みなさんご存じのとおり、
戦後日本型の平和主義は貧困への道です。
ついでに少子化への道でもある。
そして、
平和主義のもとで経世済民をどうにか達成しようとすると
対米従属への道が待っていたりするんですな。
「平和はいいけど、平和主義はダメよ! とくに戦後日本型は!!」(※)お姉さまのお言葉です。
アニメから sayaさんの熱唱まで、豪華絢爛たるプロモーション動画はこちら!
しかも平和主義の弊害は、これにとどまるものではない。
どうぞ。
不登校傾向33万人、全中学生の1割 日本財団調べ
(毎日新聞、12日配信)
日本財団は12日、
不登校の傾向にある中学生は全国で推定33万人いる
とする調査結果を発表した。
全中学生の10人に1人にあたる。
文部科学省が把握する不登校の中学生は全国で11万人だが、
調査では「年間に30日以上の欠席」とする同省の定義にこだわらず、
保健室などに登校する生徒も含めた。
調査のアドバイザーを務めた
不登校新聞の石井志昂東京編集局編集長は
「文科省の把握する不登校は氷山の一角。
教室外登校のように形だけ学校につなぎ留められている生徒もおり、
実態は深刻だ」と指摘した。
まず断っておきますと、
不登校傾向の中学生33万人という推定値は
文科省が「不登校」と認定したぶん(※)を含んでいません。
その11万人のほかに、不登校予備軍が33万人いる、という話。
(※)上記記事では11万人となっていますが、これは2017年度の数値です。
日本財団の発表した資料によれば、今年の速報値は推定で約10万人でした。
よって不登校+不登校傾向の中学生の数は
あわせて43〜44万人。
43万人でも全体の13.3%、
44万人なら全体の13.5%にあたります。
要するに中学生の7人に1人ぐらいは
不登校か、その傾向があるのです。
ちなみに「不登校」とは
年間30日以上学校に行ってない生徒
というのが文科省の定義。
他方、日本財団による「不登校傾向」の定義は以下の通りです。
1)不登校二型
一週間以上、連続して学校に行かないことがある生徒。
2)教室外登校
学校には行くが、校門、保健室、校長室、図書室などにいて
教室には行かない生徒。
(月2〜3回以上、ないし一週間以上連続)
3)部分登校
基本的には教室にいるが、遅刻・早退が多かったり、
一日に何度も保健室に行くなどして、あまり授業に参加しない生徒。
(1ヶ月に5日以上)
4)仮面登校A
基本的には教室にいるが、他の生徒とは違うことをしていて
授業に参加しない生徒。
5)仮面登校B
基本的には教室にいるし、とりあえず授業に参加もしているが
学校がつらい、学校がイヤだ、学校に通いたくないと感じている生徒。
さらに現役の中学生で
小学校時代、不登校もしくはその傾向があったと回答した生徒は14.4%。
いっそう多かったりするんですね。
しかるに資料を見てゆくと、いろいろ面白いことが見えてくる。
まずはこれ。
小学校時代で14.4%、
中学校でも13.3〜13.5%という数字は
子供の貧困率(2017年で13.9%)とほぼ同じです。
案の定、不登校(傾向)と貧困には関連性が見出せる。
たとえば親が就学援助費を受給している者の比率は・・・
不登校(傾向)でない生徒 8%
不登校の生徒 29.3%
不登校二型 19.9%
教室外登校〜仮面登校A 18.8%
仮面登校B 15.2%
親が生活保護を受けている者の比率は・・・
不登校(傾向)でない生徒 0.4%
不登校の生徒 7.5%
不登校二型 6.7%
教室外登校〜仮面登校A 2.8%
仮面登校B 0.7%
親が失業手当を受けている者の比率は・・・
不登校(傾向)でない生徒 1%
不登校の生徒 8.5%
不登校二型 4.2%
教室外登校〜仮面登校A 3.5%
仮面登校B 0.7%
ひとり親家庭の者の比率は・・・
不登校(傾向)でない生徒 4.6%
不登校の生徒 21.6%
不登校二型 16.0%
教室外登校〜仮面登校A 12.0%
仮面登校B 7.2%
ひとり親家庭で就学援助を受けているなど
複数、該当する場合もあると思いますので
単純に数字を足すわけにはゆかないものの、
不登校(傾向)の生徒に貧しい家庭の子が多いのは明らか。
ついでに発達障害など
何らかのハンディキャップを持っている
と診断された子も多い(不登校で21.8%)。
当たり前といえば当たり前の話です。
またグローバル化を反映してか、
不登校生徒のうち5%は親が外国籍(元外国籍含む)。
同じく5.1%は本人が外国籍。
7.1%は親が日本語を母国語にしておらず、
3.6%は本人の母国語も日本語ではありません。
これで移民が急増したらどうなっても知らんぞ!
