インテリ(の一部)に見られる言動のことではありません。

とりあえず。

 

戦後日本最大の漫画家、

あるいは漫画界のヨハン・セバスチャン・バッハとも呼ぶべき

手塚治虫さんが、

著書『マンガの描き方』(カッパ・ホームス、光文社、1977年)で使ったフレーズ。

 

たしかこの本、

のちに『マンガの心』と改題されて再刊されたと思いますが、

それはともかく。

 

手塚さん、239ページでこう書いているのです。

 

(漫画では)どんなものを、

どんなふうに描いてもいいのだ。

支離滅裂、

奇っ怪破廉恥、

荒唐無稽、

独善茫然自暴自棄、

非道残虐陰惨無法、

狂乱狂恋百鬼夜行的なものを描いてもらいたい。

 

同書を初めて読んだとき、

私は小学生だったのですが、

このフレーズのあまりの面白さに笑い転げました。

 

音読すると分かりますが、

音のリズムが非常に良いのです。

ひらがなで書いてみましょう。

 

しりめつれつ

きっかいはれんち

こうとうむけい

どくぜんぼうぜん じぼうじき

ひどうざんぎゃく いんさんむほう

きょうらん きょうれん ひゃっきやこう

 

七五調のリズムをベースに、

サ行、マ行、ラ行、カ行、タ行、そして濁音が効果的に配置されています。

 

シェイクスピアの傑作「リア王」

嵐の場面の台詞では

子音の響きが嵐の音を再現していると指摘したのは

名演出家ピーター・ブルック。

(注:原文での話です。日本語訳については保証しません。いずれ私が新訳を出せば別ですが)

 

手塚さんのフレーズも、それに並ぶものがあります。

子音の響きが「何でもありの爆発!」という雰囲気をつくっているわけです。

 

とはいえ手塚さん、

なぜ漫画は支離滅裂、奇っ怪破廉恥、荒唐無稽(以下略)であらねばらならぬと主張したのか?

 

ここには文化というものの

本質を理解するうえでの

重要なカギがあるのです。

 

これについてはまた明日。

ただし、最後に一言。

 

手塚さんの発言にしたがうなら、

支離滅裂、奇っ怪破廉恥、荒唐無稽(以下略)な言動を繰り返すインテリ(の一部)は、

その存在自体が漫画なのです。

 

彼らの文章が、「字で書かれた漫画」であることは言うまでもないでしょう。

中には、そう割り切って読むかぎりにおいて、なかなか楽しいのもありますよ!

 

ではでは♬(^_^)♬