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さる26日、
今月3回目となる「FRONT JAPAN 桜」をやってきました。
共演は佐波優子さん。
テーマはこれです。
安倍内閣と「政府不信利得」/消費税増税、救済措置はこれで十分か
今回、注目されるのは
コメントの認知レベルがじつに高いこと。
いわく。
爽快な解説ですね、爽快というのもひねりがきいています。
さて問題はいかにこの爽快な状況から脱するかですが、爽快なので難しい。
いわく。
「ひ弱な花日本」の眞つ直ぐな延長線上にある現状を、
的確に分析される佐藤氏。
いつそ爽快である、文字通り。
いわく。
佐藤先生の話が凄すぎて、時々挟み込んでくるギャグに、
佐波さんも私も突っ込めません。
「まあ、保守派もついに目覚めてきたのね♥」(※)お姉さまのお言葉です。
しかし、真打ちはこれ!
この御二方の非常に重要な指摘・解説よりも、
分かりやすくルサンチマンのはけ口になりやすい
中韓やDS(注:ディープ・ステート)の解説動画の再生数のほうが伸びるというのは、
ある種の現実逃避の傾向を表すものだろう。
複雑で細やかで切実な問題と対峙する「力」が失われていることを示すものであり、
つまり急速にニヒリズムが日本を覆い始めているということであり、
佐藤氏のいう4つの政府不信利得をさらに深めることを物語っているのではないか。
「そうなの! そういうこと!」(※)個人の見解です。
もっとも実を言うと、今朝方までは
希望がなくてキツくて聞けない。○○さんの方が好き。(伏字は引用者)
という傑作なコメントがあったのですよ。
何が傑作かは分かりますね。
このコメント主(女性のようです)は
現実に直面して絶望するくらいなら、
嘘でもいいから、安心できる気休めが聞きたいと
みずから認めているのです。
よって「○○さん」も
現実を真剣に論じているのではなく、
安心できる気休め(要するに嘘)を並べているだけ
ということになる。
まあ、その認識は正しいと思いますがね。
これは文句なしに、認知的不協和大賞+爽快妄想特別賞のダブルだ!!
・・・と思ったら、
このコメント、いつの間にか消えておりました。
なぜ消えたのかは分かりませんが、残念なかぎりです。
「かわりにこれを読んで、いっそう爽快におなり!」(※)お姉さまのお言葉です。
アニメから sayaさんの熱唱まで、豪華絢爛たるプロモーション動画はこちら!
それはともかく。
7月18日、京都伏見区にあるアニメ制作会社
「京都アニメーション」の第一スタジオに男が侵入、
10〜15リットルのガソリンを建物や従業員にかけたうえで火をつける
という凄惨な事件が発生しました。
これにより建物は全焼。
男性14人と女性21人、計35名の方が亡くなり、
さらに33名の重軽傷者が出ています。
世界的に人気のあるスタジオだけに
事件は広く報道され、
ビル・ハガティ(駐日アメリカ大使)
ティム・クック(アップルCEO)
蔡英文(台湾総統)
ジャスティン・トルドー(カナダ首相)
ポール・マデン(駐日英国大使)
さらには
中国、フランス、ドイツ、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、エストニアの
各大使館からも哀悼のメッセージが寄せられました。
むろん安倍総理も哀悼の意を表明しましたし、
オタクを自認する香港の民主活動家、