つまりは貧困化や格差拡大、
および外国人の増加が
学校システムを少なからず揺るがしていることになります。
わが国の平和主義は貧困肯定型のうえ、
国家の枠を否定したがる性格を持っていますから
これだけですでに、
平和主義は不登校への道
と言えるでしょう。
「私も学校は好きじゃなかったわ」(※)お姉さんの発言です。
しかし、もっと注目すべきはここから。
不登校(傾向)の生徒に見られる最大の特徴は
貧困や国籍ではないのです。
親に離婚歴がある者の比率を見ましょう。
不登校(傾向)でない生徒 13.3%
不登校の生徒 39.3%
不登校二型 31.3%
教室外登校〜仮面登校A 26.6%
仮面登校B 15.6%
親自身が不登校だった者の比率。
不登校(傾向)でない生徒 4.5%
不登校の生徒 34.3%
不登校二型 24.1%
教室外登校〜仮面登校A 19.6%
仮面登校B 6.4%
経済的事情がらみの項目より、全体として顕著に高い。
となると
親が家庭をうまく築けなかったり
学校にたいして否定的な態度を取ったりすることのほうが
不登校の原因としては大きいのです。
さらに、学校に行きたくない理由は以下の通り。
1位
不登校(傾向)でない生徒 疲れる
不登校の生徒 朝、起きられない
不登校二型 疲れる
教室外登校〜仮面登校A 疲れる
仮面登校B 疲れる
2位
不登校(傾向)でない生徒 朝、起きられない
不登校の生徒 疲れる
不登校二型 朝、起きられない
教室外登校〜仮面登校A 朝、起きられない
仮面登校B 朝、起きられない
3位
不登校(傾向)でない生徒 テストを受けたくない
不登校の生徒 学校に行こうとすると体調が悪くなる
不登校二型 自分でもよく分からない
教室外登校〜仮面登校A 授業がよく分からない、ついていけない
仮面登校B 学校に行く意味が分からない
勉強に関連した事柄は、15の回答のうち2つしかありません。
つまり中学生たちは
経済的事情でやむなくというより
身体的(疲れる+起きられない)、
ないし哲学的(自分でも分からない+学校に行く意味が分からない)に
学校を拒否しているのであります。
「疲れる」や「起きられない」も
学校に価値を見出していないことの表れだとすれば
(行くのが楽しみだったらイソイソ起きますよ、若いんだから)
ここに表明されているのは
どうして学校になんか行かなければいけないんだ?!
という巨大な疑問にほかなりません。
「うーむ、学校の存在をインテグレイトできないのか・・・」(※)個人の感想です。
ところがお立ち会い。
『平和主義は貧困への道』の内容を踏まえると、
この結果、きれいにアウフヘーベン&インテグレイトできます。
理解のカギとなるのは「義務教育」というフレーズ。
中学校はむろん、これに属します。
わが国は憲法26条2項によって
すべて国民は、法律の定めるところにより、
その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ
と定めているのですが・・・
ちと考えてみましょう。
この「義務」とは、いったい何にたいする義務でしょうか?
