国連安保理は11日、
北朝鮮のミサイル発射や核実験を受けて
制裁強化決議を全会一致で採択しました。
主な内容は
北朝鮮への原油輸出量を今の水準にとどめる
北朝鮮への石油精製品の輸出を年200万バレルまでに制限する
北朝鮮からの繊維輸出の禁止
など。
北朝鮮の貨物船の運営会社が公海上の検査に同意しない場合は、
当該船舶の資産を凍結する権限も
各国に付与するそうです。
これによって同国の輸出は
90%減少する見通しとも言われますが、
アメリカが主張していた石油の禁輸や
金正恩の資産凍結は実現しませんでした。
ちなみに北朝鮮外務省は採択前、
アメリカの主張が通ることがあれば
「米国が考えもしない強力な行動措置を連続的に講じる」
「必ず米国に相応の代価を支払わせる」
「われわれが講じる次の措置は、米国を史上類例のない困惑に陥らせるだろう」
などという声明を発表。
中国やロシアが拒否権を持っている以上、
アメリカも譲歩せざるをえまいと踏んだのでしょうが
金正恩がトランプから一本取った形になりました。
のみならず北朝鮮は12日、
採択された制裁決議も「拒否する」と表明。
アメリカはまもなく
「最大の苦痛」に直面するとぶち上げたとか。
核は開発した者勝ちってか?
炎よ、われと共に歩め!!
まるっきりキラー・ボブ状態ではありませんか。
やっぱり炎上かなあ・・・
ちなみに。
在韓米軍で対北朝鮮軍事演習のシナリオ策定にも携わった
チェタン・ペダッダという退役陸軍大尉が
米朝軍事衝突のシナリオを
「フォーリン・ポリシー」に発表したとか。
いわく。
・北朝鮮は最初の数時間で、南北非武装地帯周辺や在韓米軍基地、
および日本の海空防衛施設にミサイルで集中攻撃をかける。
・これらのミサイルには、化学兵器や生物兵器が搭載される恐れが強い。
・同時に米韓の銀行や送電施設へのサイバー攻撃も行われる。
(ペダッダさんは書いていないようですが、たぶん日本にたいしてもやるでしょう)
・米軍により、北朝鮮の陸海空軍は数時間で実質的に壊滅させられる。
ただし潜水艦や地下トンネルを使って特殊部隊が韓国に侵入、
韓国に潜伏していた工作員とともにゲリラ戦を展開する。
で、どうなるか?
・開戦から数時間でソウルの大半は壊滅状態。
この時点で数万人の犠牲者が出る。
・北朝鮮の崩壊によって衝突が終わるころには、犠牲者は数十万人に達する。
韓国内でも数百万の避難民が出る。
・中国、日本、アメリカは大量の難民受け入れを強いられる。
ペダッダさん、朝鮮半島の復興には数十年かかると見ているようですが
ヤバいのはこのすべてが
北朝鮮が核を使わないことを前提にしている点。
かりに核ミサイルを撃ったりした場合は、さらに桁違いの被害が発生するとか。
しかるにわが国は、あいもかわらず
「強固な日米同盟のもと、国民の生命財産を守るために万全を期す」
つまり
主体的な対策は講じず、アメリカ頼みに徹する
ことに終始する模様。
でなければ
「圧力ではなく対話によって北朝鮮の方針転換をうながす」
つまり
現実的な対策は講じず、神頼みに徹する
ことに終始するようです。
だ・か・ら、
『右の売国、左の亡国』と言うのですよ!
教訓とはこうである──
メチャクチャな政治は大惨事を引き起こす。
とりわけ傲慢で近視眼的、
ついでに了見の狭い「英知」というやつに気をつけろ。
エドマンド・バークの言葉でした。
(↓)本書の終章、「秩序なくして繁栄なし」の節をご覧下さい。
わが国は迫り来る大惨事を逃れることができるか?
与野党、
ないし左右双方の「英知」を見るにつけ
あまり期待しないほうがいいかも知れませんよ・・・
ではでは♬(^_^)♬
27 comments
フルート says:
9月 14, 2017
産経新聞から引用させて頂きます。
『 【ソウル=桜井紀雄】北朝鮮外務省は11日、米国が採択を目指す安保理の新たな制裁決議案を「史上最悪」と非難し、採択されれば「米国が考えもしない強力な行動措置を連続的に講じる」とする声明を発表した。「最後の手段も辞さない準備ができている」とも強調。朝鮮中央通信が伝えた。
(※中略)
声明は「米国の敵視策動と核の脅威を抑止する手段として超強力熱核兵器(水爆)を完成させた」と主張し「米国は正々堂々たる自衛的措置を、われわれを完全に窒息させる口実に使おうとしている」と批判。決議案が採択されれば「必ず米国に相応の代価を支払わせる」と強調し「われわれが講じる次の措置は、米国を史上類例のない困惑に陥らせるだろう」と警告した。
一方、朝鮮中央通信は10日、核実験に貢献した科学者や技術者をねぎらう宴会が平壌で開かれたと伝えた。席上、金委員長は「核抑止力を堅固に築くための科学研究事業をさらに野心に燃えて行う」よう指示し、核・ミサイル開発を続ける姿勢を誇示した。』
引用おわります。
北朝鮮は、「米国の敵視策動と核の脅威を抑止する手段として」の「超強力熱核兵器」の開発を含んだわれわれの「正々堂々たる自衛的措置」が、「われわれを完全に窒息させる口実」として、アメリカから利用されようとしているとし、この「史上最悪」の制裁決議案が採択されたなら、「米国が考えもしない強力な行動措置を連続的に講じる」として、「最後の手段も辞さない準備ができている」と主張しているのですが、最後の手段に関係し、連続的に講じられるとされる米国が考えもしない強力な行動措置は、アメリカからも考えられた方が北朝鮮にとって有益な部分もある筈ですし、{われわれは米国が考えもしない米国を考える。そんなわれわれの事を米国はもっと考えるべきだし、考えられる筈である}と言いたがっている様にも感じます。
また「正々堂々たる自衛的措置」と考えられている筈の「核抑止力を堅固に築くための科学研究事業」も、「野心に燃えて行」われるものとされていて、この「野心」という言葉は、北朝鮮の考えるアメリカ像と北朝鮮の考える北朝鮮像との関係を意識し過ぎた北朝鮮から出てきた言葉と読む事もできると思います。(←飽くまで「野心」と訳したのは産経新聞ですけど..)
また「われわれを完全に窒息させる」「史上最悪」の制裁決議案に対し「われわれが講じる次の措置は、米国を史上類例のない困惑に陥らせるだろう」。われわれは、「最後の手段も辞さない準備ができている」という北朝鮮の主張に対しても、{われわれは、「われわれを完全に窒息させる」史上初めての最悪さとしてのわれわれの最後の前に、「最後の手段」・「次の措置」を用いて、米国に初めての思いをさせるだろう・・}と、アメリカが陥る事になるとされている初めてとその初めてを実現する為の自分たちの最後との心理的距離が北朝鮮の中で縮んで感じられて行っていたり、その自分たちの最後を実現する為の自分たちの初めてとその自分たちの最後との心理的距離もそれぞれ北朝鮮の中で縮んで感じられて行っている可能性を考える事はできると思います。(脅しをかけているという自覚的な意識の領域にだけ存在している訳ではない自己の一貫性に関わる無自覚的な認知バイアスからの錯覚もある筈だからです)
一方、最初で最後の被爆国にして最初の平和憲法を創った国としての“戦後日本”という概念下では、最後を過去から未来に引き延ばす為の現在による“戦前”と“戦後”の両方(←最後を引き延ばす為の最初が存在する可能性もあり得ると思うからです..)に対する適応的で無意識的な解釈が起こり易かったりする事があるのかも知れないと思いました..。また“戦後の脱却を目指してアメリカと心理的に一体化する保守”など、他にも色々な混乱があり得ると思います。その意味で(抽象的な表現になってしまうのですが..→)よく情報番組のコメンテーターなどが語っている「対話」よりもっと本質的で真剣な対話が、国と国以前の国民一人一人の間にこそ本当は必要なんだと思いました。
GUY FAWKES says:
9月 14, 2017
フルート様、横から失礼致します。
昨今『永続敗戦論』でリベラルの新進気鋭学者として話題の白井聡さんが今春5月に上梓した
此方の記事も参考にされてみてください(既読かもしれませんが…)
温厚な文体ですが、一言に「そもそも、あんたら日本人が馬鹿だから政府も馬鹿なんですよ!」
と堂々と看破したリベラル界隈の学者さんは生まれて初めて見ました。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shiraisatoshi/20170522-00071188/
民主主義考 白井聡さんが語る安倍政治(上) 国家権力の腐敗と本質
フルート says:
9月 15, 2017
