映画「野火」に関する紹介や短評には
この作品の凄惨さについて言及したものが目立ちます。
たとえば、映画・海外ドラマライター
なかざわひでゆきさんのコメントをご紹介しましょう。
敵味方に関係なく人間がケダモノと化す
戦場の地獄を徹底したリアリズムで描く。
熱帯のジャングルで行き場を失い、
空腹と恐怖と孤独に理性を蝕まれ、やがて正気を失っていく日本兵たち。
戦争という極限状態に置かれた
人間の狂気に迫る塚本監督の演出は極めて骨太だ。
むろん、その通りです。
とはいえ私は「野火」を観ていて
ちょっと違った点に感じ入りました。
その点をご理解いただくためにも、まずは画像を何点か。
ⓒSHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
ⓒSHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
ⓒSHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
兵士たちの姿が
周囲の木や草や石と
だんだん区別できなくなってきているのにお気づきでしょうか?
私が感じ入ったのはここなのです。
つまり戦争、
とくに負け戦は
人間から文明という保護装置を取り去り
文字通り、自然に帰してしまうのではないか。
文明に守られていないのですから、
むろん人間の尊厳などというものはない。
負傷すればそこにウジがわく。
死ねば身体が腐り、そのまま土に還る。
すべて自然現象です。
アメリカの作家ジョセフ・ヘラーは
出世作「キャッチ22」の終わり近くで
戦争の真のメッセージは、人間などただの物体でしかないということだ
という趣旨のことを書きましたが、
「野火」も同じ視点に基づいていると言えるでしょう。
ⓒSHINYA TSUKAMOTO/KAIJYU THEATER
しかし、いかなる文明も
矛盾や欺瞞を抱えこんでしまうのも事実。
それに耐えられなくなったとき、
人間は戦争を選ぶのではないか?
自然のままでも生きられないが
文明に徹することもできない、
戦争の根底には、そんなパラドックスがひそむのかも知れません。
いわゆる〈戦後〉という時代の矛盾や欺瞞が
近年、浮き彫りになってきているのは
関連して意味深長ではないでしょうか。
戦争は巨大な〈自然回帰〉の試みなのでは。
そんな視点から映画を観ると、さらに見えてくるものがあると思います。
塚本晋也監督作品「野火」、いよいよ明日公開です。
ではでは♬(^_^)♬
(↑)文明社会に戻ってこられた監督とともに。
3 comments
ペンギン says:
7月 24, 2015
私は自然回帰というと産婦人科領域における、自然出産信仰を一番に思い起こします。
一部の妊婦たちは産婦人科医に掛かるの嫌がり、助産院や自宅出産に固執します。
人間には元々産む力が備わっている。と考えて科学技術の介入を不自然と捉え、
医者が推奨する検診や介助を拒絶する。
お医者さんからしたら非常にやっかいな人達だと思いますし、私もそう思いますが、
同時に彼女達の気持ちというか、気分のようなものはわかる気がします。
例えば携帯電話が普及していく時に感じた違和感。
スカイツリーのような極端に高い建物を建てたがる人達がいる事への嫌悪感。
自分達の文明に対するどこか浸りきれない自分が常に居て、
そんな所在の無さみたいな不安が、ある種の『自然』へと人を誘うのでは?と思います。
頓珍漢 says:
7月 25, 2015
>自然のままでも生きられないが文明に徹することもできない、
動物としての脳の古い皮質部分(本能)を、新しい皮質部分(知能)が覆って肥大化してきた構造になっているヒトの脳が永遠に逃れることのできないことなのかもしれません。
こんなこと考えてるから僕は異端人なのかなぁ。
KATO says:
7月 26, 2015
私が愛読してる戦争映画の紹介サイトでも絶賛してますね。
http://wolf.adolf45d.com/eiganobi2.html
因みに同サイトで市川版の「野火」を紹介しており、つられて見ましたが、これも良かった❤
塚本版も見なければ!!
こちらが市川版、http://wolf.adolf45d.com/eiganobi.html