水道事業を周回遅れでPFI化しようと試みたり、
IR、つまりカジノ設置によって
地域経済を活性化させたがるといった事例が示すとおり
昨今のわが国政府の振る舞いは
何というか、「さもしい」と形容するしかないものがあります。
まあIRは、 INBECILE REFORM(愚かな改革)の略でもあるからねえ。【要出典】
このままでは日本がダメになる!!
という強迫観念に駆られたあげく
目先の利益を近視眼的に追う改革を進めて
日本を本当にダメにする、という次第。
『ブレードランナー』のシナリオに登場する台詞
(ただし映画では未使用)にならえば
物事をちゃんと理解しないまま行動することほど
自分の首を的確に絞めあげるものはない
というやつであります。
平成のわが国では
大学改革も進められましたが
ご多分にもれず
これも大学を衰退・没落に追いやるという
目も当てられない成果をしっかり挙げてくれました。
そりゃそうでしょうよ。
競争原理を導入すれば教員の論文生産性が上がるだろう
とか
社会に出て即戦力となるような人材、
とくに世界に羽ばたく(※)人材を育成しろ
とかいった発想のもと、
研究・教育の基盤をガタガタにしていったんですから。
(※)日本国内では到底、立ちゆかなくなること。(『右の売国、左の亡国』政治経済用語辞典)
た・だ・し。
大学人の名誉、じゃなかった不名誉のために断っておけば
わが国の大学は以前より
高邁深遠な真理を探求する場
というより
高邁深遠な真理を探究するようなふりだけして
こけおどしの権威主義に自己陶酔する場
という性格を持っていた。
とくに文系はそうです。
私が『フランス革命の省察』や『コモン・センス』を訳したのだって
ぶっちゃけ、
今までの訳では話にならない
と判断したためですからね。
ンなもんだから、
バカみたいに威張っていないで、ちゃんと結果を出してみろ!
と迫られると、うろたえて総崩れになりやすいんですな。
しかし、だからといって
競争原理とグローバリズム万歳でいいとはならないのが困ったところ。
さあ、大学をどうしたものか?
中野剛志さん、施光恒さん、柴山桂太さんとやっている
東洋経済の研究会でも
大学改革がテーマに上がりました。
で、その議論の要旨(全2回の1回目)が
東洋経済オンラインで配信される運びに。
タイトルはこれです。
国策でグローバル人材を育成するという矛盾〜古典を学ぶことが「エリートの反逆」を防ぐ
大学論を専門としている
藤本夕衣・清泉女子大学特任講師をゲストにお迎えし
私と中野さん、それに施さん(※)が
あれこれ議論を展開しているのですが、
ハイライトはここらへんでしょう。
(※)柴山さんは今回、都合により不参加でした。
「“国策”でグローバル人材を育成する」ということの意味は、
どこまできちんと考えられているのでしょうか。
たとえば、クリストファー・ラッシュに「エリートの反逆」という言葉がありますが、
世界とつながっているという認識を持つ人は、国や地域的なコミュニティなどへの意識が希薄になりがちです。
(藤本さん)
景気が悪化して財政赤字がひどくなり、教育予算もカットされ、
「これまでどおりのカネはやれない。自分で稼げ」という圧力が大学にきた。(中略)
企業のほうも、社員教育にコストをかける余裕がなくなってしまった。
それで「大学でやってくれ」と、大学にその機能を押しつけた。
(中野さん)
オン・ザ・ジョブ・トレーニングを大学がかわれるのかといったら、
これは無理でしょう。
ビジネスに必要な事務処理能力や交渉力といった
さまざまな能力に欠けている大学の教員に、そんなことができるわけがない。
(施さん)
要約すれば以下のとおり。
平成の大学改革は
あれこれ美辞麗句を掲げてはいるものの
要するに毎度おなじみ
国家の店じまいの一環であった。
その結果、
ちゃんとした教養がないのはもとより、
企業で即戦力になる基盤もないまま
自意識だけ妙にグローバル的になった
まさに「世界に羽ばたく」しかない学生が
大量に生まれる危険が生じている。
「やっぱり日本は没落だな」(※)個人の感想です。
「〈世界に羽ばたく〉ではなく、〈世界に流される〉とすべきでは・・・」(※)個人の感想です。
ならば。
このさもしい顛末は、一体どこに行きつくのか?
