年配男性陣の自信喪失ぶりや自虐ぶりが目立った
新春キャスター討論
「転換期の日本〜私達はどう生きる?」につづいて
チャンネル桜の討論番組に出ます。
今回は表現者クライテリオン・スペシャル。
題して「日本の自死」。
参加メンバーは
藤井聡さん
室伏謙一さん
小浜逸郎さん
柴山桂太さん
川端祐一郎さん
そして私という顔ぶれ。
司会はもちろん水島社長です。
あれ?
クライテリオン・スペシャルなのに、なぜ浜崎洋介さんがいないんだ?
・・・と思った方もいるでしょうが、
彼は参加予定だったにもかかわらず、
風邪でダウンしてしまったのでありました。
収録中の光景です。
さて。
「日本の自死」というテーマは
最近、日本語訳が出て話題となっている
ダグラス・マレーの著書『西洋の自死』にちなんだもの。
リベラリズムに基づくグローバリズム志向、
その結果としての移民の流入によって
ヨーロッパが「奇妙な死」をとげつつある
という主張した本です。
邦題こそ「自死」ですが
本の原題は「STRANGE DEATH OF EUROPE」、
つまり「ヨーロッパの奇妙な死」ですからね。
ならば普通に考えて、
討論の方向性はこうなるでしょう。
日本の自死を防ぐために
移民流入阻止をはじめとする反グローバリズム政策を!
そしてグローバリズムと相性のよい
新自由主義の見直しを!!
・・・いや、正論ですよ、これは。
し・か・し。
いやしくも保守主義者であれば、
過去に学ぶ姿勢を持たねばならない。
今から43年前、
1976年の日本では、こういう本が話題になったのです。
そうです。
ダグラス・マレーの本にちなんだ、などというと
何やら新鮮な印象があるかも知れないものの
「日本の自死」というテーマは
じつはまったく新しいものではないのです!!
ついでに。
『日本の自殺』を書いた「グループ1984年」は
当時の若手保守系政治学者たちの集団でしたが
くだんの自殺を防ぐための手段として
彼らが唱えたものは何だったか。
驚くなかれ、新自由主義とグローバリズムの推進なのです!!
1976年の時点では
どちらの言葉もまだ存在していなかったので
「政治改革と国際化」と言っておりましたが。
そして「グループ1984年」の学者たちは
1970年代末の大平内閣、
ついでに1980年代の中曽根内閣において
主要なブレーンとなり、
いわゆる改革路線の旗手となりました。
われわれが直面している「日本の自死」状況は
40年あまり前、
まったく同じ問題意識を持った人々が
くだんの自死を食い止めようとした結果、
成立したものなのです!!
しかも1月14日の記事
「ヨーロッパの状況は『階級対立』を考えに入れないかぎり
把握できないのではないか。」でも指摘したように
反グローバリズムを唱えることと
反新自由主義を唱えることは
必ずしもイコールではない。
これは何を意味するのか?
そうです。
グローバリズムや新自由主義に
問題が多いのは確かだとしても
「反グローバリズムや反新自由主義は自明に正しい」
などという姿勢を取ってはいけないのです。
自分たちに錦の御旗があるような気分になったら最後、
われわれもグループ1984年のごとく、
(主観的には)日本を自死から救おうとして
(客観的には)ますます自死へと追いやるような振る舞いを
しでかさないとも限らない。
エドマンド・バークではありませんが
保守の保守たる条件は
自分の理性的能力を疑ってかかることなんですからね。
「個々の人間の理性など、おそらく非常に小さいものにすぎない」(123ページ)
「日本の自死」を云々したぐらいで
鋭い問題意識があるかのごとく錯覚すべからず!
1970年代の先達たち同様、
われわれもまた
日本を自滅から救おうとするつもりで
気づかぬまま死期を早めているのかも知れない、
その程度の自己懐疑も持ちえずして
自死を食い止めるなど、ずばり不可能である!!
