本日10:00に配信した記事
「水島社長に、冷徹な愛をこめて part2」では、
日本文化チャンネル桜が
8月2日に放送を予定している(らしい)討論番組
「安倍政権への進言・諫言(かんげん)・提言」(仮)が、
水島社長にとって正念場となる点について触れました。
最近の社長は
安倍政権の支持に固執するあまり、
いかんせん無理のある擁護論を展開したり、
政権を批判する人々にたいして突っかかるような態度を取ったりと、
草莽から得た信頼を、みずから失いかねない振る舞いを重ねてきたからです。
今回の討論は、信頼回復のチャンスとなりうる。
ただし、ちゃんとやれば、の話です。
茶番のような内容だったら、
まさしく「自分の舌で自分の首を絞める」ことになるでしょう。
これについては7月14日配信の記事
「伸びる舌、増える舌」もご覧下さい。
ちなみに8月2日に放送される討論のテーマが、
べつのものであったとしても、
ここで展開される話題に、さしたる影響は及びません。
チャンネル桜が遅かれ早かれ、
現政権の功罪を問い直す内容の討論をやらねばならないのは、
同局の現状、および安倍政権の現状からいって明らかだからです。
さて。
「安倍政権への進言・諫言・提言」(仮)を、
たんなる茶番に終わらせず、
草莽がチャンネル桜を見直したくなるような
充実した内容にするために、
クリアーされるべきハードルは何か。
ずばり、以下の問題提起を議題に含めることです。
最近の現政権は、
言葉の使い方が粗雑、かつ矛盾だらけである。
これは政権が
「言葉などどうでもよい」と見なしていることを暗示するが、
はたしてそのような政権は、
進言・諫言・提言にそもそも耳を貸すのか?
1)「耳を貸す」と言うのであれば、そう判断する根拠を述べよ。
2)「耳を貸さない」と言うのであれば、そのような政権は信頼、ないし支持に値するかどうかを述べよ。
3)「安倍政権の言葉の使い方に問題はない」と言うのであれば、
集団的自衛権をめぐる「憲法解釈の一部変更は解釈改憲ではない」発言、
成長戦略をめぐる「もはやデフレ状況ではなく、デフレ脱却に向けて前進」発言、
および「日本経済の悪魔を倒す」発言について、
なぜ問題がないのかを説明せよ。
4)前項の例が偏向していると言うのであれば、そう判断する根拠を具体的に述べよ。
親愛なる水島社長、
あなたにはこの問題に向かい合う勇気がおありですか?
言葉はあらゆる文化の基礎です。
日本語がいい加減に使われるとき、日本文化も何もありもしない。
「日本文化チャンネル桜」のリーダーである以上、
これについては同意されるものと思います。
いかなる政治家にも完璧な言葉づかいは期待しえないということは、
政治家の言葉づかいなど、どうでもいいということを意味しない。
そして「聞きたくないことは聞かない」という態度を決め込んだ政権にたいし、
いかに進言・諫言・提言をしようと意味はない。
さあ、この問題提起をお願いいたします!
討論の司会を務めておられる以上、
社長のお考えひとつで可能なはずです。
そしてもし、
仮に、
万が一にでも、
具体的に聞くけど、言論人の言うことに、ちゃんと耳を貸した政治家なんているの?
などと口走ったら最後、
その時点で討論は崩壊します。
何を言ってもムダ、そう宣言するのと同じですからね。
草莽はチャンネル桜を、ますます信頼しなくなるでしょう。
今回の収録、覚悟をもってお臨み下さい。
ご健闘を祈念いたします。
ブログをお読みのみなさん、
どんな討論になるか、楽しみに待とうではありませんか!!
ではでは♬(^_^)♬
3 comments
カインズ says:
7月 27, 2014
良い方向への変化であってもゆっくりと行うべきというのが保守の考えではありますが、この点については「君子豹変す」を期待したいものです。手加減なしの提言をしてくれることを願っています。
メイ says:
7月 28, 2014
今後、より多くの方が現政権に疑問を持つようになって、政権批判の大きなうねりが生じたら、某社長が立ちふさがった!みたいな、ややこしい状況になるのを避けたいですし、その為にも社長には目を覚まして頂いて、活動家としてのお力もお借りできれば、一番良いのになあ、等と勝手な事を考えておりましたが、もう諦めかけ、と言いますか・・残念です。
ある討論を拝見して、感じた事です。
討論の中で、テロを巡ってのご発言がいくつか出まして、後日、社長がその事について、「番組としては、テロは良くない、という立場である」趣旨の事を述べられました。自由な討論の場であってほしい気持ちと、テロやクーデターなどを必ずしも肯定する意味ではありませんが、「絶対悪」のように扱ってしまうのも、心残りでした。
ですが社長は、活動家としての側面もあり、経営者でもあるので、思考の試行錯誤、には一歩引く様な所があるかもしれませんね。「それは正しい」と考えて決断した事に対して、行動をとる方のようなので、「討論」も、「活動」の一環と捉えておられるようにも見えます。
少し、不器用さもおありになって、一度覚悟して決断するのでしょうから、方針を変える事が苦手かもしれませんが、それは社長の誠実さや信頼しうる人間性であるとも思います。
私が思う以上に精神的な危機かもしれないので、「救ってあげたい」と近づく似非宗教家のような悪人を信じてしまわれるのではないかと、とても気になっています。
こういう方を騙さないで頂きたいと、ア〇ターには憤りを感じます。
昨年、実在総理がTPP交渉参加表明をされた時、某社長の所に、社長の責任を問い、「謝れ!」「社長のせいで信じたんだ!」等と、責め立てる攻撃的なコメントが殺到しました。ショックで感情的になってこういう反応をしてしまう人々の気持ちは理解できるものの・・・(泣)。誰かの影響を受けたとしても信じたのはやはり自分だから、嘘を見抜けなかったといって誰かを責めるなんて、辛すぎますね・・。国の為に活動して下さっていたのに。結果はどうであっても、ありがとうの気持ちでした。
怒っている方も、ショックで一時的に取り乱してしまっただけだと思うので、許してあげてほしい、と願っていました。
騙されるのは、能力が無いとか、人を見る目が無いとか、そういう事ではないですね。大勢の人がそうだったのですから。社長は「自分が悪かったのか?」と悩む必要はなく、怒っても良い立場だと思うのです。
・・・生意気にも、立場のある方のお気持ちを印象や想像で書いてしまい、お見苦しい点があったと存じます。どうか、お許しください。
kanata says:
7月 31, 2014
言葉を正しく使用するということが、本当にそれほど優先順位が高いのでしょうか?僕は、いま日本にとってやらねばならぬことを一歩でも前に進めることのほうが重要であると思います。確かに安倍政権は迷走ぶりが顕著になっていますが、この日本は、やりたいことが自由にできるという状況にはありません。アメリカの監視のもと、敵対するマスコミを受け流し、中韓と繋がる野党勢力と対峙しながら、政策を進めざるを得ないのです。言葉の乱れは野党勢力の格好の攻撃対象にもなります。それを保守言論人が攻撃することに、ためらいがあるのではないでしょうか。