世の中、
メチャクチャな言動をする人間には事欠きません。
これは厳然たる事実です。
しかし、
それと並ぶ厳然たる事実がある。
すなわち
メチャクチャな言動をするヤツと思われたい人間も、まずいない。
つまりメチャクチャな言動の背後には
意図と結果の明らかな不一致、
ないし歪みが存在します。
そしてこの歪みの構造を考えると
往々にして、じつに多くを学ぶことができる。
すなわちメチャクチャな言動をする人間は
まさしくメチャクチャであるがゆえに
世の中を理解するうえで
きわめて有益たりうるのです。
これを「メチャクチャな言動に関する佐藤テーゼⒸ」と呼ぶことにしましょう。
ちなみに大島優子・・・
もとへ中野剛志さんの「富国と強兵」や
青木泰樹さんの一連の論考も
なぜ(主流派)経済学者はメチャクチャな言動をしてしまうのか、
その構造を分析しているわけです。
さて。
保守の重鎮と目されつつ
物わかりよさげな猫なで声+上から目線
という、左翼・リベラル系インテリそっくりの物腰を持つK先生は
太平洋戦争において、日米はともに国際共産主義と戦っていた
とか、
戦争というものは勝てばいいというものじゃない
とか、
自存自衛を達成するには戦いに負けたっていい
とか、
本土決戦してまで勝とうという考えは野蛮だ
などなど、
じつに注目すべき言動を見せています。
これらの主張が
メチャクチャだとはあえて申しませんが
戦争当時の指導者
昭和天皇
そして英霊の三者を
そろって貶めるものであることは否定できません。
それどころか西部邁先生が
本土決戦について(戦後の)言論界でただの一度でも議論されたのか?
といえばまったくの皆無なんですよ、
僕はこれ自体ノーマルじゃないといっているんですよ。
と述べたところ、
K先生、
私はそれがノーマルだと思う。
それが日本人が正常だった証拠ですよ。
ここでもし本土決戦やったらどうなったかっていう観念的遊戯をするのが、
それがもう堕落のもとですな。
と言い張った模様。
W(^_^)W\(^O^)/この人、これで九条改正賛成なんだって\(^O^)/W(^_^)W
しかし
いかに物腰が左翼・リベラルそっくりであろうと
K先生は主観的には保守派のはず。
どうしてこうなるのでしょう?
4月16日のブログ
「現実主義の名のもと、自分の首を絞める方法」で展開した分析を当てはめれば
この疑問は一発、氷解します。
つまりですな、
対米従属を正当化する形で、戦前と戦後に(妄想崛起でいいから)筋を通す
というのが
大部分の保守インテリのひそかなテーマなのですよ。
ここから必然的に導き出されるのが
太平洋戦争において、日米はともに国際共産主義と戦っていた
という、先に紹介した妄想崛起。
鬼畜米英と呼ぼうが、
特攻隊を繰り出そうが、
空襲や核攻撃で民間人を殺戮しようが、
じつは仲間同士だったというわけです。
つづいて出てくるのが
太平洋戦争は、あくまで自存自衛のための戦いであり、
アジアを植民地支配から解放して大東亜共栄圏をつくるという崇高な理想は
たんなる付け足しだった
という妄想崛起。
そりゃそうだ。
白人支配の国際秩序に真っ向から挑戦した、なんて言ったら
日米はじつは仲間だったなんて主張は崩壊しますからね。
なおこの場合、
戦後にアジア諸国が独立したからといって
日本の戦争目的は達成された! などと胸を張ることはできないはずですが
そこはそれ、
終わりよければすべてよし、とばかりに
物わかりよさげな猫なで声+上から目線でゴマカシを計ればいいわけです。
し・か・し。
対米従属を正当化しつつ戦前と戦後に筋を通すうえでは
まだ難関が待ち受けている。
すなわち本土決戦です。
かりにこれを実行していたら
日本は亡国どころか
文字通りの民族滅亡の危機に瀕した恐れが強い。
で、それでも日米は仲間だったの?