・・・そんな発想で討論に臨みました。
他のパネリストのみなさんが
これにどう答えたか、
ないし答えられなかったかは
見てのお楽しみです。
とはいえ面白かったのは
討論が進むにつれて
話の内容にある特徴が浮かび上がってきたこと。
1960年代の急進左翼、
いわゆる「新左翼」の主張と妙に似通ってきたのです。
「日本文化チャンネル桜」ではなく
「日本革命チャンネル桜」と改称してはどうか、
そんな話題まで最後には飛び出しましたからね。
とはいえこれも、
じつはまったく必然的な帰結。
「新左翼」とは
革命(つまり社会変革)を夢見る若者が
当の革命の旗手を自認する日本共産党に
幻滅したことで生まれました。
なぜ彼らは共産党に幻滅したか?
理由を整理すれば以下のとおり。
1)共産党の戦術は、ほぼすべて失敗に終わった。
2)ところが共産党(の指導部)は、自分たちの見識や判断に間違いがあったと認めず、
失敗の原因をすべて外部に転嫁した。
3)ゆえに失敗の責任を取ろうともせず、
妙に爽快な顔をして新しい運動方針にしたがうことを求めた。
しかるに2010年代の保守には、次の特徴が見られます。
1)日本再生の試みは、ほぼすべて失敗に終わった。
2)ところが現政権(および熱心な支持者)は、自分たちの見識や判断に間違いがあったと認めず、
失敗の原因をすべて外部に転嫁した。
3)ゆえに失敗の責任を取ろうともせず、
妙に爽快な顔をして新しい運動方針にしたがうことを求めている。
「だから末路は爽快って言っているでしょう」(※)お姉さまのお言葉です。
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となれば
日本再生(つまり社会変革)を夢見る人々が
当の再生の旗手を自認する現政権、
および現政権の熱心な支持者にたいし
幻滅しても無理はない。
主張が新左翼じみてくるのも分かる話ではありませんか。
ただし問題は
新左翼の反発した共産党の欺瞞が
「単一の勢力に結集して社会の抜本的変革をめざす」
という方針そのものから生まれた側面を持っていること。
新左翼のイデオローグの一人だった松田政男さんなど、
1960年代末、こう主張していたのです。
大衆的デモンストレーションの激発化の果てにのみ
国家権力の暴力装置の突破を夢想するのは、
今日、犯罪的な誤謬である。
過渡期における革命主体の形成にとって必要なのは、
再び言う、
「前衛」への結集ではない。
「遊撃者」の分離である。
(松田政男『薔薇と無名者』、223ページ)
分かりやすく言い直せばこうなります。
現在の政治への不満が国民の間に広まれば
革命が起きるだろうと考えるのは
根本的な間違いである。
こういう時代に社会を変えようとする者は
単一の勢力に結集するのではなく、
あえて孤立しながら変革をめざさねばならない。
2010年代の保守に当てはめればこうです。
グローバリズムや新自由主義
(あるいは移民や消費増税)への不満が国民の間に広まれば
戦後レジームからの脱却が果たせるだろうと考えるのは
根本的な間違いである。
こういう時代に日本を変えようとする者は
単一の勢力に結集するのではなく
あえて孤立しながら変革をめざさねばならない。
だとしても、「表現者」ならぬ「遊撃者」による社会変革は可能なのか?
新左翼が内ゲバの果てに自滅したのを思えば
これも相当に怪しいと言わねばなりません。
けれども「党」(※)への信頼が崩壊した現在、
真剣に物を考えようとする保守派は
このような問題意識と無縁ではありえないでしょう。
(※)かつての左翼は「共産党」と言わず、ただ「党」と言ったのです。
ただしここでの「党」は自民党、および同党に支えられた安倍内閣を指します。
日本が自死を迎える前に
保守派が自死を遂げるかも知れない、
そんな時代にわれわれは生きているのですよ。
自死の運命を逃れるために、読むべき4冊はこちら!
