歴史感覚が共有されている場合、

保守派と左翼はイデオロギーの相違を超えて

それぞれの立場から

国家や社会の保守に貢献できるのではないか?

 

昨日の記事「社会の垂直尾翼とは」において、

私はこんな可能性を提起しました。

 

関連してご紹介したいのが

映画監督・大島渚さんをめぐるエピソード。

 

ご存知の通り、大島監督は左翼です。

 

1960年に発表した「青春残酷物語」では

カラーのワイド画面で赤旗がなびきますが、

これは大手映画会社(松竹です)の作品としては前代未聞だったとのこと。

 

さらに同年、大島監督は

「日本の夜と霧」という映画を撮りますが、

これは全編、左翼運動をめぐる論争がひたすら展開されるというものでした。

 

・・・しかし、であります。

 

1968年、大島監督はテレビ用に

「大東亜戦争」というドキュメンタリーをつくります。

まず題名にご注目。

「太平洋戦争」ではないんですね。

 

しかもこの作品、コンセプトが面白い。

つまり映像のみならず、音声まで戦時中のものだけを使ったのです。

音声が不足している部分は、大本営発表と当時の新聞社説で埋められました。

 

監督いわく。

 

過去のフィルムを編集して一篇の作品をつくりあげる時、

画面はもちろん過去のそれを使うのだが、

それにつけるコメントは現在の立場から書かれるのが常だった。

あの戦争について、

戦後数々の記録フィルムがつくられたが、

一つの例外もなく、そうした形のものだった。

製作者たちはせいぜい、

いかに戦争批判的な、あるいは反戦的なコメントをつけるかに狂奔したのだった。

そしてそのコメントが美辞麗句で飾られれば飾られるほど、

それを見る人間にとっては白々しいのであった。

 

一切の解説や解釈抜きで、戦時中の感覚だけを提示する。

この姿勢は立派ではないでしょうか?

 

しかも大島監督、

なんと題字を岸信介元総理に依頼したのです!

岸さんは快諾し、達筆をふるったとのこと。

 

岸さんと言えば、1960年、安保改定のときの首相です。

その1960年に

赤旗がなびく映画や、左翼運動をめぐる論争が展開される映画を撮っていた大島監督が、

安保賛成だったはずはありません。

 

にもかかわらず、題字を依頼した。

 

ここにはイデオロギーの相違を超えた

歴史感覚の共有が感じられないでしょうか?

 

「日本の夜と霧」の冒頭には

全登場人物は、日本の未来について

一生懸命、考えている人たちなのです。

という趣旨の字幕が出ます。

保守派と左翼も、互いに相手についてそう言えるようになれば

日本の保守(=できるだけ望ましい状態を達成・維持すること)も

だいぶ容易になると思うのです。

 

ではでは♬(^_^)♬