・・・K先生が本土決戦どころか
本土決戦について想像することすら
観念的遊戯などと呼んで否定したがる理由も
ここまで来れば明らかでしょう。
日本は滅んでもアメリカと戦い抜く覚悟だったと認めたら
対米従属を肯定しつつ、戦前と戦後に筋を通すという
ひそかなテーマが吹っ飛んでしまうのですよ。
けれどもこれは
1945年8月の段階で降伏して良かった
ということですから
日本は負けて良かったという左翼・リベラルの主張と
何も変わらなくなってしまう。
この点をごまかすには
戦争というものは勝てばいいというものじゃない
本土決戦してまで勝とうという考えは野蛮だ!
と前置きしたうえで
自存自衛を達成するには戦いに負けたっていい
(=総力戦に負けても自存自衛は達成される)
という、
輝けるトンデモ論を展開するしかないじゃないですか。
そして自分のトンデモぶりを隠蔽すべく
ポツダム宣言の受諾は昭和天皇の聖断によるものだから
日本人としてありがたく受け止めねばならない
と、やるわけです。
すなわちK先生の主張は
一見、天皇を敬っているように見えて
じつはアメリカを崇拝するものであり
陛下への敬慕の姿勢はそれを正当化するためのダシにすぎない
と言わねばなりません。
こういう人物が保守なのか?
そうだ!
それも保守の重鎮なのだ!!
だ・か・ら
『右の売国、左の亡国』と言うのですよ!
水島社長は最近、
森友学園騒ぎはニセ保守の正体を暴き出すものであり
その意味で起きて良かった
という趣旨の主張を展開していますが
われらが日本文化チャンネル桜も
これについては立派な成果を挙げているのです。
あ、もっとも。
この記事の内容からお分かりとは思いますが
K先生の言動には
明らかな論理的一貫性が見られます。
根本の前提が大間違いなせいで
論理的な整合性を持たせようとすればするほど
議論がトンデモになってゆくというだけのこと。
いわゆる保守派インテリの中には
論理的一貫性も何もないまま
その場しのぎでメチャクチャな言動をして恥じない者も
少なからず存在していますので、
やはりK先生には品格と貫禄があると言えるでしょう。
残念な人と無残な人には
おのずから違いがあるのです。
だとしても
本土決戦をやっていたら日本はどうなったかを考えることを
観念的遊戯と見なさずにはいられない人物が
日本が自立するにはどうすればいいかをまともに考えることができるかどうかは、
もはや言うまでもないでしょう。
ジャン=リュック・ゴダールが喝破したとおり、
想像力を欠く者は(観念に耐えられないので)現実に逃げ込むのです。
むろんここで言う「現実」とは「現状維持」のことですよ!
ではでは♬(^_^)♬
28 comments
BlueBagura says:
4月 20, 2017
〉戦争当時の指導者、昭和天皇そして英霊の三者をそろって貶めるものであることは否定できません
もしかしたら、K先生は皇祖皇宗を敬っているのかもしれませんよ。そうであれば、戦争当時の指導者、昭和天皇そして英霊の三者という存在自体の重みは薄れます)。それらの存在を貶めているという佐藤さんの評価はもしかしたら、思い込みや無知によるものなのかも…。
SATOKENJI says:
4月 20, 2017
>もしかしたら、K先生は皇祖皇宗を敬っているのかもしれませんよ。
おおいにありうる話です。
1946年9月、ニッポン・タイムズ紙(現ジャパン・タイムズ)が報じたところによれば、
敗戦直後の日本では、マッカーサーを神武天皇の再来とあがめる人々が多々いたとのことですので。
詳細はこちら。
「僕たちは戦後史を知らない」
http://amzn.to/1lXtYQM
ただし。
「皇祖皇宗を敬っているのかも知れない」と想定するだけでは
同氏の発言は、戦闘当時の指導者、昭和天皇、
および英霊をそろって貶めているわけではない
