私の好きな作家に
ハーラン・エリスンという人がいます。
アメリカ人で、SFやホラーの名手。
作品の大部分は短編ですが、幾多の傑作を書いています。
「20世紀のルイス・キャロル」と呼ばれることも。
やはり短編の名手であるレイ・ブラッドベリも、
エリスンを高く評価していました。
代表作のひとつ
「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」は
ジェームズ・キャメロン監督の出世作
「ターミネーター」の元ネタとしても有名。
論より証拠、「ターミネーター」のDVDやブルーレイを観てごらんなさい。
映画のラスト、砂漠に雷雲が立ちこめるところで、
「ハーラン・エリスンの作品にヒントを得た」という趣旨の字幕が出ます。
さて。
1993年にエリスンは
「縞瑪瑙(しまめのう)のメフィスト」
という中編を発表しました。
連続殺人を扱ったパラサイコ・スリラーですが、これも恐るべき作品。
当時のクリントン大統領夫妻も、この小説を大いに気に入っていたとか。
映画になるという話もありましたが、私の知るかぎり、実現はしていないようです。
ところで、この小説の終わり近くに、こんな台詞があるんです。
日本の古いことわざに、こんなのがあるのを知っているか?
いいか、よく聞きやがれ。
「二十年のキャリアを持つ職人といってもさまざまだ。
二十年ぶんの経験を積み重ねた者もいれば、
一年ぶんの経験を二十回、繰り返しただけの者もいる。
後者のようになってはいかんぞ」。
本当のところ、
そんなことわざが日本にあるとは聞いたことがない。
エリスンさん、どこでこれを仕入れてきたのか
興味がわくところですが、
ひとまず脇に置きましょう。
肝心なのは、
人間は二十年ぶんの経験を積み重ねることもできるが
一年ぶんの経験を二十回、繰り返すだけの状態に陥ることもある
ということです。
この話、明日もつづきます。
ではでは♬(^_^)♬
1 comment
クリィミーマミ says:
8月 9, 2014
ハーラン・エリスンと言えば『世界の中心で愛を叫んだけもの』が
日本の恋愛小説にも連日ダンス先生が記事にしたエヴァのタイトルにもなりましたね。
実はですね、先生が「愛国的思考形態」の問題を出題した時、
エヴァそのものに非ずも関係する?と勘違いし浮かべたのが、
上記とコードウェイナー・スミスの『人類補完機構』シリーズだったのでつ(´・ω・`)