すみません今上の自分の文章を読んで見たら結構変なところが見つかりました。。特に一番最後の段の上から2行目の「最後を過去から未来に引き延ばす為の現在」というところは、「最後を過去から未来に引き延ばしたい現在」と読み換えて頂けたらと思います。。他にもあるかも知れませんがすみません・・。
フルート says:
9月 15, 2017
GUY FAWKESさま、お返事ありがとうございます。実は私は『永続敗戦論』もまだ読んだ事がないんです。。紹介して頂いた白井さんの記事も読んだ事がなくて、先程前編と後編を読み終わったばかりという状態です。。ですのでほとんど全部考え中で、何かを書くべきではないかも知れないのですけど、、納得できない感じもちょっとあるというのが正直なところです。。でもだからこそもっと白井さんの他の記事も読んで見ようと思っています。ご紹介感謝いたします。失礼いたしました。。
Daniel says:
9月 15, 2017
豆腐メンタルさんと佐藤先生のお蔭で、戦前、米国が反日傾向を強めて日本を徹底的に追い込んでいった理由は、一応暫定的にですが、「予防的先制攻撃」だったと納得することが出来ました。
その後の読書で、アメリカの対日政策のベースは、アメリカの海軍戦略家、アルフレッド・マハンの立てた海洋国の制海権理論に依っていると判明しました。
これはケント・ギルバート氏の新著からの指摘で、私はちょっと衝撃を受けていて、これはマハンの著作である、『海上権力史論』や『海軍戦略』を読んでみて確認してみないとと思っています。
実は現に、戦前のアメリカの建艦計画は、長らく、太平洋方面で日本海軍とのパリティ(均衡)を保つ水準で抑えられていたのですが、ワシントン条約明けを見越した建艦計画では、日本海軍を圧倒する建造計画を発表していて、その折からの石油の禁輸を匂わせる米国の対日制裁の傾向を踏まえ、日本海軍に早期の対米戦の覚悟を迫っていた(米建艦計画が本軌道に乗ってきたら、日本海軍に勝ち目はない)という歴史がありますから、その指摘は極めて蓋然性が高いと私は踏んでいる訳です。
いずれにせよ、アメリカは、我が国の国情、歴史、民族的性質等を良く知らないまま、誤解したまま危険視し、人種差別も相俟って、且つ、中国(特に宋美齢)のプロパガンダにナイーブにも引っ掛かった状態で、日本が何よりも怖れた国際共産主義の恐怖も共有できないまま、マハンの理論を冷徹に当て嵌め、それを実践したという大括りの姿が見えてきた訳です。
※但し、「危険視」を招いたのは、大陸で出先の軍が中央から統御不能に陥り、且つ、諸国の大陸権益のバランスを崩したこと、本国でさえもクーデターが複数回に渡って起ったことにより、我が国が国家としての信用を損なったことも要因です。
その結果が、現在の北朝鮮であり、東アジア情勢です。
これは、米国の近年の「アラブの春」政策と瓜二つではないでしょうか。海洋に接する大陸のへりにある中東の独裁政権を倒してアラブを「民主化」すれば、地域の平和が得られ、加えて米国も市場や資源(石油)へのアクセスが容易になる、というお花畑的な政略です。
結果、その中東(及び北アフリカ)の独裁政権が抑え込んでいた当該地域の無秩序、殊にイスラム教過激派が、力の真空化でどうしようもなく噴出している、欧州もそれで大混乱に陥っている、要は、その政略が大失敗したのは、周知の事実です。
東アジアにおいて、「当該地域の無秩序」は、国共内戦から大躍進政策、文化大革命へと至る大陸の動乱や、朝鮮動乱に相当し、「イスラム教過激派」は、国際共産主義と極左過激派のテロ(日本だけでなく、カンボジアやベトナム、ネパールで猛威を振るいました)に相当します。
だから、東アジアの現況、否、元凶は、数十年、一世紀弱の時間尺を取ったロングスパンの、東アジア版「アラブの春」政策の一大結果と見るべきです。よく、米国は、日米安保条約は、日本軍国主義を抑え込むための「瓶の蓋」と言いますが、本当は、日本こそ、当時の大日本帝国こそ、大陸動乱を抑え込んでいた、「本当の瓶の蓋」だったのです。
しかも、日本は当時も今も独裁政権ではなくて、立憲主義の国です。本当はだから戦前、アメリカは、日本を一方的に敵対視するよりも、寧ろ、日本国内の自由主義勢力を励まし、提携して、緩やかな日米同盟を結び、大陸の安定に連携して臨むべきだったと思うのです。その方が、アメリカも潤った筈です。日米の提携が成っていれば、日独伊三国同盟も全く不要でした。
大いに大雑把に言えば、私の今の立論が、現在のアメリカの共和党的路線、日本に対する中国の優越を認めることと日米安保条約の縛りで、日本を二重に封じ込めるのが、アメリカの民主党的路線と言えましょう。
前論が長くなりましたが、嘗ての、アメリカの大雑把で能天気な東アジア政策が今の情勢を産んでいるのですから、アメリカは、この帰結に収拾を付ける責任があると思うのです。
日本も今、大変に苦しいところです。トランプも、共和党的路線と民主党的路線の何れを選択するのか、不明です。もう、安全保障論や軍事論、はたまた経済論は、有為なる論者によって論じ尽されたものと思いますので、私は広報論を論じたい。
迂遠なれといえども今こそ、アメリカの、日本融和論者、日本を大陸及び太平洋のキーストーン(礎石)と認める論者を励まし、啓蒙し、増やして、謂わば、拡大版・金子堅太郎政策を進めることが肝要ではないでしょうか。
もう、二重封じ込め路線は、沢山です。北朝鮮という鬼っ子が出たことで、愈々、リアリスティックにも、人権重視論的にも、どちらが日本にとっても米国にとっても吉かということも、明らかになった筈です。このまま座して眺むるのみでは、北朝鮮の核とミサイルとで、日本は、三重に封じ込められかねません。(既にコンドリーサ・ライスなどからは、その論が出ている)
豆腐メンタル says:
9月 15, 2017
DANIELさんこんにちは。
お役にたてたのであれば光栄です。恐縮しています。
好奇心が満たされ考察が深まるのは私の方なのですが結果オーライということで。。
情けは人のためならずです。
ところで、宮脇淳子先生が『「歴史の父」ヘロドトスの説く世界観』という段落の中で次の3つがアジアに住む我々にとって重要であると述べておられます。
1/国家の盛衰を語るのが(西洋の)歴史である
2/世界の変化は、政治勢力の対立・抗争によって起こる
3/ヨーロッパとアジアは永遠に対立する2つの勢力である
基本的すぎて見落としそうですが、3もアメリカの西進の遠因と理解しました。
永遠に対立するとはもう運命としか。
兎にも角にも…覇権国にならないアジアの日本としては前提として2重3重に封じ込まれることを覚悟した舵取りが求められます。
>日本も今、大変に苦しいところです。トランプも、共和党的路線と民主党的路線の何れを選択するのか、不明です。
同感です。
覇権国の軍事と経済が複雑化しているのでしょうか。それともただ二大政党だからでしょうか。過去20〜30年間の”アメリカチャイナ経済同盟”は日本に何度目かの敗戦か占領期をもたらしています。
トランプがどう出るかと見守っています。
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/6826
問題は日本がどうなるのか分かりません。
佐藤先生の見立てだとノーガード戦法で大炎上ですね。
SATOKENJI says:
9月 15, 2017
どんな形の炎上になるかは、多分に偶然で決まるかも知れませんが・・・
Daniel says:
9月 16, 2017
>情けは人のためならずです。
豆腐メンタルさん、私にお情けを掛けていただいて、本当にありがとうございます。
ヘロドトスですか。確かに、彼の『ヒストリアイ』からは、そのような結論が見出せるのかもしれないですね。
私は寧ろ、彼の著述した、テルモピレーの戦いに関心があるのですがね。300人のスパルタ精鋭陣が、テルモピレーの要塞で20万人のペルシャ軍を退け続け、遂には玉砕で以てこれに応えたという。(映画にもなりましたよね)
何とも、ペリリューや硫黄島の防衛戦を思い起させるじゃありませんか。かの三島由紀夫は、これに痛く感激したそうですよ。
でもこれも、3/の範疇かも知れませんがね。
豆腐メンタル says:
9月 16, 2017
先生こんにちは。
講演頑張ってください!
DANIELさん。。苦笑
>私にお情けを掛けていただいて、本当にありがとうございます。
そんな意地悪しないでくださいー。
文章だと不安になるからそういうのなしでお願いします。
解釈が分かれる言葉はイカンと改めて反省しますのでどうかご無体はなしで。。
「人に親切にするのはその人のためではない。行為は回り回って自分のところに帰ってくるから、自分のためにしているのと同じだ」
という意味合いです。きっと不必要な弁解なのでもうやめますよ?!
