ご存じ、西部邁先生が主筆と顧問を務める雑誌
「表現者」の75号が16日に発売となりました。
今号のテーマは
日本よ、何処へ行くのか。
当初の段階では
日本よ、汝は何処へ行くのか
だったと思いますが、
完成版では「汝は」がなくなっていました。
というわけで
わが連載「一言一会」のテーマはこちら!
日本よ、汝は何処にも行けぬ。
エドマンド・バークが指摘するとおり、
自分の理性的能力、ないし知性について疑ってかかることこそ
保守主義の大前提であります。
だからこそ、
理性や知性の限界をカバーしてくれるものとして
歴史や伝統を尊重しようという話になる。
おのれの理性や知性を過信したまま、
よかれと思って世の中を変えようとすると
前代未聞の惨事が待っているぞ!
・・・というのが『フランス革命の省察』のメッセージですからね。
(↓)「歴史に革命は数あれど、フランス革命ほどメチャクチャなものはかつてない」(43ページ)
西部先生は座談会や討論の場で
あんたの主張は理屈では正しいんだろうが、こういうことも言えないか?
とツッコミを入れるのが得意ですが、
これも「〈正論〉を主張している(つもりの)自分の知性を疑え」という
正しい保守主義の発想に基づいたもの。
しかし、だとすれば
「日本よ、何処に行くのか」
というテーマについても、
同様のツッコミがなされるべきではないか?
なぜなら「日本よ、何処に行くのか」
と問うためには
日本はどこかには必ず行く(ないし行ける)はずだ
という前提が必要になるからです。
とはいえ『震災ゴジラ!』以来、
『僕たちは戦後史を知らない』
『国家のツジツマ』
『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』
『右の売国、左の亡国』など
一連の本で論じてきたとおり
どこにも行かないまま堂々めぐりを繰り返しているのが
戦後日本のいつわらざる真実。
『対論「炎上」日本のメカニズム』で展開した
「仮相と炎上の戦後史」にしてもそうです。
ならば「日本よ、何処に行くのか」という問いかけにたいしても
そもそもわが国はどこかに行けるのか?!
とツッコミを入れるのが、正しい保守主義的反応でしょう。
論考の題材としたのは
戦後漫画の巨匠・手塚治虫さんが
敗戦・占領をモチーフに発表した諸作品。
順番に、
「紙の砦」(短編、1974年)
「すきっ腹のブルース」(短編、1975年)
『どついたれ』(未完の長編、1979〜80年)
「1985への出発」(短編、1985年)
となります。
手塚さんは1928年11月生まれですから
敗戦の際は16歳。
そのときの体験が創作の大きな原点になったと
生前、繰り返し語っていました。
しかしこれらの作品を見直すと
手塚さんほどの天才をもってしても
敗戦・占領を客観的に総括し、戦前と戦後に筋を通すことは
できなかったと言わざるをえない。
実際、上記4作は
テーマ的にも内容的にも、明らかな堂々めぐりをきたしているのです。
問題はどこにあったのか?
堂々めぐりからの脱却は可能なのか?
これらの点を考えます。
ぜひご覧下さい。
・・・ちなみに。
編集後記に書いてありますが
西部先生は今号をもって『表現者』から引退されることになりました。
まあ、かの宮崎駿監督同様
引退する、引退すると言いつつ、しっかり現役に戻ってくるのではないか
という感もなくはないものの、
とりあえずは離れるようです。
長い間、本当にお疲れ様でした!
『表現者』の今後については「皆で検討中」とのこと。
存続を祈ろうではありませんか。
ではでは♬(^_^)♬
8 comments
yux says:
10月 19, 2017
当方23歳若僧、西部先生の大ファンであります。とうとう西部先生の力強い肉筆が読めなくなってしまうと思うと、とても寂しいです。西部イズムを継承する表現者の存続に期待しております!
