅んだでしょうから小堀さんの意見に僕もある程度賛成です。
しかし佐藤先生が言うようなあの物分かりの良さを装った猫なで声と、そこに見え隠れする上から目線が、敗戦から自立するどころか、敗戦というものから逃避してる姿に見えてなりません。なぜなら痛いところをつかれると毎回こういう振る舞いをしてきたのですから、そう思われても仕方がないように思います。
小堀さんはどうやら昭和天皇をお守りするための議論を展開なされてるのかもしれません。
しかし、佐藤先生が昔チャンネル桜の討論「大東亜戦争肯定論」でおっしゃっていた、肯定のための肯定は案外否定に繋がる。ではないですが、
天皇陛下にこだわるあまりにあの戦争に対して負けを直視できなかったり、戦争の大儀を否定してかかったり。果てはコミンテルンの陰謀じゃないですけど、当時のアメリカも日本も共産主義に毒されてたとか騙されていたとかいう議論を持ち出し、あろうことか戦後アメリカと日本は手を組み、共産主義陣営に勝利したという物語に飛びついてしまうのも無理からぬことではないでしょうか。
しかし、このような戦争の解釈で昭和天皇の名誉を守れるかは疑問です。
フルート says:
4月 18, 2017
10:16小堀先生「私はやはり安倍総理はですね、日本の国会、つまりあの今とにかく英語で発信しなければ相手に通じないというのは非常に一種の傾向と申しますか成っておりますけれども、私はあの国内でもって日本の国の断固たる姿勢を例えば国会の演説の中でもってして下さるというだけでも私は非常に違うと思うんです。まあ日本の国内の国民に向けてのあの激励・鞭撻になりますとですね、これは必ず世界に伝わるシステムに成っている訳ですから、そうしてまあ日本国の決意、この披露の時期に向けての日本国の決意というものを表明して下さるという事ではよろしいと思います。」
最後に出てくる「この披露の時期」とはいつの事を指してのものなのか、何だか判然としないところがある様に思うんですけど、私はこの発言は、<日本国内の国民に向けての激励・鞭撻でもある日本国の決意>を日本の国会で披露する対象と、英語に翻訳される事によってその披露を(必ず)受けるとされている対象が、同一視されている側面が強いから..出て来ちゃった発言だった可能性もあるのではと思いました。
SATOKENJI says:
4月 18, 2017
あれは「この披露の時期」ではなく、
「この非常の時期」と言わんとしたものと理解しています。
「この疲労の時期」とすべきかも知れませんが・・・
フルート says:
4月 18, 2017
小堀先生の「この◯◯の時期」は、「とにかく英語で発信しなければ相手に通じない今」のことでもあるのと同時に、「日本の国内の国民に向けての(安倍総理による)激励・鞭撻は、必ず世界に伝わるシステムに成っている」状態のことでもあって、しかも小堀先生は、現在の安倍総理に過去の鈴木貫太郎を重ねてもいて、なんだか過去を経由させた現在による危機への心理的依存のループを感じました。なんか変な意味で余計に疲れちゃうかも・・とか思いました。
マゼラン星人二代目 says:
4月 18, 2017
>みんなそろって、スターリンに騙されていた
>昭和天皇を貶める
ご心配には及ばない。
「不正を働くより不正を働かれる方がよい」という退路で先帝の名誉もかろうじて守られ得る。
とはいえ、その理屈で押しまくると、
「先制攻撃論に言い及ぶくらいなら、北朝鮮のミサイルなんて放っておけばいい」という方にも話がおよびかねない。(「危機をダシにした自己正当化」の破綻)
そこをどうするか。(私自身は別にそれでもいいのですが)
カインズ says:
4月 18, 2017
某パネリストの先生のあの時の台詞は、そのまま天声人語にできそうでしたね。
バランスをとるということに関しては、中野 剛志さんが「日本では、保守と言えばマスカリン(男っぽい)でマッチョなイメージが流布していますが、保守の論理はむしろ女性的です。真の保守は、価値観が錯綜する複雑な社会の中で、つねに悩んでいます。配慮をし、あるいは中庸を取ろうとし、壊れそうになっている共同体を守ろうとして悩む。これは女性の特質ともいえます。」(『脳・戦争・ナショナリズム 近代的人間観の超克』30頁)と仰っていました。
先の討論、薬師丸ひろ子の隣に大島優子がいれば、もっと締まったものになったことでしょうね。
SATOKENJI says:
4月 18, 2017
優子に伝えておくわね。カ・イ・カ・ン・・・♡
Guy Fawkes says:
4月 18, 2017
先の討論は戦後保守に根付いた(「耐え難きを耐え」とは真逆の)救い難き自己矛盾を
白日の下に晒した良い機会でした、
あの中で佐藤先生が孤軍奮闘してくださったお陰に他なりません。
パネルまで作っていただき、私が拙いネタ(戦後ニッポン三原則の元ネタ)をご提供したのも
冥利に尽きるというものです。
>ニヒリズムと言うより現実主義のふりをした御都合主義と言った方がいっそう的確だと思いますが、
同じイラク戦争時に西部先生と共に親米保守を批判された某漫画家の先生も仰っていましたが、
これを「クソ・リアリズム」と呼称します。
それにしても私が看過し難かったのは「大義なんて必要ですか?」という某ジャーナリストさんのご発言…
あれは10年以上前、イラク戦争時に米国に賛同を表面した
親米保守知識人のセンセイ方が宣った言葉とそっくりそのまま同じなのですよ!
