10月25日の記事

「左翼にだって知恵がある」では、

例のノーベル平和賞受賞運動について、以下の二点を指摘しました。

 

1)日本国民への国際的評価を高める形で、九条にハクをつけようとするのは

「左翼は日本を批判してばかり」という従来のイメージをくつがえす点において、

なにげに秀逸な方法論である。

 

2)したがって、受賞運動を条件反射的に否定するだけでは

日本国民への国際的評価が高まることを望んでいないという話になりかねず

むしろ受賞推進派の思うツボではないか?

 

もっとも今のところ、

鷹巣直美さんをはじめとする受賞推進派は

日本国民を平和賞候補に立てておきながら、その点についてはあまり触れず

もっぱら九条を前面に押し出しています。

 

自分たちの方法論が持つ秀逸さを活かしきれていないのですが

保守が安心するのは早いかも知れません。

先の記事に寄せられた、たかゆきさんのコメントをどうぞ。

 

日本国憲法第一章第一条
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて」と
あります。

ノーベル賞は個人あるいは団体にしか
受賞資格がないそうですので
どなたが受賞なさるべきかは推して知るべし。

天皇陛下に想いを馳せないところが
彼らの限界
猿の浅知恵かと存じます。

1969年5月13日
東大教養学部900番教室
「君らが一言『天皇陛下万歳』と叫んでくれれば俺は喜んで君らと手をつなぐ」
三島由紀夫は言い放ったそうです。

彼らが一言
「ノーベル平和賞を天皇陛下に」と叫んでくれれば
僕は喜んで彼らと手をつなぐ(たぶん)

 

これにたいしては、マゼラン星人二代目さんから、

「象徴」と「代表」は同じではなく、

陛下および皇族の方々は、厳密には「日本国民」に含まれないので

日本国民が平和賞を受賞したとしても

それを陛下に結びつけるのは無理である、

という趣旨の指摘がありました。

 

もっともな話です。

とはいえ護憲派左翼が今後、

九条と結びつける形で、陛下や皇室への敬慕を表明するようになったらどうでしょう?

 

戦後日本では

「左翼=護憲=皇室に批判的、保守=改憲=皇室を敬慕する」

という図式が定着しているものの、

「護憲だが、皇室は敬慕する(あるいは少なくとも、そのふりをする)左翼」

が出現したらどうなるか、です。

 

やはり条件反射的な否定に安住してはまずいと思いますね。

平和賞受賞をはじめ、

いかなる事態が起きたとしても、

それを改憲への起爆剤に利用できるような論理構築が必要だと思うのですが。

 

なお憲法については、以下の二つの論考もご覧ください。

まずは「震災ゴジラ!」に収録された「幽閉された日本国憲法」。

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つづいて「バラバラ殺人の文明論」に収録された「『ラディカリズム保守』のすすめ」。

バラバラ殺人の文明論

 

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ではでは♬(^_^)♬