気をとりなおして。
やはり語り継がれる男の物語とは決してイクメンとかではなく命を賭したものですよね。
今の日本では、平和憲法()のもと男の戦場は経済に限定され、しかもその経済も指揮系統がサラリーに呪われたとでもいいましょうか、ゾンビ化したとでもいいましょうか、ことによれば無限の撤退戦の様相です。
それにつけても理念無き格差社会の残酷なこと。。せめて設計しろ。。佐藤先生の次回作を待つしかないしがない身からすれば、いっそ炎上でもしてやろうかと、肩越しに見える悪魔は居ないことにしつつ三角座りするぐらいしかないのであります。
ちなみに映画「300」は私にこそ相応しいと確信しています。観ていませんが。
ギリシャ対ペルシアの戦いであれば3ですよね。
Daniel says:
9月 16, 2017
豆腐メンタルさん、こんにちは。返信ボタンが消えていましたので、直のコメントで失礼します。
>そんな意地悪しないでくださいー。
いや、失礼しました。ほんの軽口のつもりでした。不安にさせてしまい、誠に済みません。
誤解があるといけないので敢えて書きますが、実際の私は、至って大人しい、平和的な人ですよ。
>やはり語り継がれる男の物語とは決してイクメンとかではなく命を賭したものですよね。
そうですね。私は、イクメンなんて、やなこったです。甥っ子や姪っ子が来ると、母(甥姪からすれば祖母)は、子供目線で一生懸命遊んであげてますが、私はそれはやりません。妹から一度、「あんたも遊んであげなよ。」と言われましたが、「それはお前や祖母さんの仕事だ。俺は、伯父さんにしかやれないことをこの子たちに伝えてやる。」と言って理解してもらいました。
私は大体外へ連れて行きます。田んぼや川を覗いて蛙や魚、オタマジャクシを見たり。黄金色の稲穂に豊かに米が実っているさまを見せたり。飛んでる鳥の名前や鳴き声を教えてあげたり。花の一杯咲いている河川敷に連れて行ったり。神社に行って、手水場の使い方やお詣りの仕方を教えてあげます。
子供は大体大暴れしているので、夜よく寝てくれるとありがたがられてます。
弟の嫁さんがケチんぼで、絵本を図書館で借りてきて済まそうとするので、私が古本屋で絵本や図鑑を纏め買いして弟に渡しています。(妹は教育熱心なので、私が余り本を買ってやる必要はありません)
彼らがもう少し大きくなったら、キャッチボールくらい出来るだろうと愉しみにしています。昔は、男のいる家では、関西人のお家に必ずたこ焼き器があるように、必ずボールとバットとグローブがあったものですが、今のご家庭では必ずしもこの三種の神器がないので、いつかプレゼントしてやろうかなとも考えています。
良い学校に行ってもらいたいので、地域のトップ校などへいずれ連れて行ってあげようと、そして、この学校が、君らの母校になるところだよ、と暗示をかけてあげようと思っています。
2020年には、オリンピックを生で見せてあげるべく、東京を案内してやろうと思っています。
私がアメリカに行って、物凄く感銘を受けたので、いつか彼ら全員を、アメリカへ連れて行ってやろうと思っています。そして、私の行きたかった(行けませんでした(涙))MIT(マサチューセッツ工科大学)のキャンパスにも案内してあげたい。
テレビやゲームを、魚や水を与えるのは、女の仕事である一方、テレビではなく、生の世界を、魚ではなく、魚の獲り方を、水ではなく、井戸の掘り方を教えてあげられる伯父さんになりたいと思います。
それが、命を繋ぐ、ということだと思います。
豆腐メンタル says:
9月 17, 2017
私、メンタルが豆腐ですからぜひ忖度をお願いします()
>実際の私は、至って大人しい、平和的な人ですよ。
裏腹に危険思想をお持ちの方と存じてますが、DANIELさんの御親類との関わりは私の理想とする純文学的で知行合一的な態度。。とても羨ましいです。
私が子供の頃に抱いた大人に対する感覚が、そうだったのではないかと思うのです。この大人はいいヤツ、みたいな。ところが残念ながら私は未だこの域に達していません。
言い換えると大人はやせ我慢しているように見えてました。大人しく平和的であると同時に何かが腹にある。。不気味さではなく、覚悟を感じる。やせ我慢といえば福澤諭吉ですが、今はこのやせ我慢的な健全な精神の雰囲気が後世に伝わればいいなと思います。
ちなみにこれは自発的な我慢です。これに対し「ストレス社会」は我慢を強いられる構造です。
今回の先生の論考の題にもなった「核は開発したもの勝ち」な態度は「ストレス社会」の方です。核の恐怖に皆が我慢させられている。
体制の危機とはいえ、利益のためや打算で核開発をするのですから、我慢と誠実さが欠如していて国の風上にも置けない。
一方、日本社会でも「やったもの勝ち」が著しくなっています。
「私」は「ストレス社会」に先制攻撃されているのだから仕返しするは当たり前だ、という理屈だと思います。この隠にこもった意志に対する抑止力とはなんでしょう。。
「公」は英語でパブリックで「開く」という意味を含み、「私」は同じくプライベートで「閉じる」という意味を含むとされます。
利益や打算ではなく「公」を活用し、「私」の「閉」じた意志を「開」かなければ。回り回って皆に影響します。これを抑止力とするのが大人というものではないでしょうか。
もちろんこれは日本経済の根本にあるべき態度かと思われます。もし無いのであればやせ我慢が足りんのです!誰のって”お上”の。
Daniel says:
9月 17, 2017
豆腐メンタルさん、こんにちは。お返事ありがとうございます。
>私が子供の頃に抱いた大人に対する感覚が、そうだったのではないかと思うのです。この大人はいいヤツ、みたいな。ところが残念ながら私は未だこの域に達していません。
ただただ私は、弟や妹の子供達を、心から愛しているだけです。弟妹は、何事にも頑張ってきた。兄貴に不満があってもね。その子達も、幸せに人生を送ってもらいたいと念じているだけです。それでよいのでは?
>「私」は「ストレス社会」に先制攻撃されているのだから仕返しするは当たり前だ、という理屈だと思います。この隠にこもった意志に対する抑止力とはなんでしょう。。
さあ、私にも分りません。ただね、一つ、日本はこの件で騒いでますが、例えば北鮮が、この件で、長期的に、国際社会の信頼が得られると思いますか?絶対にそれはない。右往左往している韓国が、中国が、ロシアが、今後も国際社会の信頼を得られると思いますか?
謀略が得意な国は多々あります。でも、それが、国際社会で尊敬を得られていますでしょうか。謀略は国家の常ですが、そこに誠がない限り、長期の信用を呼び起す要因は、無いのです。
日本の針路は間違ってない。私はそう思います。もう日本はお仕舞だ、なんて意見は、保守派であっても結構あります。でも、私に言わせれば、そんなの、チャンチャラ可笑しい。だって、私のような者だって、アイデアは、結構出してますよ。日は、これから輝くのだと、私は強く主張します。
私は、左派に下った経験が、一切ない。日本蔑視教育には正直、大分削られましたがね。でも、生れながらの保守です。弟妹にも、愛国教育を施しました。
小渕政権の時であったでしょうか。私は、亡き父から、「これから、日本は変るなぁ。これまで、一億総中流路線で来たが、これからは、一部のエリートが世を引っ張るという、アメリカ型のモデルになるだろう。結果が良ければいいんだが。」と言われて、正直動揺しました。
父は、高卒、工業高校卒ですよ。でも、父には、分っていた。日本が今後、苦境に陥ることを。
私もその後、別に父の意向を受け継いだ訳でも、全然その意識でもなかったのですが、でも、結果的には、父が築いてきた理想の社会を、私が受け継がせてもらうと、心深く誓う羽目になりました。
昭和の男の戯言ですかね。、ま、こんな意見もあるわけです。
Daniel says:
9月 18, 2017
>「公」は英語でパブリックで「開く」という意味を含み、「私」は同じくプライベートで「閉じる」という意味を含むとされます。
>利益や打算ではなく「公」を活用し、「私」の「閉」じた意志を「開」かなければ。回り回って皆に影響します。これを抑止力とするのが大人というものではないでしょうか。
豆腐メンタルさん、ここ、とても重要だと思いますよ。というのは、昨今の若者(←こういうと最早、完全にオジサンですが)は、或いは世の中は、この感覚が、完璧に狂っていると思うからです。
彼らには、開かれたパブリックの意識は殆どなく、社会は、閉じたプライベートと、その他の「よその世界」かの、いずれかなのです。パブリックの意識は、誠に極小です。
だから、コミュニケーションを簡単に遮断する。私は、それと同時に、彼らの瞳の光が落ちる様を何度も見てきました。自分の世界以外は、一切付き合いたくないのです。パブリック(様相を異にする人とも一応ちゃんと付き合う)が無いからです。今の若者が飲み会に参加しないのは、そういうことです。単に忍耐力、パブリックに対する耐性がないのです。
こっち(古いオジサン?)は、そんな人間が世の中に存在するとはよもや思わない訳ですから、普通に接していると、一方的な肘鉄を喰らいます。彼らのプライベート空間を、私が知らずに侵食していたからでしょう。昔は、目上の人間に対し、そんな無礼なことは、誰も出来なかったんですがね。我々は、それは、パブリックなことだから、例え嫌でも、甘受せねばならない、場合によっては、そこから自分の及ばない何かを学べるかもしれないから、と思っていたのですがね。
要は、彼らは、大人でないのです。余りにも子供じみている。でも摩訶不思議。彼らは、パブリック空間が無いことこそ、「大人」の証明だと信じ込んでいるのです。この倒錯した結果は、ゆとり教育の影響なのか、他の何かの影響なのか、特に左翼思想がそれに絡むと、結果は深刻です。
例を挙げましょう。今時の若い女性が、人を拒絶する魔法の呪文は、「キモイ(気持悪いの略)」です。無敵のワード。この呪文には、誰もが退散するしかない。対して、西日本には、これに似て非なる別のワードがあります。「キショイ(気色悪い)」です。
「キモイ」が、どこまで、どこまで行っても「私(プライベート)が気持悪い」の意味しか持たないのに対し、「キショイ」は、私が気色悪いだけでなく、世間でも気色悪いと認定されるよ(これこそ、パブリックの意識です)、という意味を含味しているのです。
私は、数多くの肘鉄を喰らって、最初は、若者の心を掴めない私に問題があったのだろうと、理由はよく分らないが、悪いことをしたのかなぁと反省頻りでしたが、(しかも、世はパワハラとかセクハラとか騒がれ、昔よりも全然若者を叱れなくなっているのです。私達は、竹刀を持っている上司がいたり、上司に土下座させられたり、飲み会で男芸者をさせられたりと、幾分酷い扱いを受けたのですがねぇ。)どうもこのからくりに気付いてくると、俺、全然悪くないじゃん、と分りました。
パブリックの分らない若者は、世の中は、私達が叱る必要がある。徹底的に叱ってやろうと、今は思い定めています。甘えた人権思想も何も、無いもんだ。だって、パブリックなけんば、社会が成立しえないのですから。
東京で小池知事が支持されるのも、大阪で橋下が支持されるのも、嘗て全国的に小泉が支持されたのも、ほぼ同じ理由だと思いますよ。政治(パブリック)と、生活(プライベート)が遊離している。
だから、選挙結果なんて、「よその世界」なのです。小泉は言いました。郵政民営化をすれば、経済も外交も何もかも、何もかも、全て良くなると。私はその言葉を聞いた時、耳を疑いました。頭を疑いました。でもそれで、一体全体、良くなりましたか?全く逆でしょう。
だから小池に騙されて、豊洲は散々、首都高も五輪に間に合わない。困るのは都民なのに、誰も誰も問題意識なんて皆無です。それどころか、キャー、小池さん!とか、未だにやっている訳です。
都民は、大馬鹿揃いだ。もう一度言う。嘗て都民だった私が言う。お前達は、馬鹿者揃いだ。日本の首都なのに、その責任を全く果してない。
目を覚ませよ、別にそれはそんなに難しい訳ではない。常識、パブリックを取り戻せば、それで済む筈の話なのです。
Daniel says:
9月 19, 2017
あれー、私(古臭いオジサン)の大暴言に対して、誰も突っかかってくる奴、反論する輩、いないんですかねぇ。あーぁ、つまんねーな。
玉田泰 says:
9月 17, 2017
この記事を読んで、後は実行あるのみと思いました。
そこで、まず水と保存食を用意しました。それから爆風を考え、窓ガラスにフィルムを張ろうかと思いましたが、確認すると窓ガラスは鉄線入りでした(そう見るまで開き目暗でした)。そして、いざという時の速やかな自決の仕方を調べて、その際は首を吊るのが効率的と考え、ロープとフックを購入しました。ついでにラジオの予備の電池も。
でも、やはり平和ボケですね。それしか思い付きません。
何を準備すれば良いのでしょうか?
