「愛国のパラドックス」に収録されている

「韓国の反日を封じ込める道はある」について

ある方からコメントをいただきました。

 

いわゆる従軍慰安婦問題をめぐる箇所が

どうも納得ゆかないとのこと。

当該箇所はここです。

 

いわゆる「性奴隷」の主張に対し、わが国の保守派は、

「強制連行はなかった」とか「慰安婦の待遇は良かった」

といった主張で対応していますが、

これは二次的なポイントにすぎない。

 

戦争を遂行するにあたり、兵士の性欲はどう処理されるべきだと考えているのか、

性欲の処理は「アジアの解放」という大義とどんな形で結び付くのか——

この二点についてハッキリした見解を打ち出さないことには、有効な反論にならないのです。

セックスに関する話は、キレイゴトやタテマエでは片付きません。

片を付けたかったら、「戦争と下半身」についてホンネで語るべきです。

 

では説明を追加しましょう。

 

まず「強制連行はなかった」とか「慰安婦の待遇は良かった」と言うことが

なぜ二次的なポイントにすぎないのか。

 

いわゆる買春、

とくに組織的な買春は、

今やそれ自体として望ましくないと見なされているからです。

 

「強制連行ではなかった」とか「待遇は良かった」などの主張は

この点に対応できないから二次的なのです。

慰安婦がいたこと自体がけしからんという話になっているわけですからね。

 

むろん本来は

過去の時代の出来事について、現在の価値観で割り切ろうとする方が間違っているのですが、

そんなことを言っても始まらない。

 

よって。

慰安婦がいたこと自体は否定できない以上、

この問題について有効な対応をしたければ、次の点をハッキリ主張する必要がある。

 

いかなる正義も、

遂行にあたっては何ほどか「ダーティ」な側面を伴う。

 

もっと露骨に言えばこうです。

 

兵士の性欲を処理しないことには、

アジアの解放だって実現できないのだ。

 

何なら、こう言い換えても良いでしょう。

 

当時の日本がめざした大義は、

兵士の性欲処理をめぐる点を勘案しても

なお追求する価値のあるものだった。

 

「愛国運動といえども、衣食住は欠かすべからず」と説いたのは

戦前の笹川良一さんですが、

「アジアの解放といえども、兵士のセックスは欠かすべからず」

というわけです。

 

ここまでハッキリ認めることが、

私に言わせれば

「戦争と下半身」についてホンネで語ることなのですよ。

 

けれども私の知るかぎり、

このような主張はまず見られない。

なぜでしょう?

 

簡単ですね。

そんなことを主張したら、アジアの解放という理想が汚れそうでイヤだ

という気持ちがあるからに違いない。

でもそれって、ずばりキレイゴトやタテマエにこだわっているんじゃないでしょうか?

 

どんな正義にも下半身、

もっと言えば陰部や恥部がある。

そう認めるのが、成熟した保守主義の態度だと思いますね。

 

でないと

陰部や恥部があるからには、正義ではない

と認めてしまうことになる。

これって、慰安婦を問題にしたがる人々の主張そのものですよ。

 

・・・ということで、ご理解いただければ幸いです。

 

では、あらためて「愛国のパラドックス」をどうぞ!

 

ご注文はこちらをクリック。

 

ではでは♬(^_^)♬