周庭(アグネス・チョウ)にいたっては
京都アニメーションの作品画像まで添えて
「お亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます」
とツイートしています。
わが友、平松禎史さんも
ブログで2回にわたって今回の放火事件についてコメント。
ご自身がアニメ業界の人間だけに
ショックが大きかったに違いありません。
さて。
事件を引き起こした青葉真司容疑者は
身柄を確保された際、
「小説を盗まれたからやった」と話していたとか。
しかし・・・
同社(注:京都アニメーション)は小説を公募し大賞作品などをアニメ化するほか、
ライトノベルも出版しているが、
同社によると勤務歴はなく、小説を応募した記録もないという。
青葉容疑者はさいたま市に居住し、14日に近隣住民とトラブルを起こした。
同容疑者はこの後、スタジオを襲撃するために京都に移動したとみられるが、
関連は不明だ。
別の記事いわく。
それ以前にも、当時住んでいた集合住宅で
真夜中に目覚まし時計を鳴らしたり、
壁を叩いたり、大音量で音楽を流すなど、
住民の苦情が絶えなかった。
京都府警は、「精神的な疾患があるとの情報を把握している」と発表している。
この記事を書いた臨床心理士・経営心理コンサルタントの岡村美奈さんは
被害妄想に基づく犯行ではないかと推測します。
いわく。
被害妄想では、妄想が発展すると攻撃対象が人物から組織になり、
精神的に追い詰められると攻撃がより凄惨なものになり、
八つ当たり、無差別的な犯行の可能性が高くなるという。
壁を何度も叩かれたという隣人は、
犯行の数日前、容疑者に胸ぐらを掴まれ
「殺すぞ。こっちは余裕ねぇんだ」と凄まれたと話している。
青葉容疑者も全身に火傷を負っており、
26日に意識を回復したとされるものの
未だ重篤な状態が続いているとのこと。
もう少し回復しないことには
動機の解明は進まないでしょう。
だとしても、ここで注目したい点があります。
今から69年前、1950年の7月にも
社会に衝撃を与えた放火事件が
京都で起きているのをご存じでしょうか。
しかも火をつけられたのは
やはり世界的に知られた文化的存在。
そう、かの金閣寺です。
ウィキペディアより引用しましょう。
1950年7月2日の未明、
鹿苑寺(注:金閣寺の正式名称)から出火の第一報があり
消防隊が駆けつけたが、
その時には既に舎利殿から猛烈な炎が噴出して手のつけようがなかった。
幸い人的被害はなかったが、
国宝の舎利殿(金閣)46坪が全焼し、
創建者である室町幕府3代将軍足利義満の木像(当時国宝)、
観音菩薩像、阿弥陀如来像、仏教経巻など文化財6点も焼失した。
犯人は寺の見習い僧侶であり
大学生でもあった林承賢。
林は動機について
「世を騒がせたかった」
「社会への復讐」などと供述しましたが
病弱なうえに重度の吃音だったり、
母親からの過大な期待が重荷になっていたり、
金閣寺の内情(※)への不満も抱いていたりしたうえ、
統合失調でもあったなど、
背景は非常に複雑。
(※)僧侶よりも経営を担う事務方の立場が強かったそうです。
それもあって、この事件は
多くの作家が小説の題材にしました。
最も有名なのは、三島由紀夫の『金閣寺』でしょう。
しかるに
1)京都で夏に起きた放火事件であり、
2)文化的な価値の高い施設が狙われ、
3)犯人の動機がハッキリせず、
4)精神疾患の形跡が見られる
という点で、
京都アニメーション放火事件と