SATOKENJI says:
9月 17, 2017
・懐中電灯、ロウソク
・応急医薬品
・使い捨てカイロ
ここらへんではないでしょうか。
玉田泰 says:
9月 17, 2017
早速の助言、ありがとうございます。
先ほど近所のドラックストアで買い足してきました。
その店内で思い出したのが、一昔前のトイレットペーパー騒動(ありましたよね?)。あの程度でパニックになれる国民性なのだから、どのような下らない切っ掛けでもいいから、せめて今、プチ「炎上」してくれないかなと連想した僕は、きっと絶望が足りないのでしょうね。
GUY FAWKES says:
9月 17, 2017
私的に準備すべき存在は他にもあると考えます。
西部邁(叡智教鞭&お説教顧問)、佐伯啓思(自称絶望が足りない人達へ耳が痛い事をズバズバ言う顧問)、
小浜逸郎(実践的保守行動顧問)、富岡幸一郎(みんなのまとめ役&良心的存在顧問)の表現者四賢人。
そして、藤井聡(土建かせんといけん参与)、佐藤健志(ポップカルチャー&ダンス部隊隊長)、
施光恒(国語教育熱烈推進担当)、中野剛志(冗談は吉田松陰事務次官)、柴山桂太(静かなる保護主義担当)。
機動性溢れる財政出動的バックアップは三橋貴明さんにお願いしましょう。
他に必要な存在はいらっしゃいますか!?…失礼しました、敬愛故の冗談ですorz
玉田泰 says:
9月 18, 2017
これは、僕の駄文へのコメントと受け取ってよろしいのでしょうか?
驚きと共に嬉しくなりました。
GUY FAWKESさんが名前を挙げられた皆さんは、全員、錚々たる策士wですね。
「土建かせんといけん」とのフレーズに、内心思わずニヤリとしました。
ありがとうございます。
豆腐メンタル says:
9月 19, 2017
DANIELさんこんにちは。返信ボタン再消失につき。
まぁまぁ…そんなにやさぐれないでください。
相変わらず経験の裾野の広さを感じられるお返事です。
隅々まで丁寧さを感じるのですが敢えて挙げるならキモいキショい理論が面白かったです。ありがとうございます。
今の“若者”に対する嘆きはよくわかります。。私もおっさんですし。多かれ少なかれ皆が感じてますよ。
ただ、この嘆きは国を超え時代を超え営々と続いてきたとも思えます。
以下少々批判的になるかもしれませんがよろしくお願いいたします。
若者は社会の新参者故に我慢を強いられます。
まず社会のルールや仕組みを教えられる。徒弟の仕組みなどはわかりやすいですね。
技術や考え方のみならず職業倫理を通した生き方が穏やかに長いスパンで教え込まれます。
この場合若者の我慢は建設的な我慢となり、組織の構成員として、ひいてはレジリエントな意味合いで社会に迎え入れられます。
しかし次の可能性も高い。既得権益側が若者に我慢を強いる場合です。「風通しが悪い」なんて言われたり、搾取的色合いが濃い社会で、分断されひ弱さがにじみ出てきます。
もちろんクッキリと色分けできるはずもありませんが「傾向として」ぐらいで止めおいてください。
私豆腐メンタルはどちらかといえばリベラルな考えに傾いていると自分を理解しています。
現在の日本のリベラルはだいぶねじ曲がっって、途中で異空間に没入してますので、どうか一緒にしないでもらいたいところですが。。
そんな私から社会を眺めると、伝統や統率や競争は乱暴でもあるんですね。ある意味「先制攻撃」を仕掛けている。
なので若者は反発したり、これまでの社会や組織の経路を変革していくことになります。ロックンロールつうやつですね。または前衛(覚えたて)ですね。
このような “時代の流れ”が繰り返されるため、若者は国を超え時代を超え嘆かれる運命にある。「俺たちの時代はこうだった」「最近のやつらはわかってない」なんて赤提灯やネットでクサされる。
しかし先も述べましたが、ある意味先制攻撃されているのは若者側です。また本質的には保守がリベラルに優っているわけでもその逆でもなく、それぞれは車の両輪のような役割に見えます。
「ナショナリズムとグローバリズム」も同じ構造でしょうし、中野剛志先生の日本の政治的なマトリクスも、マトリクスのある位置が正しいということではなく、「システムのバランス」と「選択肢の意味」が重要であると理解しています。
まとめられるかどうか笑。
若者を叱ってはいけない、ではもちろんありません。おかしいと感じたら自分の信じる価値観で批判するのがいいと思います。ただ「こっちは正しい、お前は変だ」では理解するのに時間がかかりすぎるかもしれません。そう思うのが私がリベラルたる所以なんでしょうね。
ただそんな私が、日本はホシュもリベラルも、ワカモノもオトナも同時におかしいな感じ、その思いをここで様々な切り口で先生に見せていただけています。
あとは。。どう行動するかという方向性だけでも示されればという願望があります。
Daniel says:
9月 20, 2017
豆腐メンタルさん、お返事、本当にありがとうございます。私、こういう反論を、待ち望んでいたのです。何だか、GUY FAWKESさんも、私を危険人物と認定したのか、全然絡んでくれませんしね。寂しいですよ。
>隅々まで丁寧さを感じるのですが敢えて挙げるならキモいキショい理論が面白かったです。ありがとうございます。
あれ、本邦初公開ですよ。著作権を行使したいくらいですが、そんな野暮なことは、致しません。引用なしで、誰も彼も、ご自由に使って下さい。
>そんな私から社会を眺めると、伝統や統率や競争は乱暴でもあるんですね。ある意味「先制攻撃」を仕掛けている。
>
>なので若者は反発したり、これまでの社会や組織の経路を変革していくことになります。ロックンロールつうやつですね。または前衛(覚えたて)ですね。
豆腐メンタルさんのご指摘は正しいと思いますよ。実は私だって、既存の不合理な体制や理屈と戦ってきた歴史があるのですよ。
最初のそれは、中学生の頃です。嘗て、小六くらいのことでしたかねぇ。漫画『キャプテン翼』が大流行となり、男の子の関心が、一気に、野球からサッカーに移ったという経緯がありました。私は、それ以前から、サッカーに可能性を感じ、それにのめり込んでいたので、今こそ我らの時代がやってきたんだと、興奮しました。(伯父さん(母の兄)が、お前は何でサッカーなのか、と、野球じゃないのか、と詰問されたことを今も覚えています。大きなお世話だよ、伯父さん(でもこの伯父さんは、さすが母の兄だけあって、冗談が物凄く面白いのです))
※因みに、私は別に野球嫌いではなく、今も、贔屓球団が勝つと、無上の喜びです。野球戦術だって、一通り分りますよ。今も、バッティングセンターに行くのが、とても楽しみです。広島球団、優勝おめでとう。
中学生になった時、遂に我々は、サッカー部設立の欲求に悶えがたくなりました。そして、サッカー部設立に盛り上がる同級生は、遂に校長先生への直訴を決めました。血気にはやる彼らに対し、実現の可能性を危ぶんだ私は、待ったを掛けました。大人を説得するのには、具体性が無ければならない。練習の場所、時間、指導者、他校との練習試合の可能性など、色々と詰めて、簡単な文書さえ作成しました。
万全の準備(所詮、中学生の考えることですがね)をして、校長先生との交渉に及びましたが、校長先生の回答は、峻厳でした。曰く、たった一言、「サッカー部設立には、前例がない。」と。我々の請願は、無情にも拒絶されました。
私は、心底怒りました。そして心に誓ったのです。「前例がない」という大人には、自分は絶対になるまいと。今のところ、私はそれを守れています。
