昨日の記事で書いたとおり、

句読点というものは

目で文章を追うときの視覚的な区切りであると同時に、

音読する際の呼吸の区切り、

つまり息継ぎの箇所の指定でもあります。

 

演劇用語で言う「ブレス・ポイント」(息を吸い込む点)。

 

そして人間は、

文章を黙読しているときであっても

頭の中では音読している。

 

本当ですよ。

 

というか、

頭の中で音読できる、

すなわち文字が声になって聞こえてくる文章だけが

内容がスッと頭に入る文章なのです。

 

わが国のインテリが書く文章の大部分が、ここで失格となるのは言うまでもないでしょう。

しかしまあ、そんなことはどうでもよろしい。

 

問題は、ブレス・ポイントたる句読点は

少なすぎても読みづらいが

多すぎても読みづらい

ということ。

 

『国家のツジツマ』まえがきを例に取りましょう。

 

雪山で道に迷い、真っ白な世界をさまよっていると、

知らず知らずのうちに身体の重心が、左右どちらかにずれる。

まっすぐ歩いているつもりでも、巨大な円を描く堂々めぐりを始めてしまうのだ。

 

これを、こう書いたらどうなるか。

 

雪山で道に迷い真っ白な世界をさまよっていると知らず知らずのうちに身体の重心が左右どちらかにずれる。

まっすぐ歩いているつもりでも巨大な円を描く堂々めぐりを始めてしまうのだ。

 

あるいは、こう書いたらどうか。

 

雪山で、道に迷い、真っ白な世界を、さまよっていると、

知らず、知らずのうちに、身体の重心が、左右どちらかに、ずれる。

まっすぐ、歩いているつもりでも、巨大な円を描く、堂々めぐりを、始めてしまうのだ。

 

読点(、)のまるでないバージョンは

息継ぎの場所がないので、文字通り息苦しいですね。

 

しかし読点だらけのバージョンは

しじゅう息継ぎばかりしているため、これはこれで息切れしそうな感じがする。

 

まだ十分、肺に空気が残っているのに

「息を吸え! 息を吸え!」と迫られている感じがするのです。

 

つまりは句読点、とくに読点の量は、

われわれの「精神的な肺活量」ともいうべきものと、

密接に関連しています。

 

つづきは明日にしましょう。

それまでの間、『国家のツジツマ』を読まれてはいかがですか?

 

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ではでは♬(^_^)♬