ではでは♬(^_^)♬
12 comments
アトロ says:
2月 3, 2019
早速保守による保守の裏切りが発生したようです。
日本会議が首相に「遺憾の意」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190203-00000009-kyodonews-pol
先の新自由主義的政策がことごとく失敗し、
自分たちの見識に誤りがあったことを認めず左翼のせいにして、
失敗の責任も取らず妙に爽快な顔をして新しい運動に従う。
次の政権の爽やかな面を拝みたいものです。
SunBurst says:
2月 3, 2019
きのうの討論は本当に面白かった。
個人的なハイライトは、3時間目で川端先生が
「日本文化チャンネル桜」という名称に関する事を話しだした辺り。
全体を通して佐藤先生は相変わらず妖刀のような雰囲気で抜群の切れ味でした。
安治 says:
2月 3, 2019
日本の自死を回避するために必要なことは室伏氏がおっしゃっていた明治維新の再評価だと私は思ってますし、もっと言えば明治から始まった日本西洋化の経路依存を自覚し、今の現状は150年の積み重ねであることを理解しないと、藤井氏が言うようなデフレ脱却や移民法やら亡国の法案をいくら議論しても結局目先の解決にしかならないのではないでしょうか
話はそれますが、佐藤さんがよく持ち出す財政法第四条について討論番組に出る経済学者誰も指摘しないのが不思議でしょうがありませんし、これを改正すれば緊縮財政問題を解決できることは素人の私でも理解できます
占領憲法を押し付けられたのは事実かもしれませんが、それを受け入れたのは我々ですし、財政法第四条にしても何一つ変えずに赤字国債を出さないように緊縮財政を今日まで続けてきた来たのも我々であり、もっと言えば、そのような政治家を選んできた国民の選挙結果でもあります
一言で言えば全ての問題の責任は我が国国民にあるということで、誰のせいでもないということです
何故こうも間違ってしまったのかを理解する意味で明治維新の再評価が必要であると考えるわけです
日本西洋化がもたらすのは進歩史観であり、それが形となっているのが近代化 それによって科学がもたらす物質的なパワーに飲み込まれることで、歴史の連続性を忘れ常に新しいものを生み出していかなければいけないという意識に自覚なくなってしまうことだと私は考えてまして、それが今でも続き科学が進めば進むほど、ますますそのパワーに飲まれてしまって、精神性とのバランスが150年かけて自覚なく崩壊させてきた歴史を明治以降歩んできたと私は考えています
よく西部氏が日本は近代化を急ぎすぎたと討論番組でおっしゃっていましたが、全くその通りで近代化は避けられないまでも、それに疑問を持つ人が少なかったことが大問題で、これまで海外の文化を日本の形に土着させてきたのに、急ぎすぎたことで土着させきれず、先に私達の方が狂ってしまって、自覚なく単なる西洋と同じ歴史を歩む日本西洋化という経路依存をつくりあげてしまったのではないでしょうか
タラればの話をすれ徳川主導で政治が続いていたら、ここまで間違った道を歩むことはなく、日清日露戦争もなかったのではないかと私は考えています
我が国がやることは目先の改革ではなく、元外務省の方がおっしゃっている復古であり、進歩史観のような西洋的価値観は必要なく、神話の中に既に答えが出ているという意味で、元に戻ることこそが本来やるべきことであり、それを未来へ受け継いでいくことが本当の意味での保守なのではないでしょうか
神話を失った国は100年以内に滅ぶと言う人がいましたが、まったくその通りで復古すれば今何が問題なのかが全て理解できると思ってますし、根本の人としての在り方が土台になるかならないかの単純な問題に行き着くのではないかと思います
それを唯一思い出させてくれる存在が天皇陛下であると思ってますし、天皇陛下こそ日本の歴史そのものであり象徴でもあるわけで、だからこそ皇室を守らなければいけません
だからと言って人としての在り方について我々が理解しないまま、また変わらないままいくら何とかしないといけないと議論しても意味はなく、まずは私達一人一人が目覚めていくのが先ではないでしょうか
皇室を破壊するのも結局は私達の目覚め次第であり、全ての責任は私達にあるということを理解することが本当の意味で日本の自死を回避する一番の手段であると私は考えます
長文失礼しました
安治 says:
2月 3, 2019
連続投稿失礼します
日本のナショナリズムを維持するために、また国家完全無力化を避けるために対米従属せざるをえなかったという佐藤さんの指摘は正しいと思いますし、そのことを無視してきたからいつまでも戦後の対米従属から抜け出せないのでしょうね