しかし、後には、私の妹が同中学校に行く頃には、世の流れには抗し難く、サッカー部が設立されていたそうです。でも、その頃は既に少子化で、そもそもレギュラー陣が確保できないというジレンマに苛まれていたそうです。
阿呆か、と心が煮えくり返りました。絶対に許すまじ、絶対に許すまじ。不劇けるな。でも、恐らく当時の校長は、絶対に、絶対に非を認めないでしょう。同好会、っていう手さえなかったのか。私は機会があれば、彼に刀を向けてでも、自分が間違っていたと言わせたい。彼が死んでても、墓に唾を吐く。
例え大人の事情があったとしても、あの回答はなかったと思いませんか。
もう一個だけ挙げます。それは、正にゆとり教育が実施されようとしていた頃でした。兼ねてその政策の危険性を認識していた私は、偶々ですが、文部科学省に勤めている知人に、これまでの教科書の三割を削減するなんて、狂気の沙汰だ。円周率は三ではないし、化学の教科書から、周期律表を削減するなんて、馬鹿げている、一体どれだけ馬鹿げているのか、分っているのか、これは、子供たちから、学習権を奪う愚民化教育に他ならない。子供達から、勉強の権利を奪うな、ハッキリ言ってこれは、憲法違反だ。実際問題、日本には資源がない。人材だけが資源なのに、何を考えているんだ。これで笑うのは、日本を敵視する外国だけだぞ。明治以来のメリトクラシーに、お前たちは大穴を開ける気か。
と、真剣に訴えました。彼は真面目に頷き、少しでもと働きかけてくれましたが、やっぱり多勢に無勢。お蔭で、日本有史以来の「ゆとり世代」が、盛大に生産されてしまいました。
私は時々、ゆとり世代をくさしていますが、本当のことを言うと、あの時、彼らの世代を救えなかったことを、とても悔やんでいるのですよ。本当にごめんなさい。やはり想定した通り、膨大な社会資源の損失に繋がりました。現場でそれを支えねばならない我々をどうしてくれるのですか。PISAは、80年代は、日本は断トツのトップでしたが、今は、そこそこに成り果ててしまいました。所謂ゆとり教育が止んだとされる現在でも。近い将来、ノーベル賞受賞者は、日本からは皆無になることでしょう。
これはほんの一例です。自分は、こんなのの連続ですよ。あんまり言及すると、怒りに我を忘れて、色々書き散らしかねない。(笑)
保守って、単なる旧套墨守ではないのですよ。良き日本を保守したいのです。
>若者を叱ってはいけない、ではもちろんありません。おかしいと感じたら自分の信じる価値観で批判するのがいいと思います。ただ「こっちは正しい、お前は変だ」では理解するのに時間がかかりすぎるかもしれません。そう思うのが私がリベラルたる所以なんでしょうね。
>
>ただそんな私が、日本はホシュもリベラルも、ワカモノもオトナも同時におかしいな感じ、その思いをここで様々な切り口で先生に見せていただけています。
甘い。私はそう思います。価値多元主義に、そんなに意味がありますか。例えば、欧州は、それを本気で実践して、今は大いに往生しています。アメリカはどうですか。いわゆるポリコレ(political correctness)は、価値多元主義の権化ですが、それがアメリカに福音をもたらしましたか。そうじゃないから、トランプ大統領が誕生したんじゃないんですか。
おかしいことは、やっぱりおかしいんです。これは価値の差ではない。大人と子供の差です。知恵と、思い付きの差です。例を挙げましょう。嘗て共産主義が一世を風靡した時代が続きました。残念ながら今でさえ、教育界や、マスコミ界では、これが支配的です。確かに彼らの資本主義攻撃の理には、実があった。しかし、彼らの労働価値説に、実がありましたか。階級闘争史観に、実がありましたか。
私に言わせれば、マルクスの考えなど、単なる思い付きです。凡そ人類の「知恵」ではない。冷戦が完全に終結した今でさえも、池上彰とか、佐藤優とか、マルクスに学ぶべき思想があるとして、今もって資本論に沿った著作をモノしている始末。ハッキリ言って、国際的に、恥晒しです。
これを、価値多元主義に立って、肯定していては、世がおかしくなりませんか。こういうのを、古い日本語で、糞味噌というのです。
自信を持って、おかしな若者を、世の中を、叱るべきです。だってそれは、大人の務めですもん。
豆腐メンタル says:
9月 20, 2017
もちろん私もGUY FAWKESさんのファンですがいきなり名指しって。ヤカラじゃないんだから。笑
>私は時々、ゆとり世代をくさしていますが、本当のことを言うと、あの時、彼らの世代を救えなかったことを、とても悔やんでいるのですよ。本当にごめんなさい。
これすべての大人に噛み締めて欲しいです。これからもこういうことは起こります。
ゆとり政策の是非ではありません。道を誤ったと認めるのか、それとも無かったこととして済ますのかという点です。
折しもトランプは国連演説で拉致に言及しました。日本人はどうしてきたでしょう。もちろん私も含めてです。
憲法との兼ね合いだの、対話と圧力だの、最大限の努力だのと言い連ねてきましたが、主体的に誰一人救出できなかった。この事実を認めるのか、それとも無かったこととして済ますのかということと同じです。
ここにあるのは、由らしむべし知らしむべからずの手前勝手な言い訳と責任回避じゃないでしょうか。厳しく言うなら、権力と保身に抜け目がないニヒルな大人の寝言です。
権力や高い地位や立場があれば短期的には誤魔化しや摩耶かしが通用するでしょう。
その誤魔化しと摩耶かしは今、ミサイルで吹き飛びそうですが。
その時になって「実は。。」とか言うのでしょうか。あまりにお粗末です。
そんな弛んだ精神など木に縛りつけて張飛のような勢いでガンガン殴りたいです。
とまぁ、リベラルだろうが保守だろうが “喝”をいれたくなるし、違う角度からなので批判の幅が広がると思うのです。また、中央指導層の政策は強力です。政治的スタンスとは関係なく大人ともなろうものなら誰しも立派な鬱憤がたまります。
全体をブラッシュアップする批判という視点は政治スタンスとは無関係です。最近どこでも言われていますが、前提にも関わらず今の日本に欠けているとも言える態度です。
端折りますが、だからこそ「成長が大切」と考えるようになりました。スタンスに関係なく鬱憤や歪みを緩やかにしてくれる建設的なプロセスだと思います。
「公または全体」は健全でなければなりません。小さな政府などクソ食らえです。少なくとも今はデフレなので大きな健全な政府がいい。
>これを、価値多元主義に立って、肯定していては、世がおかしくなりませんか。こういうのを、古い日本語で、糞味噌というのです。
甘いですか。正直まだピンときてはいません。
また端折りますが、私は「車の両輪理論」が好きです。価値多元主義なのかもしれません。(その言葉を今日初めて調べました)
あるスタンスやモードで成功すると、その成功が次の失敗を呼び込む。
これを回避することこそが重要だと考えました。
これまでのところお気に入りは「車の両輪理論」でした。
しかし先生には戦後の改革路線の視点を教えていただきました。
回避を目論む結果、改革を選んではいないか、ということが気にかかっています。
今もまとまりのない頭の中です。
ともかく糞味噌は私も望むところではないのでDANIELさんはもとより、この至らぬ脳味噌の文章を読まれた方は”お力”をお願いしますね。
Daniel says:
9月 23, 2017
おお、久し振りに骨のある反応が得られて、とても嬉しいです。ありがとう、豆腐メンタルさん。うーん、私は、こういう本気対応を好むから、今の若者、特に女性諸君に嫌われるんですかねぇ。(本当は、嫌われたくなんか、無いんですが、これも時代の所以ですかな?)