金閣寺放火事件は重なり合う。
なるほど、青葉容疑者は
林承賢と異なり、
京都アニメーションで働いていたわけではありません。
けれども「小説を盗まれた」と語っているからには
青葉容疑者も主観的には
京都アニメーションと自分の間に
関わりがあると見なしていたことになる。
のみならず。
当時の新聞によれば
林承賢はこう語っているのです。
醜い自分の性格(注:今で言う鬱状態だったようです)と
不自由な身体にたいする自己嫌悪から
美に対するねたみを抑えきれなくなった。
毎日数百人の参観者のある金閣の優美さが
呪わしいものとなり、
参観者にも反感を抱いた。
やがて学友や同僚から変質者扱いされるようになり、
いよいよ世の中がイヤになった。
(講談社『昭和 二万日の全記録』第9巻)
つまりは金閣の美に憧れるあまり
ついには金閣を呪い
火をつけずにいられなかったということですが
青葉容疑者と京都アニメーション(の作品)の間にも
同様の関係があったのではないか。
「こっちは余裕ねえんだ」という発言は
「いよいよ世の中がイヤになった」と重なりますし、
「小説を盗まれた」という妄想も、
「美に対するねたみ」を思わせるものがある。
京都アニメーションの作品の美に憧れるあまり
本来、自分が持つべき美を京都アニメーションに盗まれたと
妄想するにいたったのではないか、ということです。
のみならず注目したいのは
金閣寺放火事件が起きた
1950年7月2日という日付。
朝鮮戦争勃発(同年6月25日)の一週間後ではありませんか。
詳細こちら。
当時の日本では朝鮮戦争の発生について
戦後平和主義の夢を突き崩すものととらえる傾向が強かった。
これをきっかけに再軍備が始まりますし、
戦線が日本にも及ぶのではないかと危惧されていたのですから
無理からぬ話でしょう。
しかも前年の1949年より、
わが国は「ドッジ・ライン」と呼ばれる超緊縮財政のせいで
深刻なデフレ不況。
なにせ一年で公共事業費が半分になったのですから
そのインパクトは推して知るべし。
むろん朝鮮戦争による特需が
この不況を吹き飛ばしてくれることになるのですが
それは少し先の話。
1950年7月はじめ、わが国は
1)緊縮財政による経済的な危機と
2)朝鮮半島に起因する安全保障上の危機に
そろって直面していたのです。
ならば2019年7月のわが国はどうか。
一方では緊縮財政による貧困化と格差拡大が止まらない中、
消費税の10%引き上げが既定路線になる。
他方では韓国との関係が悪化の一途をたどる中、
北朝鮮の核開発をアメリカが
(少なくともある程度)黙認するリスクが高まっている。
・・・そっくりではありませんか!!
京都アニメーション放火事件こそは、
21世紀の金閣寺放火事件ではなかったのか。
そして朝鮮戦争は、
結果的に日本の復興と発展を後押ししましたが、
現在の朝鮮半島をめぐる安全保障上のリスクは
日本の衰退と没落に拍車をかけるかも知れない。
最悪の場合、
アメリカの後ろ盾が弱まる中、
対馬が国防の第一線になることだって
ありえなくはないんですからね。
となれば、
さまざまな理由で美に対するねたみや、
世の中への絶望感を抱くにいたった者が
第二、第三の京都アニメーション放火事件を起こす恐れも
無視しえないのではないでしょうか。
文化(および、文化活動に従事する人々)を
理不尽な攻撃から守りたければ
積極財政によってデフレを脱却したうえで
安全保障能力を強化すべし!