何故抜け出せないのかと考えると、明治からの日本西洋化という経路依存が土台となって、科学がもたらす物質的なパワーに飲み込まれることによって、いつの間にか科学が宗教のようになってしまって、その価値観を歴史の積み重ねより上位に置いてしまい、その価値観の元で米国が権威のような存在になってしまったがために、対米従属をいつまでもやめられないのではないかと私は考えています
つまり戦前と戦後の経路依存は連続性があるというわけです
権威が米国になれば当然天皇陛下に対する敬意は失われ、それは自覚なしに歴史の連続性の否定 伝統文化の否定 それを150年も続ければ日本の自死を招くのは当たり前であり、まさに佐藤さんの著書にある爽快な末路になるのだと思います
これを理解しないままいくら議論しても急進主義にしかならないわけで、本来時間をかけてゆっくり国民側が自覚していかないといけないのですが、その前に日本が持たないという意見も分かりますし、だから藤井氏や水島氏のような急進主義的意見も必然なことなのかもしれませんが、それだけでは明治維新の失敗を繰り返すだけです
急進主義的発想の人は非常に多いと思いますが、その発想の原点は間違いなく明治維新にあり、自覚なしに歴史の連続性を破壊する発想を植え付けられてしまっていて、それが保守の象徴のようになってしまっているのではないでしょうか
だから国民の政治家選びが間違うわけで、急進主義がもたらす刺激に惑わされ政策を誤るという歴史を150年続けてきた過ちの象徴が移民法に代表される亡国の法案に表れているのではないかと思います
いくら保守を自称する人達が政策批判しようが所詮同じ穴のムジナであり、例え自称保守を名乗る人達が政権を取ったとしても同じことを繰り返すはずです
我が国は余りにも急ぎすぎで、もう少しゆったりとした時間の流れに沿って少しづつ変わっていく 或いは復古していくことをしていかないと何度も何度も同じ過ちを繰り返すだけだと思います
SATOKENJI says:
2月 3, 2019
明らかな誤字を1字修正しました。
あそたか says:
2月 3, 2019
藤井さんが言ってましたが、現在の日本には政治が不在で、実質植民地であるということについては残念ながらわかる気がします。
日本の国益とは、人それぞれ考えがあるでしょうが、歴史、つまり先祖の名誉を汚さないことが大前提のはずです。
現在の為政者には、政治方針を決定、実行できる立場にありながら先祖の名誉を汚していない者が一人もいないと、結果をみてそう思います。
いつの時代にも売国的考え、保守的考えの為政者がいましたね。しかし今と違うのは、必ず保守的な為政者がおり、政治的意志表示をしていたように思います。時には左遷されたり、暗殺されたりしたのですが、後で見直されたりしています。
しかし今は全くいません。政治家個人として保守的な考えを持っている人がいたとしても、結果に反映されることがない以上、いないも同然です。
占領下の公職追放等を経て、社会的地位のある人種が総入れ替え(180度変節した者も含む)されたことも原因でしょう。
安倍首相は論外です。随分長い期間首相の地位にあり、良い政治を実行できる環境にありながら実行しようとしないのは、その方が私的に得だと判断しているからでしょう。どうみても悪人です。公の精神など無いように思えます。かばう理由が全くありません。
そう長くない時間の中で日本を正しい方向へ戻すためには、革命とからかわれていましたが、思い切った計画をたて、実行していくしかないのかもしれません。反動世代だからやむを得ないことだと思います。
SATOKENJI says:
2月 4, 2019
>革命とからかわれていましたが
いえいえ、からかったのではありません。
記事の中でも論じたとおり、反グローバリズム保守が現在置かれている立場は
本当に「新左翼」のそれと瓜二つなのです。
そして新左翼は、既成左翼(つまり日本共産党)の欺瞞を告発したものの自滅した。
となると反グローバリズム保守も、
既成保守(つまり自民党)の欺瞞を告発したものの自滅、
という運命をたどるかも知れません。
これを回避するには、
いかに自分たちが新左翼に似ているか
を自覚するところから出発しなければならないのです。
デオキリシボ核(樺太全島は日本領) says:
2月 4, 2019
良く分りました。否、腹に応えました。
拓三 says:
2月 4, 2019
技術進歩と権力者。
ここに行き着くんやけど左翼はどちらも否定する事で現実逃避し蝶々追いかけ何処か行ってしもたし、保守は権力の奴隷に成り下がる。
うむ…しか ~ し ! 技術進歩は否定できん!