>折しもトランプは国連演説で拉致に言及しました。日本人はどうしてきたでしょう。もちろん私も含めてです。
> 憲法との兼ね合いだの、対話と圧力だの、最大限の努力だのと言い連ねてきましたが、主体的に誰一人救出できなかった。この事実を認めるのか、それとも無かったこととして済ますのかということと同じです。
>ここにあるのは、由らしむべし知らしむべからずの手前勝手な言い訳と責任回避じゃないでしょうか。厳しく言うなら、権力と保身に抜け目がないニヒルな大人の寝言です。
ここは実は、私も、深刻にそう思いました。私は拉致被害者にちゃんと向き合ってこなかっただろうと。…本邦初公開ですよ、このこと。私は大学生当時(在東京)、まだ全く拉致被害が話題になっていなかったことのことです。新潟県に試合の遠征に行っていたことのことです。新潟の大学生は、日本海に、不審船や、不審な潜水艦らしきものが出没していると、怖いと、何らかの工作を行っているんではないかと、飲み会で彼らは明かしてくれました。
拉致被害のことを後に知ってから、私はだから、ピンときました。あぁ、あれだったのかと、酷いと思ましたよ。でもそれから、日本は為す術がなかった。私も為す術がなかった。生活に、汲々としていたのです。
だからトランプ大統領が、横田めぐみさんのことに言及した時は、背筋が凍るような衝撃を覚えました。これは、長い間、当の国民が等閑視していたこと、そのものではないかと。正直、心恥じるものがありました。
しかしトランプ大統領の本領としては、成程、こういう姿勢が、米国民の心を捉えたのかと。そして、全く、全く遅ればせながらも、機を逸せず、それを言わせた安倍総理は、中々かと。恐らく、機を狙っていたのでしょう。オバマ政権の時は、こういうことは、全然、絶望的でしたからね。
もし大統領がヒラリーになっていたならば、所謂、私のいうところの、「日本は三重に封じ込められる」路線まっしぐらだったでしょう。
兼ねて言っている通り、私は安倍総理が嫌いで、彼の政策に反対しています。でも公平に言って、その功績を認めずんば、我が「保守」の道も成り立たず、ですよ。
>端折りますが、だからこそ「成長が大切」と考えるようになりました。スタンスに関係なく鬱憤や歪みを緩やかにしてくれる建設的なプロセスだと思います。
> 「公または全体」は健全でなければなりません。小さな政府などクソ食らえです。少なくとも今はデフレなので大きな健全な政府がいい。
ありがとうございます。大きい政府、万歳!(ちゃんと理論的且つ実際的な根拠、あるんですよ。豆腐メンタルさん以外の論者、不服なら、掛かって来なさい!)高橋洋一教授にだって、負けません。(…ホントかな?…玉砕したら、骨だけは拾って下さると幸いです)
>これまでのところお気に入りは「車の両輪理論」でした。
豆腐メンタルさんの言われる「車の両輪理論」なるものが、どんなものかは文面だけではちと分りかねますが、もし、二項対立のことをそう仰るのであれば、それは少しばかり変かなとは思いますが。それ以上のことであれば、教えていただければ幸いです。
>”お力”をお願いしますね。
私の力の及ぶ範囲であれば、幾らでも(笑)
では、これからもよろしくお願いします。
GUY FAWKES says:
9月 23, 2017
少しご無沙汰しておりましたら常連メンバーの方々に名前を挙げていただきました、欣快の至りです。
まず私の立場を予め申し上げておきますと現在20代半ばの所謂「ゆとり世代」です。
DANIELさんのお嘆きは私の父の世代もよく述べられてはいますし、私自身も一応のこと、
現代の若者として同世代に対して少なからず憤懣やるかたない感慨を覚えなくはないですが、
申し訳ありませんが、長々と申し上げさせていただきたく存じます。
配慮は致しますが遠慮は致しません、どうかご了承ください。
まず、コミュニケーションとは双方のやりとりで成立すると思います。
目上先輩、同輩同僚、部下後輩問わず、様々な内容において自分が相手の話を聞いている様で
実際はあまり理解していなかったことは往々にしてあります。
例えば、端的な引用ですが中野剛志さんも『真説・企業論』において「人を見極めることの難しさ」
について述べられておられ、起業への支援も結局は学歴や既存企業の事績によって判断されていると指摘しています。
>例を挙げましょう。今時の若い女性が、人を拒絶する魔法の呪文は、「キモイ(気持悪いの略)」です。無敵のワード。この呪文には、誰もが退散するしかない。対して、西日本には、これに似て非なる別のワードがあります。「キショイ(気色悪い)」です。
>「キモイ」が、どこまで、どこまで行っても「私(プライベート)が気持悪い」の意味しか持たないのに対し、「キショイ」は、私が気色悪いだけでなく、世間でも気色悪いと認定されるよ(これこそ、パブリックの意識です)、という意味を含味しているのです。
とても興味深いご指摘です、しかしお言葉ですがこの時点でDANIELさんは一種の自己絶対化に陥っているとも言えます。
前述しました通り、コミュニケーションとは相互のキャッチボールです。
それはDANIELさんもお分かりの通りですが、其々の意見が交わったり激突したりすることで
パブリックが生まれる。ですが、これは「若者が子どもだから〜」単純に一方が、
というか老若男女何人たりともプライベートに逃げようと、避けようと思ってできるものではないと
言わせていただきます。
それこそ、逃げようとして逃げられるほど現実の社会というものは甘くない筈です。
これは私も経験がありますが、自分は公(パブリック)について語っている様で相手からすれば
私(プライベート)をひけらかしているとしか受け取られない場合がこれまた往々にあります。
失礼を承知で申し上げれば、それらを「若者は忍耐力も公共心もないから飲み会を嫌がる」
と一概されては堪ったものではありません。それに飲み会は無礼講という言葉もある通り、
お酒も入ることから公と私の境界線が曖昧になる余地が孕まれます。
人間が常にそこまで理性的でいられるのならば、それこそ現実の様相は相当に異なっている筈です。
>私は、数多くの肘鉄を喰らって、最初は、若者の心を掴めない私に問題があったのだろうと、理由はよく分らないが、悪いことをしたのかなぁと反省頻りでしたが、(しかも、世はパワハラとかセクハラとか騒がれ、昔よりも全然若者を叱れなくなっているのです。私達は、竹刀を持っている上司がいたり、上司に土下座させられたり、飲み会で男芸者をさせられたりと、幾分酷い扱いを受けたのですがねぇ。)どうもこのからくりに気付いてくると、俺、全然悪くないじゃん、と分りました。
DANIELさんが今までどの様なご経験や境遇の下に日々を過ごされてきたかは存じ上げません。
ですが、お気を悪くされることを承知で申し上げれば、手段が口頭か力かは兎も角「きちんと若者を叱る」
ことと「セクハラ・パワハラ」が峻別できずに公と私の境界などあり得るでしょうか?
これもまた認識が違えることとも思いますが、当の若者からすれば
「私達大人はパブリックを理解しているのだから」という前提で端から面と向かわれては
「若者はどうしようもない」と思われるのもある種当然です、
それは「キショい」という言葉と同様に結論ありきなのですから。
>あれー、私(古臭いオジサン)の大暴言に対して、誰も突っかかってくる奴、反論する輩、いないんですかねぇ。あーぁ、つまんねーな。
その様なロックな発言には同意いたします。確かに現世は退屈で死ぬにも生きるにも値しない(©️西部邁)世の中であります。
では、DANIELさんにも佐藤先生にも失敬して申し上げますが、他の方は兎も角、
少なくとも私は「面白いか、つまらないか」は徹頭徹尾「プライベート」に属する概念と考えます。
それを「パブリック」へと転化させることをさも是とするのは、はっきり申し上げて『炎上』を安全地帯で
高みの見物がしたいとお考えだとしか受け取れません。
確かに若者は本質的に未熟であります、ですが関わりを避けられたことに
「肘鉄を食らう」という表現は適切ではありません。
単に彼らがDANIELさんから距離を置こうとしただけのことなのです、憚りながら。
>私は、心底怒りました。そして心に誓ったのです。「前例がない」という大人には、自分は絶対になるまいと。今のところ、私はそれを守れています。
お言葉ですが、それは本当でしょうか?
残念ですが私がお見受けするに『経路依存性』への無理解があるのではないでしょうか。
DANIELさんは「価値多元主義に、そんなに意味がありますか。」「しかし、彼らの労働価値説に、
実がありましたか。階級闘争史観に、実がありましたか。」と仰りますが、
共産主義への評価は別として私からすればそれらに胡座をかいて経路を築いてきたのは
他ならぬ今の大人達(その実、大人のフリをした子どもであったとしても)ではないですか?
ここまで書いて回りくどいでしょうか、でははっきり申し上げれば結果論としての産物でしかない若者を
そうやって叱り飛ばしても彼らは白眼で離れていくだけです、情けないと思われるかもしれませんが彼らは憤りさえしません。
若年層の死因トップが自殺を飾る現代日本で若者にそんな元気、ないしは蛮勇は存在していないのです。
数ヶ月前、自衛隊特殊部隊の創設に関わった方のとある雑誌連載でこの様なことを仰っていました。
「人事データを見るだけ相手のことは理解できない、相手とのごく普通の会話が頭に残っていただけだ。」
更にこうも続きます「理解の程度は記憶力の問題ではなく、『相手にどれだけ興味を持っているか』によるのである。」
「『部下のことが理解できない』というのはよく聞く話である、それは一緒に勤務する仲間に興味を持っていないと宣言しているのと同じである。」と。
話を戻しますが、もっと言えば「良き日本」とやらがあるとして、ではどうしてそこまで異常な思想なり様相が
日本人の間で幅をきかせたのでしょうか?GHQによる「WGIP(ウォーギルトインフォメーションプログラム)」でしょうか?
コミンテルンによる「敗戦革命」の謀略でしょうか?
違います、右も左も、政治も経済も、全てのことは同じ日本人が脈々と作り上げ、渾然一体となって出来上がり、
それを継承していったのです。お気持ちこそ理解できますが、事はそんな単純ではありません。
日々薄給と理不尽の中でやりくりしているのはお互い様であるのに「今の若者は感覚が完璧に狂っている」
というご意見を唯々諾々と受け入れる訳には参りません、ふざけた物言いをお許しいただければ
面白くなるかどうかもお互い様という訳です。
「おかしな若者を批判する」ことは、大人かどうかは兎も角「自分が正気である」証明になるとは限りません。
また、何人たりとも自信をお持ちならば、相手を納得させる義務が生じることはそれこそ論を俟ちません。
確かにパブリックなきところに社会なき、ですが何かを悪者にしてそれを叩けばどうにかなるという
その発想は正しく小泉・小池劇場の延長線上、むしろ、それこそが元凶の萌芽だったのではないですか。
若人に理不尽で辛い思いをさせれば大人になれる、というのであれば自分の言葉に耳を傾けさせ、
それを理解させるまで全てこちらの責任です。
私事ですが、私は大学時代に熱心に日本の所謂・異常性を熱弁したところ、友人達から
「お前にはバランス感覚がない」と一時期離れられてしまいました。
また、少なくとも豆腐メンタルさんは「どっちも変だ」としているだけで、「みんな違ってみんないい」などと
価値多元主義、ないしは価値相対化・多文化主義に落とし込んではいない。
それどころか佐藤先生の仰る「右の売国、左の亡国」の本質に極めて忠実に述べられておられるだけです。
DANIELさんが「俺、悪くないじゃん」と思われるのは無理もありません、
何故なら本当に「特定の誰某が悪い」のならば事態がここまで拗れている筈がない。
このブログで語られた『経路依存性』や『平松テーゼ©︎』をお借りすれば、
安易な決めつけはより一層の事態悪化を招きかねない。
誤解なきよう申し上げますが、私はDANIELさんの苦闘と理不尽の経験を否定するつもりは毛頭ありません、
それどころか私自信がその辛さに深くお察しする所存です。
良き日本を保守するのは今までの流れを俯瞰した上でのメンテナンスです、その流れとは一から繋がっていて、
美味しいところだけを継ぎ接ぎできるものではありません。
そんなことをすれば、昨今話題の『炎上』の原因の1つである「認知的不協和」を来すことは自明の理。
それはレーニンや毛沢東、そしてポル・ポトがやってきた所業と重なってなりません。
豆腐メンタルさんのご発言を引き継がせていただければ、「保守主義」と「価値多元主義」に決定的な差異があるとすれば
それは「いつ如何なる時も自分に一抹の留意や内省的な洞察が担保されているか」だと思っています。
前者にはそれがあるのに対し、後者は「これはいい、あれもいい、そして何よりそれを宣う私は常に正しい」
というご都合主義的な八方美人が透けて見える。更に申し上げれば、この両者を履き違えてしまうことは
誰にでも容易いという危うさもあると確信しています、権威主義と保守主義を履き違える醜い誤謬が。
最後に一言、どんな人間も結局は「ただの人間」の域を出るものではありません、良くも悪くも。
失礼ながら、DANIELさんや豆腐メンタルさんはただのおじさん、そして私もただの若造でしかありません。
豆腐メンタルさんにもファン宣言という荷が重いお言葉を、よりにもよって佐藤先生のブログをお借りして頂戴しました。
私は臆病者ですから何度でも申し上げますがDANIELさん、どうかお気を悪くしないでください。
私は貴方のファンでもあるのです、私の父もDANIELさんの様な憤懣と鬱屈を抱えていつも実家で私と飲み交わしていますから。
貴方が腹を割ってお話ができる御仁であるという信頼故に書き込ませていただきました。
長々と若造の戯言を書いてしまったこと、またこの場を私物化する様にお借りしたことを改めて陳謝致します。
追伸:なお、私は大きな政府には元より賛成しております。
佐藤先生が中野さんとの共著『国家のツジツマ』で語られた様に、資本主義でも共産主義でもない
『本格保守主義』の均衡を実現すべく至らぬ頭脳で勉学し、そして願っております。
Daniel says:
9月 24, 2017
おぉっと、やっぱりGUY FAWKESさん、怒っておられたのですね。私に対して。やっぱりやっぱり、そうだったのですね。(なぜか嬉しい。どうしてなんだろう?)