poti says:
10月 19, 2017
勇者は即ち讃えるべし。さらば、そしてありがとう。
フルート says:
10月 19, 2017
私はまだ表現者の今号は読めていないので
西部先生が引退されることも知りませんでした..。
残念です。。必ず読みたいと思います。
せい says:
10月 20, 2017
日本よ、どこへいく?という問いかけ自体、さも自主性を持っているかのようで間違いだと思います。中国かアメリカに飲み込まれるか否かでどこへいくも何も、日本よ、まだ消失してませんか?と言われたほうがしっくりきます。
豆腐メンタル says:
10月 20, 2017
日本が何処にも行けないのは、日本の舵取りが近視眼的であったことが決定的かと思います。端的には、現役世代偏重の国造り。
「将来世代は各々で頑張れ。我々先輩もそうやって頑張ったのだ」という舵取りからの逃避。逃亡は許されるという甘え。
多くの真面目な大人にとって、ぶっちゃけ、想うような日本になっていないはずです。
大人は尊敬され、子供は希望に溢れる日本にしたかった。それで、こんなはずじゃなかったとナイーブにも傷ついた。西部先生調にであれば、ジャップになった。
当然と言えばその通り。少なくとも55年体制からの金や権力や利権の”物分りの良い”分かち合いの政治を”空白”と呼ばずになんと呼びましょう。物分りが良いのはナイーブだからじゃないですか?日本人は空白になっていく。
そんな日本人、なぜか日本人論が好きだと言われます。しかしこれも当然。空白になりつつある頼りなさが故に日本人とは何か、と立ち止まってしまう。
ぬるま湯に浸かっていたい。これは経路ではないのか?しかし今更無理だ。これもナイーブだからじゃ?
よく考えてみれば何処にも行けない、となれば足元を眺めるのではなく勇気を持って仰ぎ見ることでしょうか。
センチメンタルな調子ですが、西部先生にはそう教えていただいた気がします。
GUY FAWKES says:
10月 21, 2017
豆腐メンタルさんの行間に含まれたより悲愴なニュアンスを読み取る必要があります。
即ち、正確には「将来世代は(私らの悠々自適な生活を支える為に)頑張れ。我々先輩もそうやって(思考停止して)頑張ったのだ」
嗚呼、あがりを決め込んでいられるご身分が心底羨ましゅうござんす!
尤も、あなた達の同世代にもその日のご飯にすら事欠く人々もいらっしゃるというのに…
…ですが、若さと老いは「いつか来た道、いつか行く道」とも言います。
そこで責め立てるばかりでは相手と同じ穴の貉になってしまう。
とまれ、西部先生は所謂・保守層が「戦後日本」にのみ焦点を当てるばかりなのに対して、
明治維新以降の「近代化(モダニズム)」にまで遡り、資本主義ないしはアメリカニズムの歪みにも着目してきた
ほぼ唯一の評論家でありました。
この度の勇退、何と申し上げればよろしいか…本当にお疲れ様でありました。
豆腐メンタル says:
10月 22, 2017
GUYさん、ありがとうございます。
選挙は済ませられたでしょうか。あなたの様な知恵と虚無が同居した若い方がどのような投票行動を取られるのか興味が尽きないところです。投票行動そのものより、民主主義環境での”常道”への戦略、または道筋の描き方と言ったほうが正確です。
さて。もうすでに行間に収まりきらない悲愴なニュアンス、であります。
ネットでは相変わらず”老害”の画像やコピペが花盛りですね。
世代間の分断工作に乗るなど遺憾の極みではあります。しかし避けては通れない問題に変わりません。
佐藤先生と同じく尊敬する武田邦彦先生は、年金制度や少子化問題を代表とする世代間問題の背後には定年制度があるとされておられます。つまるところ憲法違反に当たる年齢差別であり、生活保護を活用すべきと。私も同様に考えます。
私の価値観でも、定年が無い方が男も満足だろうと思うのです。大人とは定年で”あがりを決め込む人”では無いと。
世代間問題はいつの時代もあるのでしょうが、その急激さに注目すべきです。緩やかな変化であれば環境が不十分でも民間は対応します。しかし、バブル崩壊に端を発する既得層優遇的改革&グローバル化によるデフレとなれば、民間で対応できないレベルです。
また指導層はこの問題を放置することを戦略としているのではないかと勘ぐられるほどです。この鬱憤が劇場型政治に活用できるからですね。
正直、私の憂鬱は25〜30年後です。私たちの世代(棄てられた世代とまで。。泣)が定年(動くゴールポスト。。泣)を迎える時、社会に大きな混乱を引き起こすでしょう。社会保障圧迫の悪者にされるでしょう。日本のお荷物と呼ばれるでしょう。何しろ放置され続け、あらゆる面で余力というものがないのです。
今の世の中を見て、堂々巡りをする余力すらなくなっているとは感じませんか。
私は強く感じています。この様な貧弱な日本が行き着く未来を考えると、現役として情けなくまた不安を隠せません。若い人には希望を持って生きて欲しいので、できれば隠したいのですが、現在日本の”希望”はあんなモノですので。苦笑
西部先生の様にと贅沢は言いません。せめて、大局を長いスパンで語れる方が政治の世界に努めて必要です。
しろくま says:
10月 21, 2017
西部先生には保守とは何か、保守主義の大切を学ばせて貰いました
表現者は引退されるそうですがこれからも色んな論評してほしいなと思います
表現者も有意義な雑誌だと思うのでぜひ続いてほしいですね。