これが本日の結論であります。
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ではでは♬(^_^)♬
8 comments
マゼラン星人二代目 says:
7月 29, 2019
>第二、第三の京都アニメーション
それは少々考えづらい。
この事件は特殊京アニ的出来事で、たとえば、サンライズとかProductionIGとかには起こりそうにないと思う。
その際、想起すべきは「震災ゴジラ」のロジック。
それは:
人間の想像力から暴力性を排除したり握りつぶしたりすると、かえって現実世界に暴力を現出させてしまう、
というものでした。
ここでの暴力性とは「この世界の片隅に」や「シン・ゴジラ」にはもちろん、(御都合主義的楽観主義的と見なされがちな)「君の名は。」にすら必ず含まれている、そういう類のものです)
で、人死にが出ているなかで言いづらいことだけど、言う。(「犯罪を擁護するのか」といった類いの愚かしい反問には取りあわない):
京都アニメーションのコンテンツの少なくとも一部に、そうした要素が不自然なほど徹底的に抑圧されている、少なくともそう受けとめられても仕方がないようなのがありはしなかったか。「日常系アニメ」とか何とか言って。
そういった作風、その「嘘臭さ」がある種の気質の人間から(逆)恨みを買って、災厄を招きよせたと考えられはしないか。それこそ、「こっちは余裕ねえんだ」(それなのに、いい気なもんだ、こいつらは)というわけです。保守派好みの用語法に迎合すれば「お花畑」ということもできる。
>京都アニメーションのコンテンツの少なくとも一部
ハルヒはもちろん、偉大な例外。主観的には凡庸な日常を(仕方なく)面白おかしく生きているような気でいながら、その実、ごく身近に(しかし本人の与り知らぬところで)世が乱れている、というおよそ「お花畑」とは程遠いプロット。その意味で、件の容疑者がこの作品のことを(ほんのちょっとだけ)深く考えてくれたら、もしかしたら、この事件は起きなかったのではないか。
国家の一兵卒 says:
7月 29, 2019
京都アニメーションの放火事件は経過観察しなければわかりませんが、世の中の主流である略奪とペテンを駆使する謀略との因果関係はなきにしもあらずです。それは世界史から明確であり、朝鮮戦争の目的もWW2で疲弊した国際経済の立て直しと、我が国の占領政策の継続を意図したもので、それこそが、奴隷政策のアヘン戦争なども含めた国際政治の真の姿にあります。しかし、我が国の大半の国民はその厳然たる事実を知る由もなく、デタラメの平和主義を認識し、安易な安楽にうつつを抜かしながら無駄な時を過ごしている脳死状態。だからこそ国民全体で、難解きわまりない国際社会の取り組み方を模索するべきなのに、それをやらない臆病風を吹かせる安部政権の存在価値も当然あり得ない。従って恥を知るべき安部政権を退陣させ、真の独立に向けた令和ピボットを切望してやみません。
GUY FAWKES says:
7月 29, 2019
>希望がなくてキツくて聞けない。○○さんの方が好き。
>現実を真剣に論じているのではなく、安心できる気休め(要するに嘘)を並べているだけ
「嫌いな人の真実よりも、好きな人のうそがいい」ーハンナ・アーレント
ナチスへの協力によって公職追放にあったマルティン・ハイデガーの自己弁明をアーレント女史は擁護し続けました。
自分にとって耳障りのよい言説を支持することと特定の異性への恋慕との違いはあれど、本質的には同じなのでしょうかね。
>京都アニメーションの作品の美に憧れるあまり本来、自分が持つべき美を京都アニメーションに盗まれたと妄想するにいたったのではないか、ということです。
やはり佐藤先生ならこの点に気がつくと察しておりました。
今回の京アニ放火事件をテロと見做す人は多いですが、これはテロというよりも芸術への破壊主義(アート・ヴァンダリズム)だと考える視点を提示している人は全くいない、国際政治学者の六辻彰二氏ぐらいなものでしょうか。
https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20190722-00135103/
京アニ事件は「美への憎悪」か――大量殺人をともなう芸術破壊の特異さ
>ところで、社会生活がうまくいかず、さまざまなコンプレックスを抱えた人間にとって、京アニの細緻かつ鮮やかな作画で描き出される穏やかな日常や温かい人間関係は眩しく、できればそうありたいと思わせたと想像しても無理はない。