いやはや…私なら茹で上がったタコさんの如く真っ赤になっていたでしょうに、
あそこまで酷い有様で沈着冷静を「保ち」続けた佐藤先生の本格保守の姿勢に頭が上がりません(苦笑)
SATOKENJI says:
4月 18, 2017
「大義がなければ自衛隊員だって戦えませんよ!」
用田陸将は番組中でそう断言しています。
にもかかわらず、「大義なんて必要ですか?」と言い放ったのですから
この人物はホンネでは自衛隊に戦ってほしくないのでしょう。
隠れ絶対平和主義者と認定したいと思います。
GUY FAWKES says:
4月 18, 2017
>隠れ絶対平和主義者と認定したいと思います。
激甚災害時に自衛隊によって助けられながら自衛隊を罵る左翼・リベラルのセンセイ方並の不誠実さですね。
それにしてもこの様に引き合いに出すのも些か憚られますが、昨日渡部昇一先生が亡くなったことと
今回の討論を考えると戦後第一世代による自縄自縛(自爆?)についての業に胸中複雑な思いがあります…
いや、渡部先生を特段尊敬している訳ではありませんが。
メイ says:
4月 18, 2017
桜の討論、全部ではないのですが、拝見しました。
佐藤さん以外の方々は、あまり我が国の自立に積極的になれないご様子に感じましたが、それなら、なぜ「どこまで自立したか、日本」というテーマにしたのだろう?
逆に、テーマを話し合うために「自立」に消極的な方と積極的な方のバランスがとれていたら良いように思ったりもしたのですが・・人選というのは難しいのでしょうね。
参加されていた論客の方々は、アメリカを凄く信頼しているんだなあ・・と感じました。そして、アメリカに日本を信じてほしいと思っている。
「うーん・・」と唸ってしまいましたが、こういうあり方、解る気がする。日本は信頼関係で成り立っていたと思うので、そういう心性は簡単には変えられないのかもしれないですね。
でも、日本人同士とは違って、外国との関係では、やはりもう少し警戒しても良いような気がします。
よく「米国とは価値観が同じだ」と政治家の方が仰いますが、思想の中身、全く違っているし、頑張って合わせているだけなんじゃないでしょうか?
我が国が「自立すべきかどうか」という段階なのだとしたら、そういうテーマの方が良いのかもしれませんね・・。
「日本が自立をためらう理由(弊害?)は何か?」とか、「自立するとしたら、実現までの過渡期に起こりうることを考えてみよう」とか、「自立せずにいる事のメリット・デメリットは何だろう」とか?
SATOKENJI says:
4月 19, 2017
非常に重要なご指摘です。
アメリカを信頼し、アメリカに信頼されることのコストについて
真剣に考慮しないかぎり、
保守派は「日本の自立」を論じる以前の段階にとどまりつづけるでしょう。
GUY FAWKES says:
4月 19, 2017
横から失礼します、メイさんには佐藤先生のご著書、
特に『震災ゴジラ!』『僕たちは戦後史を知らない』はもちろんですが、
現在京都精華大学専任講師である白井聡さんというお方の著書である
『永続敗戦論』『戦後政治を終わらせる』を推薦させていただきます。
件の討論で繰り広げられた疑問やモヤモヤを全く別の方向性からハッキリさせてくれると思います。
メイ says:
4月 19, 2017
教えて下さって本当にありがとうございます。
「震災ゴジラ」「国家のツジツマ」など、佐藤さんのご著書は数冊、拝読いたしまして、お考えをある程度理解できた気もするのですが、十分飲み込めていないかもしれませんね。もっと読解力がほしい!
白井聡さんは、討論番組でお話をお聴きしたりすることがありますが、ご本を読んだ事はありません。「永続敗戦論」とは、タイトルだけで「悲しくなる内容かな・・」と不安になりますが、いずれ勇気を出して読んでみたいと思います。
アメリカとの距離感は、どの位が良いのか明確には解らないけれど、イースターまで祝わされるとしたら、もう勘弁して下さい、という感じです。
今回のシリア攻撃も、アサドがサリンを使ったかどうかも検証不十分なのに、「アメリカ支持」を率先して明言するなんて、日本は物の道理が判っていないと思われそうな事を、言わなくてはいけないなら、一蓮托生という感じで、もう少し適切な距離、というのがありそうに思うのです。
玉田泰 says:
5月 28, 2017
「白人による世界支配秩序への挑戦」
いや、挑戦などしてはいけない(それでは白人の価値観に同調することになる)
だから基本的に鎖国しませんか?というのが僕の提案です。
(イスラエルやスイスのような厳しい道を歩むことになっても)
玉田泰 says:
6月 10, 2017
上記コメントを捕捉します。
言いたいことは、いきなり日本は鎖国せよ、ということではありません。「鎖国」を考え方の選択肢の一つとして加えてみませんか?
という提案です。なぜかというと、明治維新が易々と西欧文明を無批判的に受け入れた初めだと思うからです。当時の日本が西欧化を受け入れた(受け入れざるを得なかった)のは当然の流れでしょう。しかしながら、あまりにも安易に諸手を挙げて礼賛しなかったか、という問題提起です。あまり歴史に詳しくはありませんが、近代日本のボタンの掛け違いがそこから始まったのでは?
という気がしてなりません。