本日は「新日本経済新聞」と
KADOKAWA ちょく論の「踊る天下国家」が
そろって配信されます。
「新日本経済新聞」のテーマは「前号記事への疑問に答える」。
基本的には本ブログで10月23日に配信した
「メルマガへの疑問に答える」
(「政治・社会」「著作関係」カテゴリー)と重なりますが、
新たなポイントを追加しました。
先の記事では、施光恒さんによる
「憲法九条がノーベル平和賞を取ると、改憲はかなり難しくなるので、対米依存からの脱却が遅れる」
という趣旨の議論を取り上げて、
1)平和賞を取ったら最後、九条がそこまで絶対化されるというのは本当か?
2)平和賞候補になっているのは九条ではなく、「九条を有する日本国民」だが
「日本国民の受賞=九条の受賞」という図式は本当に成立するのか?
という疑問を提起したわけですが、
よく考えてみると、さらに面白いことがある。
かりに施さんが主張されるとおり、
日本国民のノーベル平和賞受賞が、九条の平和賞受賞とイコールに見なされ、
その結果、九条の絶対化が生じた、としましょう。
非核三原則を提唱したことによる佐藤栄作さんのノーベル平和賞受賞が、
非核三原則の平和賞受賞とはイコールに見なされず、
非核三原則の絶対化が生じていないのを思えば(※)、
まずありえないことですが、
あくまで仮定の話です。
(※)反核を訴えるのは左翼のお家芸の一つながら、
「ノーベル平和賞に輝く非核三原則」などという表現が用いられた例は
私の知るかぎり存在しません。
万が一、まかりまちがって、
憲法九条の絶対化が生じた、としてですよ、
それが(安全保障における)対米依存からの脱却を遅らせると判断するのは妥当でしょうか?
九条の条文を厳格に解釈したら、
日米安保条約などは廃棄せよという話になりかねない。
そして安保条約が廃棄されれば、
安全保障における対米依存は否応なしに終わるのです!
「日本国民の平和賞受賞は、九条の受賞とイコールに見なされ、九条の絶対化を引き起こす」という
施さんの発想が正しいとすると、
日本国民のノーベル平和賞受賞は、対米依存からの脱却を遅らせるどころか、
それを促進する可能性のほうが高いのでは!!
論より証拠、
鷹巣直美さんをはじめとする受賞推進派のみなさんが、
かつて「安保反対」を唱えた人々の系譜に連なることは
誰しも認めるところでしょう。
護憲派左翼は反米なのです。
日本が安全保障における対米依存を続けてきたのは、
これら左翼の主張を
いわゆる親米保守が抑え込んできたからなのですよ!
対米依存からの脱却は、九条の改正によってもなされますが
九条の絶対化によってもなされるのです!!
・・・物事を柔軟に考えるのがいかに重要か、あらためて納得していただけたのではないでしょうか。
「憲法九条がノーベル平和賞を取ると、改憲はかなり難しくなるので、対米依存からの脱却が遅れる」
という施さんの主張は、
保守派にとって、スッと受け入れられるものだと思います。
しかし冷静に考えてみると、
1)「憲法九条がノーベル賞を取る」(厳密には間違いですが、このままにしておきます)ことと
「改憲がかなり難しくなる」ことの因果関係はもちろん、
2)「改憲がかなり難しくなる」ことと、「対米依存からの脱却が遅れる」ことの
因果関係まで不明確なのです!