>自分は公(パブリック)について語っている様で相手からすれば私(プライベート)を
>ひけらかしているとしか受け取られない場合がこれまた往々にあります。
> 失礼を承知で申し上げれば、それらを「若者は忍耐力も公共心もないから飲み会を嫌がる」
>と一概されては堪ったものではありません。それに飲み会は無礼講という言葉もある通り、
>お酒も入ることから公と私の境界線が曖昧になる余地が孕まれます。
ははぁ、ここは、私に対する批判ですね。しかし、ここは、仰る通り!そもそも、パブリックと、プライベートとでは、境界線が曖昧なのです。二階建ての商店(一階がお店で、二階が居住スペース)に似ています。だから、それに対する忍耐心が要るのですよ。その忍耐は、確かに面倒臭い。合理的でなさそうに見える。然しながら、両者を截然と分けられると思う方が、どうかしていると思いませんか。それが「大人の常識」ってやつです。
所謂「今時の若者」が、その「大人の常識」に耐えられていると思いますか。
※GUY FAWKESさんが必ずしも「今時の若者」だとは、私はちっとも思いませんよ。嘗て私自身が書きましたが、今の若者だって、旧来の若者?よりも優れた心と実績を残している方が沢山います。
>関わりを避けられたことに
>「肘鉄を食らう」という表現は適切ではありません。
> 単に彼らがDANIELさんから距離を置こうとしただけのことなのです、憚りながら。
おっと、言いますねぇ。しかし、実に的確な表現です。私の意図していることを、完璧にご理解なさっているのみならず、これほど直截に表現している物言いもないものかと。
私が言いたいのは、人が人に対し、距離を置くというのは、全然構わない、それは人の常ですが、それを、不適切な場で発揮してはならない、ということです。私は、「今時の若者」が、単に、TPOを弁えずにそれを発揮していることに苦言を呈しているだけです。
二階建ての商店になぞらえるならば、あなたは、確かに自分自身の敷地に店を構えているが、同時にそれはパブリックなものなので、気に入らない客がいるからと言って、安易にシャッターをガラガラ降ろしてはならない、と言いたいだけです。
>お言葉ですが、それは本当でしょうか?
> 残念ですが私がお見受けするに『経路依存性』への無理解があるのではないでしょうか。
>DANIELさんは「価値多元主義に、そんなに意味がありますか。」「しかし、彼らの労働価値説に、
> 実がありましたか。階級闘争史観に、実がありましたか。」と仰りますが、
> 共産主義への評価は別として私からすればそれらに胡座をかいて経路を築いてきたのは
>他ならぬ今の大人達(その実、大人のフリをした子どもであったとしても)ではないですか?
まず、私は、共産主義には無縁ですよ。実際にそう生きてきている。そして、経路依存性を言うならば、日本は共産主義に縁のなかった時代の方が圧倒的に長いのですから、私は、その経路依存性にこそ、賭けているのです。
>叱り飛ばしても彼らは白眼で離れていくだけです、情けないと思われるかもしれませんが彼らは憤りさえしません。
> 若年層の死因トップが自殺を飾る現代日本で若者にそんな元気、ないしは蛮勇は存在していないのです。
叱り飛ばすだけなんて、私はそんな薄情なことは致しませんよ。ちゃんと面倒も見ます。これは本当に私個人の話なので、表には出せませんが、実績だってあります。
>「理解の程度は記憶力の問題ではなく、『相手にどれだけ興味を持っているか』によるのである。」
> 「『部下のことが理解できない』というのはよく聞く話である、それは一緒に勤務する仲間に興味を持っていないと宣言しているのと同じである。」と。
私は、私を拒否する若手?に、限りない興味を寄せてきました。理解できなかったので、理化したかったのです。だから、今時の若者を貫く、奇妙な論理を把握できたのです。
これは、無理解と理解との間に憚る壁を破壊する苦しい作業でした。何年も、何年も掛かった。だけど、私は、突破した。
だって私は、世間の禄を些か長く食んできた先輩なのだから、これからも若者に、コミュニケーションが通じる善き社会を継承してもらいたいから、逃げずに取り組みましたよ。何をか況んや。
>違います、右も左も、政治も経済も、全てのことは同じ日本人が脈々と作り上げ、渾然一体となって出来上がり、
>それを継承していったのです。お気持ちこそ理解できますが、事はそんな単純ではありません。
単純じゃないからこそ、これまで、日々、闘っているんじゃありませんか。それが悪いことですか?
どうやったら、日本の善き経路依存性を取り戻せるか、私の念じているのは、そのことだけです。だから、私なんかより遥かに頭の良い佐藤先生のお知恵を借り、そして学ぼうととしているのではありませんか。尊敬する先達に学ぶ。自分の詰まらない価値観をブチ破る、そんな先生に着いて行っているのですよ。
>安易な決めつけはより一層の事態悪化を招きかねない。
安易じゃないっすよ。用意周到、熟慮と温故知新に沿った、建設的な提案です。否定できますか?