という結論は成り立ちません。
皇祖皇宗を敬っていれば、この三者を貶めても良いというのであれば別ですよ。
けれどもその場合は、
皇祖皇宗をダシにして対米従属を正当化している
と見なされても仕方ないでしょう。
むろん
「マッカーサー=皇祖皇宗」とすれば
上記の問題は解決します。
だからこそ当時の日本では「神武天皇再来説」が広まったのでしょうが
さすがにこれはちょっと・・・
ついでに
皇祖皇宗を敬っていれば、とにかく国際共産主義が悪かったと見なして良い
かどうかも疑問でしょうね。
BlueBagura says:
4月 20, 2017
着想が先走ったせいか、誤解を与える表現だったかもしれませんね(^^♪。
↓以下訂正
K先生は皇祖皇宗を敬っているがゆえに、三者(戦争当時の指導者、昭和天皇そして英霊)の存在の重みは相対的に薄れてしまう。知識人含む観念的な人達並びに訓戒された大衆がそれを見ると、K先生がまるで三者を貶めているように観えるという事だと思います。
従って、「皇祖皇宗をダシにして対米従属を正当化している」と見なすのではなく、「世の中には努力ではどうする事も出来ない事が幾つもあると完全に悟っている」と見なすのが健全でしょう。
恐らく人並み外れた努力の結果、最終的に諦念に辿り着いたのがKさんなのでしょう。私は素直に「ご苦労様でした。」と言いたい気持ちで一杯です(^^)/。
SATOKENJI says:
4月 20, 2017
>「世の中には努力ではどうする事も出来ない事が幾つもあると完全に悟っている」
この中に対米従属を含めたらどうなるか。
たしかにあれも、努力ではどうすることもできない恐れがありますからね。
するとKさん、皇祖皇宗ではなく、
諦念をダシに対米従属を正当化しているのかも知れません。
なるほど、またもや大いにありうることです。
「今さら自立をめざして何になる」というわけで。
もっとも、そのわりには総理の決意表明に期待するなど、
今ひとつ諦念に欠けておられる感も・・・
ちなみに解釈においては、「健全かどうか」よりも「論理的かどうか」がずっと重要です。
何が健全かなんて、価値観次第でいくらでも変わりうるものですからね。
そして左翼・リベラルの九条崇拝を想起すれば分かるとおり、自分の解釈の「健全性」を信じて疑わないのは、観念的な態度の典型例。
気をつけたいものです\(^O^)/
半ライス大盛 says:
4月 20, 2017
白州次郎先生の『プリンシプルの無い日本』と言う言葉に、左も右も集約されるような気がしました・・・
別件ですが、猫撫で声+上から目線は、会社の中でも良く見られる光景です。そこで
私もそのような相手に対し、同様の態度で臨んでみました。(毒は毒を以て征す)
私の場合、猫撫で声+上から目線+嘲笑の3点で相手をせめてみました。
結果、相手は顔を赤らめて怒号を発する程、エキサイトして頂けました。
この勝負、私は相手を怒らせた時点で勝った!と自負しましたが、話し合いそのものは決裂し
なんら建設的な結果は導き出せなかった事をここにご報告申し上げます。
GUY FAWKES says:
4月 20, 2017
>皇祖皇宗を敬っていれば、この三者を貶めても良いというのであれば別ですよ。
けれどもその場合は、皇祖皇宗をダシにして対米従属を正当化していると見なされても仕方ないでしょう。
>むろん「マッカーサー=皇祖皇宗」とすれば上記の問題は解決します。
だからこそ当時の日本では「神武天皇再来説」が広まったのでしょうがさすがにこれはちょっと・・・
極めて核心を突いたご指摘です。こうすることで開戦と戦争遂行の目的を達成できなかった、ないしは明確にできなかった等々、
手段と結果の全てを有耶無耶に帰することができます。
昭和天皇の生存担保も表向きは敬う様で、本心は無意識であっても
