「DANCING WRITER」も

おかげさまで三ヶ月目。

 

ユーザーの数も飛躍的に増加していますが

記事の数が多すぎて読みづらい

というご意見を

最近、よくいただくようになりました。

 

・・・ちょっと頑張りすぎましたか?(笑)

 

たしかに、二ヶ月で250本以上アップしましたので。

 

7月の記事など

検索が面倒になっているかも知れませんね。

 

というわけで今月からは

アップの回数を減らす一方、

個々の記事について、分量・内容をともに充実させる

ようにしたいと思います。

 

また記事の検索が容易になるよう、

ブログ内にカテゴリーをつくりました。

とりあえず、

 

政治・社会

国際・海外

文化・アート

著作関係

メディア関係

音楽・作詞

言葉と呼吸

ダンスと個人的な話

オレンジ公と黎夢諾

映画紹介

の10項目です。

 

画面上部のメニューバーで「BLOG」をクリックしていただくと

カテゴリー一覧が出ます。

それをクリックしますと

当該カテゴリーの記事一覧が出ますので

そこから検索して下さい。

 

今までの記事の分類が

すべて済んでいるわけではありませんが、

どのカテゴリーもどんどん整備してゆきますので

よろしくお願いします。

 

さて。

8月26日の記事「左翼と大東亜戦争」

映画監督の大島渚さんが

左翼系の人であるにもかかわらず、

「太平洋戦争」より「大東亜戦争」という表現を選んだことを書きましたが、

これについてBUTTMEDDさんよりコメントがありました。

 

抜粋してご紹介します。

 

好きだろうと嫌いだろうと、

史実の上でも日本語として正しいのは「大東亜戦争」です。
開戦当日「今次大戦を大東亜戦争と呼称す」と公式に決定されています。

備忘録代わりに記しておくと「太平洋戦争」とは進駐軍の指示です。

まあ「ことばは生き物だから」などと学者や言論人が平然と言い放つ時代、

それに流されている情けない自分のような者がいちいち手を挙げて差し挟むのも我ながら滑稽だとは思いますが。

しかし白井さんはともかく、ヌーベルバーグ大島ほどの大インテリが知らないとはちょっと思えないのですがねえ。

 

BUTTMEDDさんのコメントはむろん正しいのですが、

ちょっと補足しておきましょう。

 

大島渚さん、「大東亜戦争」の名の由来はちゃんとご存知です。

「太平洋戦争」については

戦後、一応の通称とされたが

歴史を偽造するもの 

と批判しているくらいですので。

 

「大東亜戦争」が

歴史的事実として時の政権によって名付けられた名称

であることも明言しています。

 

ただし大島さん、

大東亜戦争がいずれ

「アジア解放戦争」の一部として位置づけられるようになるのではないかとも主張している。

 

これは一見、「大東亜戦争」の否定のように見えますが

よく考えるとそうでもない。

 

大島さんの中には

「反米志向によるアジアの解放」をめざしたという点で

わが国の行った大東亜戦争を

中国の国共内戦や朝鮮戦争、ベトナム戦争と結びつけたいという思いがあるのです。

 

これは社会主義陣営の立場に基づく発想ですから、

左翼的な発想と言えばその通り。

しかしこの場合、「アジア解放戦争」における大東亜戦争の位置づけはどうなるでしょう?

 

「(日本の覇権をめざした点で)否定されるべき側面もあったものの、基本的には正しい大義をもって行われた戦争」

ということになりませんか?

そうなると、いわゆる「戦争責任」の問題についても、とらえ方が大きく変わってくるはずです。

 

左翼であろうとなかろうと、大島さんはれっきとした大東亜戦争肯定論者なのです!!

 

ついでにもう一つ。

「太平洋戦争」の呼称が

占領軍(「進駐軍」という表現はゴマカシだと思っています)の指示によるものというのは

たしかにそうなのですが・・・

 

半藤一利さんによると、

じつは開戦にあたって

海軍は「太平洋戦争」を主張したそうです。

太平洋が舞台だとすれば、主役は自分たちになりますからね。

 

また政府筋には

対戦国の名称を用いた

「日清戦争」「日露戦争」のパターンにならって

「対米英戦争」を主張する人もいたとか。

 

しかるに陸軍が

「大東亜新秩序建設を目的にしているのだから、大東亜戦争とすべきだ!」

と力説、大東亜戦争になったのだとか。

 

どうも海軍への対抗意識が感じられますね。

このときは真珠湾攻撃で

海軍が喝采を浴びていましたので。

 

なにせ陸軍、

「戦争地域を大東亜(つまり東アジア)に限定したいから、

大東亜戦争という名称にすべきだと主張しているのではない!」

とも説いたらしいのです。

 

これってつまり、

「太平洋戦争なんて呼び方にしたがるとは、オレたちを締め出す気か!」と、

海軍に文句をつけているのでは。

 

よって

1)戦争当時の呼称は「大東亜戦争」だった。

2)戦後は占領軍の指示もあって「太平洋戦争」になった。

は、ともに正しいのですが

3)敗戦以前に、あの戦争を「太平洋戦争」と見なす視点がなかったわけではない。

というのも事実のようです。

 

大東亜戦争が、

ペリー来航いらい、日本を振り回してきたアングロサクソンへのリベンジ

でもあったとすれば(当時の知識人にはそう主張した人が多数います)、

「今度はこっちが太平洋を越えて、乗り込んでいってやる!」

という意味で、「太平洋戦争」の意識もあったのではないでしょうか。

 

なかなかどうして、微妙なものだと思いますよ。

ではでは♬(^_^)♬