>ところが、それが自分には実現不可能と確信した時、美しいものはかえって憎しみの対象にもなり得る。それは1950年の金閣寺放火事件を題材にした三島由紀夫の『金閣寺』で描かれる倒錯に近いかもしれない。
約10年前に私が度々読み返している佐藤先生のご著書『夢見られた近代』で「世の終わりを到来させる為には『象徴が現実に打ち勝つ』必要がある」というインタビュー先の指摘があります。これは言い換えれば『現実が象徴に打ち負かされる』ということでもある。
つまり、薄給でありながらもそれなりの福利厚生を維持して世界的に認められたアニメーションを提供している現実の会社が、
自分達が提供しているアニメーションの美しさを「盗まれた」と妄想した空想、即ち象徴によって火の海にされた。
刃物や銃火器による殺人ではなく、ガソリンによる放火による大量殺人という方法もまたその象徴性を高める。
この事件を単なる「異常者の凶行」と見做してガソリン購入の規制強化やら厳罰化を唱えているだけの人は、
先の児童虐待による殺人を「親が異常だったから」と個々の責任に追いやることで矮小化を図っているのと同じです。
豆腐メンタル says:
7月 29, 2019
結構近くなんですよね事件現場。
駅では有志の方が折り鶴を集めています。
海外の方にもアピールしています。
ともあれ今回の先生の視点にはヒヤリとさせられます。
今回の選挙結果にも感じた事ですが、象徴的と思われる出来事が世に溢れていると改めて気付かされます。
微妙に現実離れしたような日常が不吉な気がするとしか言いようもないのですが。。
黄老思想(君主が天道に背く君主の勝手な行動をとることを禁じ、また秩序維持のために社会に過度に干渉することは避け、さらに統治にかかるコストを下げるべきとする思想-wikiより-)にも似た、怒りと諦めと他人事のブレンドのような鬱憤を今の世に感じるからでしょうか。
香港はどうなるでしょうね。
拓三 says:
7月 29, 2019
桜でのお話と今回のお話を総合すれば戦後日本人と京都放火殺人の容疑者とマインドは同じ。
国家とアニメ会社の違いであってどちらも潰す事が目的。
人が死ぬのは結果であって目的ではないでしょう。
「国家に騙された」「アニメ会社に盗まれた(騙された)」何が違うのか。
ガソリンを撒いて火をつければ人は死ぬ…
消費税を上げれば人が死ぬ…
考えれば解ること…
どちらも依存マインドが作り出した産物。
あっ、今は米国依存…ヤバくね !?
危惧茄子 says:
7月 29, 2019
今回の京都アニメーションの放火事件。
やはりデフレ期に多い犯罪傾向とみえます。
デフレは妬みによる凶悪犯が増え、インフレは知能犯が増えるというのはよく言われる話。
「成功者への嫉妬」が根本にあるのは疑いようのない事実。
金閣寺放火であれ、京アニの放火であれ。
「芸術の世界で成功した人やモノへの嫉妬」ととることができるのではないか。
デフレ期にはそういう嫉妬は増幅しやすい。
そう考えると、長く続く振り込め詐欺被害は実は今回の事件のスタートだったのではないか。
そして今年の相次いだアポ電強盗は今回の予兆で、その流れにある、今年の江東区の資産家殺人事件もこの一つの流れのうちであったのではないか。
これだけ民間からデフレへの警鐘がならされていたにもかかわらず、いまだに積極財政の「セ」の字も言わない政府。
これ以上の凶悪事件が起こらなければよいが…。
京都アニメーションの放火犠牲者へのご冥福をお祈りしながら、そんなことを考えた今回の事件であった。
富田師水 says:
7月 29, 2019
ドッジ・ライン直後に起きていたのか・・・
たしかに緊縮は関係ありそうです。ほんとうに背筋が凍る思いです。
マゼラン星人二代目 says:
7月 30, 2019
>21世紀の金閣寺放火
攻撃が「成果物」でなく、「生産手段」(作り手、設備)に及んだこと、それが今回の事件が「21世紀」的である所以でしょう。(ある人は、それを「大量殺人をともなうアートヴァンダリズム」と呼んでいる)
何故、そうなるかと言えば、「複製技術時代のアート」は、一度それが世に問われるとそれを物理的に消滅させることが事実上不可能なのに対して、前近代のアートは当の作品そのものを潰せば、大抵の場合、それで事足りるからだと思う。
>一度それが世に問われるとそれを物理的に消滅させることが事実上不可能
「憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」と叫んだ人物は、誰あろう、「金閣寺」の著者である。