何故か ! 技術進歩を止めた時点で奪い合いが起きるだけ。縦を辞めても横に伸びる。今の技術で横に伸びればどうなるか….。世界経済は縦(インフレ)から横(デフレ)に進んでいるわけでそのうち領土(戦争)も横に伸びる事が予想されます。現に日本では北方領土など現実に起きている。歴史的にもデフレと戦争は関係性が高い。そしてグローバルとデフレの関係も。ならば今するべきことは技術進歩! つまり「投資」。国が投資することを「財政出動」と言うのですよ! 分かってんのか政治家ども!
もう一つの問題である権力。
私は特定の権力者は否定します。権力は宗教を利用し権力を拡大、それに対抗し近代国家(民主主義)が出来たと私は考えます。その近代国家(民主主義)をもメディア、学者(特に経済学者)などのプロパガンダで国家を操り民主主義を利用し拡大しているのが現状。ならば特定の権力と戦うにはどうすればいいか? これは上の話と繋がる話で横の力が強くなるのと権力の力は比例します。経済で言えばグローバル経済が格差社会を生み出す原理と同じです。つまりデフレ(グローバル)は権力を拡大します。ならばインフレに持っていけばいい話。インフレの特効薬は ?「財政出動」でしょ。分かってんのか政治家ども !
技術進歩、つまり未来は怖い。でも立ち止まったところで破滅に向かうだけ。
ならばその技術が未来に役立つものかを見極めるのが「保守」の役目ではないのか。そして権力者との戦い。しんどいけど。それに疲れたら保守として自害しかないかな。
豆腐メンタル says:
2月 4, 2019
観返すことになるだろう素晴らしい討論でした。
意外にセカイ系の話題が飛び出したのがツボでした。
クライテリオンの中心執筆陣の先生方でいつも感心するのは、年齢や立場に幅があるにも関わらず驚くほど有意義な討議になるところ。只々頭の出来がうらやましいです。
でも、酔っぱらいのオジさんみたいな人が1名紛れ込んでたようにも思います笑。
さらに、討論とこのエントリーの両方に触れ、平成の世を表すキーワードは「幻滅」かもしれないなと。
誰が何に幻滅したのかと考えていくと味わい深いです。
改革だの対策だの問題意識だのがもともと幻想に取り憑かれていたなんてことも多々あった平成。明らかな間違いにブレーキが効かない、責任の所在が不明などは”幻想スパイラル”が基にある。幻想疲れが幻滅を呼ぶ。。
私としてはやはりと言いますか相変わらずと言いますか、自助共助公助の再生、倫理や道徳の再生、何より幸福追求の再生が重要なのだなと。すっかり形骸化して幻滅するワードばかり取り揃えております。
これらの再生度合いはあらゆる”祭”の実際に現れるのではないかと思っています。
shiki says:
2月 5, 2019
新自由主義もグローバリズムも明治以降の戦争も何か「目的」があったはずで
少なくとも、当初は明確にその目的が意識され、その解決のための「手段」として選択されたはず
いつの間にか「目的」が見失われて、あるいはその「手段」自体が「目的」になって
おかしくなるというのがずっと繰り返されているような・・・
討論の中で藤井先生が言われたように「常に」問題がないかを観察し「常に」その手段を見直すというのも大切かと思いますが、我々の最終的な「目的」「目標」が何か?ということを問わなければいけないかと
陳腐な答えですけど「みんなの幸福」でしょうか
次は幸福とは何かを問うことになりますけどね
カインズ says:
2月 5, 2019
珍しくまともな司会進行がなされ、佐藤さんと藤井さんとの間で「闘論」がなされたこともあり、とても濃厚に感じられた討論だったと思います。効率のためには伝統なんてどんどん破壊していく近現代の日本人には、保守思想というのは相性が最悪なのではないか?そんな日本において保守運動をすると、結果が出ないことに焦り、独善的になってしまい急進左翼めいてくるのではないかと感じられました。