どうぞ。
<東京五輪・パラ>「授業避けて」国通知、ボランティア促す
(毎日新聞、7月27日配信)
スポーツ庁と文部科学省は26日、
2020年東京五輪・パラリンピックの期間中に
ボランティアに参加しやすいように
全国の大学と高等専門学校に授業や試験期間を繰り上げるなど
柔軟な対応を求める通知を出した。
通知では学生がボランティアをすることへの意義を説き、
大会期間中は授業や試験を避けることを促した。
授業開始時期の繰り上げや祝日の授業実施は学則などに基づき、
学校の判断で特例措置を講じることができる。
関連して、こんなツイートも。
昨夜都内の大学に勤める友人によると、
文科省は各大学に、
2020年東京オリンピックへの学生ボランティア供出用に
年間スケジュール(授業開講も含めて)の変更要請しているとのこと。
すでに嬉々として応じている大学があるらしい。
ボランティアとは自分の意志でするものですから
「ボランティア供出」という言葉は
まったくナンセンスなのですが、
より重要なのはこちら。
文科省が学生を動員したがっているボランティアとは
早い話、
炎天下で単純労働に従事すること。
それも無償で。
いや、無償どころか持ち出しかも知れません。
聞いた話によると
宿泊地からボランティア会場までの交通費は出すが
会場から宿泊地までの交通費は出さないとのことですので。
とはいえ、
そんな単純労働で教養が深まるのか?
ビジネスに必要な事務処理能力や交渉力が身につくのか??
・・・聞くだけヤボってもんでしょうが。
けれども文科省は
大学生がオリンピックやパラリンピックでボランティアをすることに
何やら積極的な意義があると思っている模様。
目下、わが国は「グローバル人材の育成」を国策にしていますから
推測するに
外国人も多数やってくるイベントでボランティアをすることは
グローバル人材となるうえでプラスだ
と考えているのでしょう。
これは何を意味するのか。
そうです。
文科省の考える「グローバル人材」とは
「ボランティアの供出」という表現のナンセンスぶりに気づかないぐらい
基礎的な思考能力を欠いたまま
政府が「これこそグローバル!」と掲げた目標に盲目的に従い、
炎天下、無償どころか持ち出しで単純労働をすることに
積極的な意義や充実感をおぼえる愚かなお人好し
のことなのです。
なるほど!
これが大学の育てるべき理想の人間像だとすれば
平成の大学改革は
さもしくも偉大な成果を挙げているのではないでしょうか。
いやもちろん、
日本の学問や文化は総崩れとなってゆくでしょうが
なにせそれが国策ですので。
エドマンド・バークにならえば
さしずめ、こんなところです。
かくも悲惨な崩壊が
「改革の偉大な成果」だとするなら
たしかに改革派は偉大だ。
行政担当者の手腕が、
ここまで見事に発揮され、
圧倒的な実績をあげた例はなかろう。
たんに愚かなだけでは、こんな芸当はできない。
無学ゆえの能力不足や、
ありきたりの職務怠慢を加えたところで、
とうてい追いつかない。
改革派よ、ひとつ教えてくれたまえ。
諸君はいったいどうやって、
もともとパッとしなかった日本の大学を完全に台無しに・・・
もとへ、世界に羽ばたかせることができたのだ?
あまりのことに、もう笑うしかないようです。
学問や文化が総崩れとなる前に、読むべき3冊はこちら!