国民が「保護する子女」にたいして
くだんの義務を負っているとは考えられません。
憲法26条2項の構文は
国民は(法律の定めるところにより)「その保護する子女に普通教育を受けさせる義務」を負ふ
というものだからです。
「保護する子女」は
義務の内容に関する説明の一部にすぎず、
義務を負っている対象ではありません。
ついでに憲法26条は
「第三章 国民の権利及び義務」(10条〜40条)の一項目。
他の項目では
請願権
思想・良心の自由
学問の自由
勤労の権利義務
財産権
裁判を受ける権利
などが定められています。
要するに義務教育の「義務」とは
国家にたいする義務なのですよ。
国の発展・繁栄のために
子供に勉強させ、能力を伸ばす義務を
国民は国家にたいして負っているのです。
だからこそ戦前の日本では
教育の理想や目的を謳った
教育勅語なるものがあった次第。
しかるに戦後日本は
国家の否定を旨とする独特の平和主義のうえに成り立っている。
勉強は国の発展や繁栄のために果たすべき義務だ
などという発想が受け入れられるはずはない。
それでも1970年代ぐらいまでは
勉強は豊かになるための効率的な手段だ
という発想で、この点をカバーすることができました。
学校に行って頑張れば、
家庭環境が貧しくても、いい大学や会社に入って出世できるというアレです。
しかし今や、
学校の成績が親の所得によって大きく左右されるのは常識となって久しい。
学校に行く意味が分からなくて当たり前なのですよ!!
また教育勅語に
父母に孝に、兄弟(けいてい)に友に、夫婦相和し
という一節がある通り
国の発展・繁栄のために勉強して優秀にならねばならない
という発想は
国の発展・繁栄のために家族円満を心がけねばならない
という発想と容易につながる。
修身整家治国平天下というように
修身(勉強はこの一部です)が「治国」のための務めなら
整家(つまり家庭円満)も治国のための務めなのです。
しかるに戦後型の平和主義は、「家」も否定してしまう。
親に離婚歴があったり、
不登校の過去がある生徒は
不登校(傾向)になりやすいというのは
そう考えれば必然の帰結。
離婚は「整家」の否定ですし、
不登校の過去は「(学校を通じた)修身」の否定。
学校に行こうという気になるわけがないでしょうに。
ダメ押しというべきか、
平和主義の帰結たる貧困化と新自由主義により
貧困層の子供たちにとって
勉強は豊かになるための手段ですらなくなった。
日本財団の調査は
平和主義は学校教育を破壊することを示しているのです!!
「落ちるかどうかじゃない、どこまで落ちるかだ」(※)個人の感想です。
誰も学校に行かなくなる前に、読むべき5冊はこちら!
(おまけ)sayaさんはきっと真面目に勉強したと思いますよ。今でも勉強熱心ですから。
5 comments
ヤン・ウェンリー命 says:
12月 20, 2018
いやはや・・・まずは目の付け所に脱帽です。そのうえで非常に個人的な感想を。
私、38歳でございますけどそんなに不登校っていませんでした。中学でバブル崩壊ちょっと後くらいなので、まだまだ「勉強すれば将来が開ける(ないし学校楽しい)」という希望があったわけでしょう。
・・・最も私達の希望は「就職氷河期」という絶望にかわりましたが(笑)
※私はそもそも23歳からずっと自営業なので、就職活動をしておりませんが。それすらその時代の行動の1つなのかもしれません。はは、最近(2009年以降、10年近く)儲かりませんけど(大爆笑)
さて、不登校が少ない時代でさえ就職氷河期最前線に立たされこれですもの。最近の若いものは「大変」です。国家なんか信じられない(当たり前)となり、アイディンティティを失い、原子論的個人になっていくという悪循環でございますね。
まさに国家が国家を解体している(!!)時代です。
国家が自殺に向かうのに、国民が自殺に向かうと責められるとは何ごとか(!!)であります。これも認知不協和でしょう。
はてさて、どうしたら良いのか見当も付きません。
※ブログ移転しましたのでURLを変えております。
豆腐メンタル says:
12月 20, 2018
平和主義はポリティカルコレクトネスです。
平和の追求こそが人の正道である?
だから9条を守れ??