所謂「リベラル(左派)」に、何か肯定に値するような何物かが、ありますか?(まぁ、実際は多少、ありますがね)正面から、その一切を拒否してみせるのが、「大人の作法」という奴でしょう。
>それはレーニンや毛沢東、そしてポル・ポトがやってきた所業と重なってなりません。
ここには、私は大反対ですよ。あれは、人類に対する本質的な犯罪、しかも、まともに実行されて、何千万人も無辜の民を殺害した実行犯です。その犯罪性と比肩するのは、些か軽佻ではありませんか。
>権威主義と保守主義を履き違える醜い誤謬が。
私こそ、権威主義と終始戦ってきた自由主義者って、言いたいですけどね。
>最後に一言、どんな人間も結局は「ただの人間」の域を出るものではありません、良くも悪くも。
> 失礼ながら、DANIELさんや豆腐メンタルさんはただのおじさん、そして私もただの若造でしかありません。
そういう「ただの人間」観ってのが、私には俄かに信じがたいことですがね。確かに皆、一人間それはその通り、でも同時に、圧倒的に、凄い人間ってのも、素晴しい人間ってのも、あるではありませんか。単純なことですよ。
そうでなかったら、古来、偉人伝も、神話も、伝説も、存在しえない訳です。洋の東西を問わず、古今の時代を問わず、みんな、それを求めてやまないし、実際にそういう人がいるから、真実性があるのではありませんか。
>私は貴方のファンでもあるのです、私の父もDANIELさんの様な憤懣と鬱屈を抱えていつも実家で私と飲み交わしていますから。
誠に、ありがとうございます。率直に、嬉しいです。お父上に、よろしくお伝え下さい。父と酒を酌み交わすなんて、人生の中でも、無上の喜びの一つですよ。お父上は、きっとそのことをとてもお悦びのことと思います。意見は時に違っても、慈しんだ我が子を、成人した息子の姿を目の当りにすることが、心の底からの慶びなのです。
私も散々、父と呑みました。でも、もうそれは二度とありません。もっと父を大切にしておけばよかった。私の親孝行は、未完です。
豆腐メンタル says:
9月 25, 2017
経験豊富な人は為になるし頭のいい人はキビシイですね。
それより先生、コメント欄を荒らしてしまって申し訳ありません。
これも日本に欠けた夜の文化ならぬ陰の文化ということでどうかお許しください。
これでも一所懸命に建設的なのです。
DANIELさん、言葉足らずな私に的確な反応をいただき相変わらず嬉しいです。キチンと対峙していただき恐縮です。でも。。人に吹っかけますね。笑
私はDANIELさんのこれまで書かれたこと以外何も知りませんが、拝見するに、とても、いえ、とっっても責任感と意志の強い方なのだろうなと想像します。それが保守の務めだからとお答えになるかもしれません。ただ私からすれば大人の役割はいまでもマッチョなものです。
さらに一歩踏み込みますと。。DANIELさんはある演出に過剰気味な一貫性をもたせておられます。その演出とは端的に大人の保守の演出ですが、その一貫性のため批判への対応が居直りに映るやもしれません。ともすれば批判と否定の応酬を呼びますね。
>前述しました通り、コミュニケーションとは相互のキャッチボールです。
>それはDANIELさんもお分かりの通りですが、其々の意見が交わったり激突したりすることでパブリックが生まれる。ですが、これは「若者が子どもだから〜」単純に一方が、
というか老若男女何人たりともプライベートに逃げようと、避けようと思ってできるものではないと言わせていただきます。
GUY FAWKESさんはDANIELさんの演出に対し「一種の自己絶対化」と批判的に表現されたのではないでしょうか。
一貫性やブレの無さも過剰だと原理主義的になります。「大人など永遠の傍迷惑」な若い人からすれば居直りは許されざる傲慢に映ります。自分たちに対しパブリックは開かれてなんかいないじゃないかとがっかりするかも。
かく言う私も意識しつつ空気を読まないことがあります。何かが譲れず吹っかける。若い頃言葉にならない反発を感じたにも関わらず歳を取ったらマッチョな演出側に回る。「若い人は暖簾に腕押し」だなぁなんて評価する。君たちも経験を積めば分かるのさ、守るものはあるかい?…
でもこのどちらの立場も社会の新陳代謝の重要な片方でしょう。やっとたどり着いた。笑
つまり傍迷惑と暖簾に腕押しは「車の両輪」です。この論理はメタ化を目的としています。
あることの姿や形(形象)を描くことを重視する純文学的態度について書いたことがありますが、メタ化は建設的態度に通じると考えています。
例えば大人と若い人の対立的構造では「それぞれ社会の片輪」と設定する。また、”対立そのもの”とみなし分析対策するのでなく、葛藤や矛盾の統合が目的です。
不毛な批判や各論を超えられるのがメリットで、デメリットは総論的または一般論的なことでしょうか。
現実味のある裏打ちされた各論こそが重要ですが今の日本には「合意の前提」が欠けることが多いように感じます。まぁ言論テロの撹乱故とも言えるのでしょうが。ともかく「まず総論。次に各論」という順序を大切にしています。
ここまでの「大人と若い人」の私の結論は、社会の新陳代謝が最も重要。大人と若い人は対立のサイクルにあるが建設的批判で健全化する。
蛇足で日本経済にも当てはめてみます。
まず「経済成長」への合意があるべきです。その上で「金融」と「財政」の両輪を設定します。経済成長への合意があればPB目標は全く否定。国家の財政を家計に例えるのは意味不明。GDPの数字の前に不毛な各論の余地はありません。
また「金融」と「財政」の両輪の機能が経済成長の支えです。バランス異常では不健全と言わざるをえない。
手法、規模、タイミングの各論の是非が重要ですが、まず「経済成長のための」という前提に立つ必要がある。やはり「まず総論。次に各論」の順序です。
恥ずかしながら白状すれば、この両輪理論はアインシュタインの言葉を等身大にした結果です。
「我々の直面する重要な問題は、その問題を作ったときと同じ思考のレベルで解決することは出来ない」
「想像力は知識よりも大切だ。知識には限界がある。想像力は世界を包み込む」
GUY FAWUKESさん、私新参ですけどリスペクトは本当です。先生への陳謝も勘案し許してください。御年齢には正直びっくりしました。レベル高いなぁ。。
>「保守主義」と「価値多元主義」に決定的な差異があるとすればそれは「いつ如何なる時も自分に一抹の留意や内省的な洞察が担保されているか」だと思っています。
価値多元主義を調べてもピンとこない私に救いの手をありがとうございます。
芸術実践論な視点がしびれます。権威主義との兼ね合いも含め保守主義はまるで書の世界のようですね。
Daniel says:
9月 25, 2017
>それより先生、コメント欄を荒らしてしまって申し訳ありません。
>これも日本に欠けた夜の文化ならぬ陰の文化ということでどうかお許しください。
>これでも一所懸命に建設的なのです。
これは、私からも一言。先生、いつもいつも本当に、寛容の心を、ありがとうございます。
>でも。。人に吹っかけますね。笑
(中略)
>その一貫性のため批判への対応が居直りに映るやもしれません。ともすれば批判と否定の応酬を呼びますね。
攻撃は、最大の防御って言いますものね。ってまぁ、そんな茶化した話はともかく、居直り強盗とか、する気はないのです。
最近ね、本気のコミュニケーションってのが、世間から欠けてきている気がして、ガキ共が電車で騒いでいても、誰も注意しない、お婆さんがヨレヨレしていても、席も譲らない。不良外人が傍若無人でも、立ち上がる日本男児はいない、我関せず焉なのです。
だから私は、ガキ共にドスの利いた声で注意(ちゃんと静かにしてくれますよ)し、お婆さん(脂汗を流していたりするので、本当に可哀相です)には席を譲るし、不良外人には英語で啖呵を切ります。(最近は、日本語の方がいいかしらと思ってきていますが)
でも、何かそうすると、周りの空気が不味くなるし、若い女性達は、なにアイツ、という目で見るし、今までで一番哀しかったのが、不愉快を露わにしたお隣の若い女性が、プイッと席を立って別の車輌に行ってしまったことです。私が何か汚らわしく思えたのでしょうか。でもこれって、私が悪いの?
きっと私が、肥えたブサメンで、細身のイケメンでないのがいけないんでしょう。昔嫁さんにも、「ちょっとあなた、ヤメテ!」って言われましたし。だから否定されたり、拒否られたりするのは別に慣れっこなのでいいです。
私は、義を見てせざるは勇無きなり(父の教えてくれた言葉です)って思っているだけです。
>GUY FAWKESさんはDANIELさんの演出に対し「一種の自己絶対化」と批判的に表現されたのではないでしょうか。
>
>一貫性やブレの無さも過剰だと原理主義的になります。「大人など永遠の傍迷惑」な若い人からすれば居直りは許されざる傲慢に映ります。自分たちに対しパブリックは開かれてなんかいないじゃないかとがっかりするかも。
>
>かく言う私も意識しつつ空気を読まないことがあります。何かが譲れず吹っかける。若い頃言葉にならない反発を感じたにも関わらず歳を取ったらマッチョな演出側に回る。「
自己絶対化、ですか。大して絶対化してないと思ってるんですがね。特に例えば、私は先生から偶にお叱りや批判などを受けて冷や汗を流してたりしていますが、あぁ、シマッタと思えば、率直に直しているつもりです。
私は幼少のみぎりから、時折突飛な言動をして、周りから、注意されたり、潰されたりしてきました。こっちは大真面目で、且つ慎重に多角的に考えを練った結果だったのですが。
でも結局、後で、私の意見や論の方が正しかったと立証されることがほとんどで、30代くらいになるまでは、私も「反省」し、自分の意見を折ったり、長いものに巻かれたりしていましたが、さすがに三十年これを繰り返すと、人としてこれはいけない。結局俺が正しいんじゃん。保留して雌伏することはあっても、これからは絶対に節は曲げない、と心に誓いました。
『キャプテン翼』の連載が大流行する一~二年も前からサッカーに可能性を見出し、それにのめり込んでいたことはお話ししました(この時も、周りから変人扱いです)が、あと一例だけお話ししましょう。
これはもう、二十年ほども前でしょうか。私はコンビナートとか、臨海工場地帯が大好きで、バイクを駆って、東京湾岸や神戸港、名古屋港辺りをうろついて、高速から臨港工場夜景を見て、美しいと感動したりしていましたが、これを友人に熱弁して話すと、「お前は変人だ、いや、変態だ。」とマジ顔で指差しされました。
ところが今はどうでしょう。そういうツアーがわざわざ組まれるほどになり、若い女性がウットリしながら、大繁盛、大人気です。わざわざ、川崎市なんぞ、自治体がツアーを斡旋しているくらいなのですぞ。(佐藤先生風)
やっと時代が私に追い付いてきたのです。俺を変態呼ばわりしたあの野郎、ザマぁ見ろ!俺の靴を舐めろ!
まぁそういう意味で、確かに私はやや意固地になっているのかもしれませんね。節を曲げないこと自体は、善いことだと思うのですがねぇ。。
うーん、多少戦闘的なところ、火力を圧倒的にしてから火蓋を切るところは、認めるべきかもしれませんね。日露戦争での、三十八サンチ榴弾砲は、素晴しいと思います。最初から旅順で使うべきだった。
何か、ノッてきたので、話題を面白くするために、閑話休題:
私は父方が完全に農民の家系なので、俺は所詮農民、とずっと劣等感を抱いてきましたが、後に母方は武士の家系らしい(わざわざ館跡に出掛け、城主のお墓の家紋が母の実家のそれと完全に一致するのを確認。故地も苗字も一緒でした)と判明してからは、俺にも戦士の血が流れていたんだと、勇気百倍!否、一千倍!!
自分は、農民と武士のハイブリッドだったんだ、日本を形作ってきた人達が、自分に象徴として表れているんだと、随喜の涙を流しました。
ビバ!武士!ビバ!農民!俺は、日の本の、土着の民として生きるぜ。
うーん、我ながら、単純かな。
まぁそういうわけ(どういう訳だろう?)で、GUY FAWKESさん、私には他意も悪意もありません。あんまりお気を悪くなされないで、ドカーンとぶつかって、ブチかまして来て下さい。
私を打ち負かすもよし、白旗を揚げるのもよし、どちらが乃木将軍で、どちらがステッセル将軍かは分りませんが、水師営の棗の木のふもとで、お待ちしています。