衆議院の解散・総選挙が決まりました。

2012年の総選挙と、

2013年の参院選にそろって勝利、

基盤を固めたかに見えた安倍内閣ですが、

どうもこのところ、ガタついています。

 

日本の保守(=できるだけ望ましい状態を達成・維持すること)にいたる道は、

やはりなかなか険しいのではないでしょうか。

 

というわけで、

左翼も保守に貢献できる可能性について

さらに考えてゆきます。

 

11月15日の記事「朝日社長辞任に思うこと」には、

トウヤさんという方から、こんなコメントもいただいているんですね。

 

私は大学生時代、朝日新聞奨学生をしていたんですが、

集金業務で田舎の集落に行くと

朝日を取っていながら何故か天皇陛下御一家の写真が

様々な家に飾られていたのを思い出しました。

 

今考えると不思議なんですが、

結局日本には日本を愛していながら

弱き人を擁護したり守ったりする団体・思想が無かったんだと思います。
本来の左翼は国や国柄を愛しつつ弱きものを助けるのが役目だと思います。
それで、朝日には日本と言う国を愛しつつ

弱きものの為働く、そのような新聞社になっていただきたいものです。

(読点を1ヶ所追加)

 

朝日購読と、皇室のお写真とが共存する。

「朝日=反日」の図式からすると、いささかシュールな感もありますが、

このエピソードには意味深長なものを感じました。

 

というのも、昨日の記事でも取り上げた大島渚監督が

1971年につくった映画「儀式」にも

日本という国(左翼風に「国家権力」と呼んでもいいでしょう)にたいする

反抗と愛着が同時にうかがわれたからです。

 

「儀式」は桜田家という名門の家が

1946年から1971年までの間にどう変わったかをたどる物語。

むろんこれが、戦後日本全体のたどった道のりの縮図となっているわけです。

 

桜田家には、戦前、政府の高官だったという家長・一臣がいます。

で、一族の若い男たちは、

いろいろな形で一臣に反抗したり、

乗り越えようとしたりするのですが、

結局は誰もかなわず、挫折してゆく。

 

一臣が「国家権力」を象徴しているのは明らかでしょう。

つまり「儀式」は、

いわゆる戦後民主主義の失敗を描いた作品となります。

 

ところが。

 

映画をご覧になると分かるのですが

一臣は決して否定的に描かれていないんですね。

威厳と風格に満ちた存在になっている。

全登場人物で最も立派。

 

しかも映画の後半、

高齢のせいもあって一臣に衰えが見えてくると

画面にはそれを惜しむような情感が漂います。

 

事実、「儀式」は

一臣の死去によって始まり、

回想形式で過去が語られる作品なのです。

 

つまり大島監督は、

日本という国家にたいして

根底では愛着を持っていたと言えるのではないでしょうか。

 

左翼でありながら

「美辞麗句だらけの反戦スローガン」を否定したことといい、

この感覚には信頼するに足るものがあります。

 

朝日を購読しつつ、皇室のお写真を飾る人々にも

同じことがあてはまるでしょう。

 

真の愛国は、イデオロギーとは異なるレベル、

あるいはイデオロギーを超えたレベルにある。

そう思いませんか?

 

ではでは♬(^_^)♬