将来の歴史家たちが、
「21世紀前半、安全保障をめぐる対米依存から日本が脱却するきっかけを作ったのは、
鷹巣直美をはじめとする『九条にノーベル平和賞を』運動だった」
などと記すことだって、まかりまちがえば生じるかも知れないじゃないですか。
ではでは♬(^_^)♬
9 comments
たかゆき says:
10月 29, 2014
吉鳥♪
この国を
脱米 核保有へと導く鳥は
鷹だろうが 鳩だろうが
良い鳥です。
脱米 核武装こそが
戦争に巻き込まれない
最善の策であるという意見に
ぼくは強く同意いたします。
改憲も政治家を選びます、、、
安倍某とかいう
無能な男に憲法を弄らせては
なりません。
木枯らしや
昭和は遠く
なりにけり(如鷹)
今夜は
『戦争を知らないオトナたち』でも聴きながら
比内地鶏の きりたんぽ鍋と
辛口の「高清水」で
昭和に思いを馳せることと
いたしませう。
カインズ says:
10月 29, 2014
福田恆存氏が、国民が防衛について本気で討議・検討するためにも、最高裁が自衛隊を違憲だと言うべきだと主張していたことが思い出されます(福田恆存・浜崎洋介(編)『保守とは何か』 文藝春秋 2013 372頁)。それならば、憲法九条にノーベル平和賞という権威が与えられると、かえって国民が九条のデタラメさに気づくということもあるかもしれませんね。もっとも、お気楽ムードのままで終わってしまったり、すぐに憲法のことなど考えなくなってしまう可能性の方が高いような気もするのですが。
SATOKENJI says:
10月 29, 2014
(↑)国民のお気楽ムードは、改憲派保守と護憲派左翼の両方にとって、同じぐらい困りものということですね。
保守と左翼が連帯して、国民に「賛成でも反対でもいいから、お気楽ムードだけは捨ててくれ!」と求めたほうが良いのでは・・・
マゼラン星人二代目 says:
10月 29, 2014
保守の敵、左翼の敵は、結局のところ「ノンポリ」ということでしょう。
さはさりながら、全国民こぞって、日々の生活そっちのけで高度国家論に喧喧諤諤というのも、古代スパルタみたいで何だかヤな感じ。
団扇とかワインとかSMバーに話題を攫われて、朝日新聞スキャンダルのことなんか、普通の人はもう誰も覚えてない、と言わんばかりの現今の言論状況の方が近代国家のありかたとしては健全だ、とも考えられないでしょうか。
akkatomo says:
10月 29, 2014
お気楽ムードを捨て去る為には、本当にお気楽と言ってられない状況にならないと
難しいように思います。日本国民は自分の貯蓄が勢いよく目減りしたり、
身の回りの人間が多く死ぬことが日常にでもならない限り、
道理として正しい事よりも、自らが信じたいお気楽平和な日常を選び取るかと
人間自分の見たいものを喜んで見る訳ですから左翼と捕手が横から口を挟んでも、
マスメディアが大きく宣伝でもしない限り、俺達の邪魔をするな、で国民は終わるのでは
マゼラン星人二代目 says:
10月 29, 2014
>九条の条文を厳格に解釈したら、
>日米安保条約などは廃棄せよという話になりかねない。
その暁には、「厳格解釈」という名のもとに、
一方では、イスラエル派兵を求められた時点で第一項(交戦権の否認)に照ら
して日米安保条約は瞬時に破棄、
他方で、事実上の国軍である自衛隊の存在と第二項(戦力の不保持)との矛盾
は依然として不問、天才的な法学者の出現が待たれる、
という「時宜に適った柔軟な運用」の歴史が装いをあらたに再開するということも無きにしもあらず。
雪月花 says:
11月 1, 2014
そもそも憲法9条とかノーベル平和賞とか後ろに(笑)が付いてもおかしくないぐらい、殆どの人は信じてないですよね。きっと、「9条をノーベル平和賞に!」の活動家や朝日新聞社員でさえ、殆どの人は商売でやってるだけでしょう。
9条とかノーベル平和賞の位置づけを考えると、中野さんの本「世界を戦争に導くグローバリズム」でいうところの理想主義(人権とか民主主義、非暴力)に基づく願望が9条で、その理想主義を権威づけるのがノーベル平和賞ということになると思います。
しかし、信じてないし興味もない人はわざわざ活動しないですが、信じているフリをしている人は活動して自己の利益に結び付けようとするわけです。非論理的でも目的意識がある集団の活動は効果があるんでしょうね。
そんな活動が世論にどんどん影響を与えると、論理なんてものは置き去りに、結局やりたいようにやられてしまうんじゃないかとも思います。正しいだけじゃ人は動かないですから。
SATOKENJI says:
11月 1, 2014
つまりは国民の見識や主体性を、どこまで信頼できるかだと思います。
受賞推進運動を禁止することは無理ですので・・・
むっつー says:
11月 1, 2014
佐藤先生、私は先生の話が好きですが、
やはり九条が受賞したように思われることで、対米依存から急激に脱出できたとしても、
それは国家の安全保障が犠牲になってのことなので、国益にはならんのではないかと思います。
一番良いのは自力で防衛力を蓄えて、徐々に離脱していくのが良いと思うので、
この問題に関しては、「なんでもありのうやむや状態」を維持しておくのが、
アメリカにベッタリしておけばOKと言う保守派の人と主張が被るかもしれないですが、
ベターなのではないでしょうか…?