世の中、

メチャクチャな言動をする人間には事欠きません。

これは厳然たる事実です。

 

しかし、

それと並ぶ厳然たる事実がある。

 

すなわち

メチャクチャな言動をするヤツと思われたい人間も、まずいない。

 

つまりメチャクチャな言動の背後には

意図と結果の明らかな不一致、

ないし歪みが存在します。

 

そしてこの歪みの構造を考えると

往々にして、じつに多くを学ぶことができる。

 

すなわちメチャクチャな言動をする人間は

まさしくメチャクチャであるがゆえに

世の中を理解するうえで

きわめて有益たりうるのです。

 

これを「メチャクチャな言動に関する佐藤テーゼⒸ」と呼ぶことにしましょう。

 

ちなみに大島優子・・・

もとへ中野剛志さんの「富国と強兵」や

青木泰樹さんの一連の論考も

なぜ(主流派)経済学者はメチャクチャな言動をしてしまうのか、

その構造を分析しているわけです。

 

さて。

保守の重鎮と目されつつ

物わかりよさげな猫なで声+上から目線

という、左翼・リベラル系インテリそっくりの物腰を持つK先生は

太平洋戦争において、日米はともに国際共産主義と戦っていた

とか、

戦争というものは勝てばいいというものじゃない

とか、

自存自衛を達成するには戦いに負けたっていい

とか、

本土決戦してまで勝とうという考えは野蛮だ

などなど、

じつに注目すべき言動を見せています。

 

これらの主張が

メチャクチャだとはあえて申しませんが

戦争当時の指導者

昭和天皇

そして英霊の三者を

そろって貶めるものであることは否定できません。

 

それどころか西部邁先生が

本土決戦について(戦後の)言論界でただの一度でも議論されたのか? 

といえばまったくの皆無なんですよ、

僕はこれ自体ノーマルじゃないといっているんですよ。

と述べたところ、

K先生、

私はそれがノーマルだと思う。

それが日本人が正常だった証拠ですよ。

ここでもし本土決戦やったらどうなったかっていう観念的遊戯をするのが、

それがもう堕落のもとですな。

と言い張った模様。

 

W(^_^)W\(^O^)/この人、これで九条改正賛成なんだって\(^O^)/W(^_^)W

 

しかし

いかに物腰が左翼・リベラルそっくりであろうと

K先生は主観的には保守派のはず。

 

どうしてこうなるのでしょう?

 

4月16日のブログ

「現実主義の名のもと、自分の首を絞める方法」で展開した分析を当てはめれば

この疑問は一発、氷解します。

 

つまりですな、

対米従属を正当化する形で、戦前と戦後に(妄想崛起でいいから)筋を通す

というのが

大部分の保守インテリのひそかなテーマなのですよ。

 

ここから必然的に導き出されるのが

太平洋戦争において、日米はともに国際共産主義と戦っていた 

という、先に紹介した妄想崛起。

 

鬼畜米英と呼ぼうが、

特攻隊を繰り出そうが、

空襲や核攻撃で民間人を殺戮しようが、

じつは仲間同士だったというわけです。

 

つづいて出てくるのが

太平洋戦争は、あくまで自存自衛のための戦いであり、

アジアを植民地支配から解放して大東亜共栄圏をつくるという崇高な理想は

たんなる付け足しだった

という妄想崛起。

 

そりゃそうだ。

白人支配の国際秩序に真っ向から挑戦した、なんて言ったら

日米はじつは仲間だったなんて主張は崩壊しますからね。

 

なおこの場合、

戦後にアジア諸国が独立したからといって

日本の戦争目的は達成された! などと胸を張ることはできないはずですが

そこはそれ、

終わりよければすべてよし、とばかりに

物わかりよさげな猫なで声+上から目線でゴマカシを計ればいいわけです。

 

し・か・し。

 

対米従属を正当化しつつ戦前と戦後に筋を通すうえでは

まだ難関が待ち受けている。

すなわち本土決戦です。

 

かりにこれを実行していたら

日本は亡国どころか

文字通りの民族滅亡の危機に瀕した恐れが強い。

で、それでも日米は仲間だったの?

 

・・・K先生が本土決戦どころか

本土決戦について想像することすら

観念的遊戯などと呼んで否定したがる理由も

ここまで来れば明らかでしょう。

 

日本は滅んでもアメリカと戦い抜く覚悟だったと認めたら

対米従属を肯定しつつ、戦前と戦後に筋を通すという

ひそかなテーマが吹っ飛んでしまうのですよ。

 

けれどもこれは

1945年8月の段階で降伏して良かった

ということですから

日本は負けて良かったという左翼・リベラルの主張と

何も変わらなくなってしまう。

 

この点をごまかすには

戦争というものは勝てばいいというものじゃない

本土決戦してまで勝とうという考えは野蛮だ!

と前置きしたうえで

自存自衛を達成するには戦いに負けたっていい

(=総力戦に負けても自存自衛は達成される)

という、

輝けるトンデモ論を展開するしかないじゃないですか。

 

そして自分のトンデモぶりを隠蔽すべく

ポツダム宣言の受諾は昭和天皇の聖断によるものだから

日本人としてありがたく受け止めねばならない

と、やるわけです。

 

すなわちK先生の主張は

一見、天皇を敬っているように見えて

じつはアメリカを崇拝するものであり

陛下への敬慕の姿勢はそれを正当化するためのダシにすぎない

と言わねばなりません。

 

こういう人物が保守なのか?

そうだ!

それも保守の重鎮なのだ!!

 

だ・か・ら

『右の売国、左の亡国』と言うのですよ!

 

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水島社長は最近、

森友学園騒ぎはニセ保守の正体を暴き出すものであり

その意味で起きて良かった

という趣旨の主張を展開していますが

われらが日本文化チャンネル桜も

これについては立派な成果を挙げているのです。

 

あ、もっとも。

この記事の内容からお分かりとは思いますが

K先生の言動には

明らかな論理的一貫性が見られます。

 

根本の前提が大間違いなせいで

論理的な整合性を持たせようとすればするほど

議論がトンデモになってゆくというだけのこと。

 

いわゆる保守派インテリの中には

論理的一貫性も何もないまま

その場しのぎでメチャクチャな言動をして恥じない者

少なからず存在していますので、

やはりK先生には品格と貫禄があると言えるでしょう。

 

残念な人無残な人には

おのずから違いがあるのです。

 

だとしても

本土決戦をやっていたら日本はどうなったかを考えることを

観念的遊戯と見なさずにはいられない人物が

日本が自立するにはどうすればいいかをまともに考えることができるかどうかは、

もはや言うまでもないでしょう。

ジャン=リュック・ゴダールが喝破したとおり、

想像力を欠く者は(観念に耐えられないので)現実に逃げ込むのです。

 

むろんここで言う「現実」とは「現状維持」のことですよ!

ではでは♬(^_^)♬