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前にもこのブログで取り上げた
アメリカの悪役俳優、デイヴ・ベッシオさんが
しゃれたツイートをしていました。
いわく、
恐怖(FEAR)とは何か。
False
Evidences
Appearing
Real
の頭文字だ。
False Evidences Appearing Real とは
日本語にすれば
本当には存在しない(悪い変化の)証拠を
現実のものと錯覚すること。
なかなか鋭い指摘ではないでしょうか?
「私は今まで、数々の災難に見舞われてきた。
それらの災難の中には、実際に起きたものすらある」とは、
ベンジャミン・フランクリンの名言です。
つまり恐怖とは
物事を実際以上に悪く受け取ってしまう心のあり方
なんですね。
はたせるかな、ホラー映画には
怪物の影は、つねに怪物そのものより大きい
という鉄則があります。
怪物を怖く見せたければ
直接的な描写は最小限にして、
間接的に恐怖を煽るべし、ということ。
この方法論に徹して傑作となったのが、
ご存知「エイリアン」です。
してみると、国のあり方を考える際も
正当な不安、ないし懸念と
物事を実際以上に悪く受け止める恐怖とを
区別する必要があるでしょう。
なおベッシオさんについては、
10月24日の記事
「アメリカの悪役俳優との会話」
(「ダンスと個人的な話」カテゴリー)もどうぞ。
ではでは♬(^_^)♬
3 comments
ヨトキチ says:
12月 5, 2014
「もしもエイリアンが、国のあり方に影響を与える地位にいるとしたら・・・」
こう考えることは物事を実際以上に悪く受け取ってしまう心のあり方であり、
これは私の正当と思われる不安ないし懸念が高じて、
妄想へと変化してしまった結果なのでしょう、多分・・・
しかし実際にエイリアンに遭遇してしまったら、
(それがフェイスハガー並の小さなサイズであったとしても)
私は物事を実際以上に悪く受け止める恐怖を感じてしまうでしょう。
瀬戸の花婿 says:
12月 5, 2014
三橋経済新聞の佐藤さんの記事にコメントが一つもありませんでした。憲法騒動の時のように罵倒コメントが多く寄せられるのも嫌ですが、一つもないというのも考え物ですね。価値のあるコメントが多く寄せられるようになる日を渇望しております。
フルート says:
12月 7, 2014
佐藤先生の記事は分析の対象が特に広くて、一度コメントを思い付いたと思っても改めて考えてみると、またそれを覆す論点にも思い至ってなかなか纏めるのが難しい・・というような感覚に至ったことってないですか・・? 私はそれですね。。
渇きの感覚は、逆の方向からも満たしていける可能性がある筈と思いました。相手を求めるのと同時にその相手へと自分の方から近付いていく事でも達成される筈と思いました。 どうも失礼いたしました。。