ではでは♬(^_^)♬
7 comments
momo says:
7月 29, 2018
「世界に羽ばたくしかない!」という強迫観念に駆られた大人たちが、子供を崖から突き落としているようです。
「今、羽ばたけない奴はどのみち死ぬのだ」と言わんばかりであります。
そこでまかり間違って飛べてしまった子を「高度人材」とか「生存競争に勝った者」とか言っているんでしょう。
しかし人間に飛行能力が必要なのは本当だろうか。
高度人材とやらが生存競争に勝ち残った結果、頭パッパラパーの翼を持った猿が未来の日本社会の中枢に居座っているのかもしれない。
ホワホ says:
7月 29, 2018
日本にやってくるグローバル人材という名の低賃金の移民に求める理想を考えると
>「ボランティアの供出」という表現のナンセンスぶりに気づかないぐらい
基礎的な思考能力を欠いたまま
政府が「これこそグローバル!」と掲げた目標に盲目的に従い、
炎天下、無償どころか持ち出しで単純労働をすることに
積極的な意義や充実感をおぼえる愚かなお人好し<
まぁ、当然自国産のにも求めることはそうなるだろうなって感じですね
水道なんかと比べたら大分言語感覚の混乱も少ないですね
一貫して終わってる。以上の意味はないですが。
せい says:
7月 29, 2018
平成の学徒動員。熱中症で死者が出そう。
しろくま says:
7月 29, 2018
>物事をちゃんと理解しないまま行動することほど自分の首を的確に絞めあげるものはない
いやほんとそう思います。大学改革やグローバル人材とか本当にナンセンスとか言いようがない
文科省もスポーツ庁自身も何を言ってるか分からねえと思うが状態なんでしょう(苦笑)
本当に浅はかで何か言葉だけグローバルであれば何でもいいんだとやってるとしか思えませんね
ここまでさもしくてナンセンスな事がやられれば日本はいろんな面で衰退するなと思います
基本的な思考能力がないままやる改革は全て失敗してますね
マゼラン星人二代目 says:
7月 31, 2018
>「大学は社会に出て学べることを学ぶ場ではない。社会に出ても学べないことを学ぶ場なのだ」
>「大学では部活か何かに打ち込んで、体力と協調性を身に付けていらっしゃい。変に勉強
>して、おかしな思想にかぶれちゃいかんよ」といった感じでしたね。仕事は会社に入って
>からオン・ザ・ジョブ・トレーニングで覚えればいい、
企業は、難関校入学許可証なりセンター試験の成績証明なりの提出のみを求め、卒業(見込)の有無を問わない。こうならなければ、大学を学問の府として純化するなんて、とても覚束ない。
大学の側からみると、本当に企業がそんな採用基準を掲げたら、学位記を渡すまでの四年間、学生とその親御さんから学費を絞りとるというビジネスモデルが立ちゆかなくなってしまうという弱味がある。(学問の府も娑婆の一部、先立つものがなくては立ちゆかない)
なので、大学としても、学生の四年間は、企業に都合のいい四年間でもあるということを躍起になって証明しなくてはならない。(それが当の学生自身の切なる望みであるのは言うまでもない)
間違っても、身のほど知らずに「大学は社会に出て学べることを学ぶ場ではない。社会に出ても学べないことを学ぶ場なのだ」などと「正論」をひっさげてドヤ顔をしてはいけない。
なので、いうところの「グローバル人材」が馬鹿馬鹿しくてしょうがないということであれば、「在籍すること自体に意義がある」という結論ありきで、「部活動」を通じた「体力と協調性」の涵養などという認知不協和満載のお喋りをするしかなくなってしまう。
>「部活動」を通じた「体力と協調性」
日大アメフト部のことなど無かったことにできるような鈍感力。これも企業が若者に求める資質だろう。
マゼラン星人二代目 says:
7月 31, 2018
>大学を学問の府として純化
「何で大学なのか」という「そもそも論」は言ってはいけないらしい。
玉田泰 says:
8月 21, 2018
「物事をちゃんと理解しないまま行動することほど
自分の首を的確に絞めあげるものはない」
金言ですね。
僕もいつの日か、この位のことを言えるように成りたいものです。