はい正解。あなた正しい。
ただし平和実現への課題があります。
「平和を貫きます」と看板が掲げられているだけで平和が実現するのであれば世話はない。我らは独りで生きてはいない。
つまり平和の課題とは「どの状態を平和とするか」「また世界平和は維持できるか」という二点です。
現実的には、「これは偽の平和である」「まだ平和でない」「そもそも平和でなくてもよい」などの相違をどう収めるのか。価値観多様(!)な隣人への対処をどうするか。
いつ頃世界平和は実現しますかねぇ。想像するだけで疲れますよねぇ。苦しいですよねぇ。
平和主義以外の道がもっと”楽”なんじゃないかなぁ笑
てなわけで、賢明なる大人であればポリティカルコレクトネスに飛びつく思考停止が「貧困への道」「自死への道」であることが理解できます。
イギリスの研究だかでベジタリンが短命であると研究結果とのニュースを見つけましたがそりゃそうでしょう。あなたの両親、祖父母、ご先祖様がどんな食生活で生きたか想像できない?あんただけ違うイキモノなの?
とまあポリティカルコレクトネスは手を変え品を変え現れますね。
斯くいう私も、海の向こうの他人事だと思っていたら国ごとどっぷり浸かっていたことに最近気がついた日本人ですが。心臓止まるかと思いましたよ笑
先生には感謝であります。
通りすがり says:
12月 20, 2018
なかなか難しい問題ですね。
ところで、学校と似たものに塾というものがあります。
これについて対比的に見てみますと、
学校には、文化祭や部活などの課外学習があります。また、受験に関係ない科目も教え(られ)ます。
塾は、一般的には少人数などで親身、受験に直結するもののみ教え、課外学習がありません。
ここで2つの「流派」が出てきます。
1.課外学習もいらない。不要な科目を削るべきだ。いわゆる「塾派」。
2.勉強なんてそんなに重要じゃない。友人や思い出を作る方が大切で、そのための課外学習である。
いわゆる「社会派」。
まあ上の2つは極端な思想で、3つ目の「学校も塾も大事派」が大多数ではあると思いますが。
佐藤さんの議論をなるべくなぞった形で書きます。
学校は公教育であり、国のために尽くす人間を育成する施設であるという考えが戦後失われたとします。
すると塾派と社会派の2つが当然姿を現すわけだと思うのです。
ひとまず学歴を得て、いい会社に入り、良い給料を貰えば人生成功なんじゃないかという人は、自然と学歴重視になり、塾派に近くなります。
人生金であり、他のものには関心がないという人ですね。
そんなのは嫌だ、勉強ばかりして何になるんだ、むしろ学校では社会の大切なことを教えてくれないじゃないか、という人は社会派に近くなります。
さて、こうするといろいろなことが上手く解釈できます。
なぜ学校ではまともなことを教えてくれないのか。それは社会が、学校=公教育という「体」を無視・放棄しているからです。つまり平和主義だからです。
なぜ学歴の高いエリートに馬鹿に多いのか。それは塾派だからで、「今だけ金だけ自分だけ」になっているからです。(例外はあります)
こう考えると、公教育、学歴、不要に見える教科、課外学習を包括した学校という装置のあり方が、今後重要になると思われます。
こみやこういち says:
12月 21, 2018
日本財団の「不登校傾向にある子ども」ってくくりに無理がね~か?
部分登校と仮面登校A・Bは教室にいるし、数を大げさにしたいだけじゃね(・・?
マニュアル人間が集まって、新しいマニュアルを作りたいだけじゃねぇのか?
予算が足りない。もっと金くれ って話じゃねのか?
国の為に頑張りなさいと教えちゃいけない教育って、なんのために税金か投入されてんだろうね(・・?
企業は、企業の為に頑張りなさいと、社員教育するでしょ。
自分の為に頑張りなさいって、利益最大化のために頑張りなさいって教育だよな。
その教育で生き残った奴らが、今、表で活躍している人たちだよな~。
あれを見て、子どもが「ああいう大人になりたい」って思うか?
こみやこういち says:
12月 21, 2018
日の丸背負っている大人はカッコイイが、日本社会に文句ばかり言っている大人はダサくない?