ちょっと前のことになりますが、

中野剛志さんが『日本の没落』という本を出しました。

 

ちょうど100年前に刊行された

ドイツの哲学者オズヴァルト・シュペングラーの大著

『西洋の没落』をモチーフに

現在の世界、

とりわけわが国の現状を論じたもの。

 

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 著者こちら。

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この本は中野さんにとって

新たな転機となるものと思われますが、

それを理解するためには

ちょっと押さえておかねばならないことがある。

つまり学問と芸術の関係。

 

学問と芸術には、

ふつう別物というイメージがあります。

大まかにくくってしまえば、

理性(論理)で仕切られているのが学問、

感性(直観)で仕切られているのが芸術

ということになるでしょう。

 

しかし、カナダが生んだ天才映画監督

デヴィッド・クローネンバーグはこう喝破しています。

 

最高の科学者はみな芸術家であり、

最高の芸術家はみな幻を見る予言者なのだ。

彼らは同じ方法でインスピレーションを得て

仕事を進めてゆく。

 

クローネンバーグは何を言わんとしているのか?

 

学問にしろ芸術にしろ、

世界のあり方を把握しようとする試みであることには変わらない。

そのうえで、体系化された論理は有力な武器となります。

 

しかし世界のあり方は、多分に偶然によっても左右される。

だからこそ、例の「経路依存性」というやつが

しばしば問題となるのです。

 

してみるとアレを「経路依存症」と言い間違える者は、みずからの理性を過信しているのかも知れんな。

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ついでにヴィトゲンシュタインが述べたとおり、

いかなる命題も、

みずからの正しさについて、

みずから立証することはできない。

 

つまりは理性の基盤そのものが

じつは理性的ではないんですな。

 

となると、

世界のあり方を根源的に把握しようとすればするほど

科学者は理性だけでは足りないことを自覚せざるをえず、

感性や直観を動員しはじめ、

その結果、芸術へと近づいてゆくことになるでしょう。

 

そして世界のあり方を把握することの最終的なゴールは

偶然性がいかに介在していようと

その影響を最小化して、未来を見通すこと。

 

すなわち

科学→芸術→予言

というクローネンバーグの図式は

人間が世界を根源的に把握しようとしたときにたどる筋道を整理したものなのです。

 

ちなみにこの図式、

べつに芸術家を科学者の上に置いているのではありません。

感性や直観だけでも、世界の根源的把握はできないからです。

 

理性と直観の双方を動員し、

見えるはずのないものが見えるところまでたどりつかなければ

世界は根源的に把握できないが、

そこまで行き着いたときには、未来が見通せるはずだ。

 

これこそ、クローネンバーグの真意と見るべきでしょう。

 

1960年代後半、

クローネンバーグをもしのぐ大天才監督スタンリー・キューブリック

科学者との徹底した共同作業で

未来世界を描き出そうとした『2001年宇宙の旅』

人間の理解を超えた異次元への突入の果て、

人類の新たな進化を予告して終わったのは

(理性+直観)→幻視→未来

という図式をきっちり踏襲している点で

まさに必然的なことと言えるでしょう。

 

さて。

 

『西洋の没落』でシュペングラーがめざしたのも

まさに理性と直観を総動員して

歴史の本質を理解し、

西洋文化の未来を見通すこと。

 

はたせるかな、

彼はこのような歴史研究を「創造」と呼んでいます。

中野さんもこう書いている。

 

『西洋の没落』とは、

シュペングラーによる歴史研究であると同時に、

芸術作品でもあったのである。

(258ページ)

 

実際、シュペングラーは自分の分析の方法論について

『ファウスト』で知られる文豪ゲーテに学んだと

ハッキリ認めているのだそうです。

 

『日本の没落』を読めば分かりますが

シュペングラーは現在の世界の行き詰まりについて

驚くほど的確に見通している。

 

中野さんはそれを腑分けしたうえで

日本もまた、没落の経路にどっぷりハマっていることを提示しています。

 

た・だ・し。

 

それを根拠にこの本を

インテリ版『ノストラダムスの大予言』(※)にすぎないかのごとく見なすのは

表面的な内容しか理解できなかったと白状するようなもの。

(※)ただしゲーテは『ファウスト』第一部の冒頭(419行目)で

ノストラダムスを称賛する台詞を盛り込んでいます。

 

『日本の没落』の真価は

2016年の大著『富国と強兵』

理性による経済・社会分析の体系を築いた中野さんが

それをさらに越える地平に踏み出そうとしているところにある。

 

すなわち彼は、

評論や古典分析の形式を取ろうと

本質的には芸術、

ないし幻視へといたる経路をたどりだしているのです。

 

ゆえにこの本は、過渡期的な一冊と呼べるかもしれない。

 

2017年の『真説・企業論』『経済と国民』

きっちり安定感のある仕上がりになっていたのと比べれば

どこか手探りで進んでいる印象はあります。

 

しかし同世代における最高の知性の一人である中野さんが

論理的な分析に飽き足らず、

直観や幻視の領域をめざしていることの意義は大きい。

 

日本の没落が決定的となるまでに

彼がいかなる地点にたどりつくか、

注目しようではありませんか!

 

・・・ちなみに。

 

現在の中野さんの心境を知りたければ

279ページに出てくるシュペングラーの文章を見ること。

そこには、こうあります。

 

希望がなくても、

救いがなくても、

絶望的な持ち場で頑張り通すのが義務なのだ。

ポンペイの城門の前でその遺骸が発見された、

あのローマ兵士のように頑張り通すことこそが。

──彼が死んだのは、

ヴェスビオ火山の噴火のときに、

人々が彼の見張りを交代させてやるのを忘れていたためであった。

これが偉大さであり、

これが血筋のよさというものである。

 

この一節、

現役の官僚でもある中野さんの覚悟の表明に違いない。

日本の没落を目の当たりにしつつ、

彼は偉大な血筋のよさをもって見張りをつづけようとしているのです。

 

よって私は、

古代ローマの詩人デキムス・ユニウス・ユウェナリスの言葉をもって

これに応えることにしましょう。

 

QUIS CUSTODIET IPSOS CUSTODES?

 

日本語訳こちら。

 

だが、見張りのことは誰が見張るのだ?

 

 

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