利用する駒(GHQの意図と見事に合致!)としか見做していないことが読み取れます。
詰まるところ、あらゆる物事には始まりと終わりがあるという順序の認識からして間違っているのだから
筋の通し方に至るまで、まるで逆になっている。
「どう見ても大失敗だったが、無理矢理にでも正当性を作らないといけない」と、
後付けの継ぎ接ぎで誤魔化しに欺瞞を重ねた末に辿り着いたのがK先生の様な方だった。
まさに戦後保守の面目躍如と言ったところでしょうか、当人らにそれを指摘すると
例によって猫なで声と上から目線でのらりくらりと躱されるのがオチでしょうが。
何れにしても、保守・左翼リベラルに限らず、無党派層全てを含んだ日本人全員が
「敗戦の否認」を有していると考えるとますます腑に落ちてしまいます。
そして、昨夏のシンポジウムで浜崎洋介さんも日本国憲法について述べられる中でご指摘された
「マッカーサー=皇祖皇宗(あるいは慈父)」というファンタジーも「12歳の少年」発言によって、
ものの見事に戦後日本人は掌返しをして熱が冷めることとなり、次は「高度経済成長」という代物に縋りつく…
カインズ says:
4月 20, 2017
皆さんのコメントを拝見していると、マッカーサーが独断で日本の戦後処理につき寛大な政策をとったことは想像以上に大きな影響を日本に与えたことになりますね。マッカーサーが熾烈な政策をとっていれば、そんな人物を神武天皇の如く崇めることもなかったでしょうし、日本人の精神にもアメリカに対する反発心がきっと残ったことでしょうから。
SATOKENJI says:
4月 20, 2017
ご存じの通り、マッカーサーにはマッカーサーの思惑
(→1948年大統領選で勝ちたい!)があり、
対日占領はその足がかりと位置づけられていたわけですが
やはり向こうの方が一枚上だったと言わざるをえないでしょう。
GUYFAWKES says:
4月 20, 2017
>マッカーサーが熾烈な政策をとっていれば、そんな人物を神武天皇の如く崇めることもなかったでしょうし、日本人の精神にもアメリカに対する反発心がきっと残ったことでしょうから。
仮にその線でマッカーサーが苛烈な対日占領の指揮を執っていた場合、
佐藤先生は『右の亡国、左の売国 2020年、世界が日本の中心を爆発させる』を上梓されていたでしょう(苦笑)
はぁぁ…日本が誇る電子機器メーカーがスカイネットを作ってくれれば…
東芝やシャープにはもう見る影もありません。
もはや、これまで!(いや、ダメだろうそれは!)
shun says:
4月 20, 2017
チャンネル桜「どこまで自立したか?日本」見ました。
番組見てて、引っかかったのは
K大先生がアメリカの歴史観を擁護していたことに加えて、
出演されていたもう一人のKさんの言葉です。
この方、佐藤先生が先の大戦における日本の「大義」を語られた時に
随分食って掛かっていましたね。
「そんなこと今さら言って何になる」と。
個人的にKさんが「もうアメリカの51番目の州でいいじゃないか!アメリカ最高!」と
言うんじゃないかと、ハラハラドキドキしてました(笑)
こうなれば誰かさんたちのように
徹底的に「アメリカ様」に従属して
西部先生の言う「JAP」に成り下がるか、
それとも屈辱に耐え忍んだ長州藩・薩摩藩や
「タタールのくびき」から戦略的に脱していった
モスクワ大公国のように自らの独立を勝ち取るか、二つに一つですね。
番組見てて「JAPにはなりたくないな」と思いました。
SATOKENJI says:
4月 20, 2017
人間、食ってかからずにいられなくなるのは
強い不安に駆られた時です。
何がK氏を不安にさせたか、ですね。
メイ says:
4月 20, 2017
想像ばかり書いてしまうかもしれませんが、お許しください。
敗戦後の日本は、色々と思うところはあっても、戦後レジームを受け入れている・・受け入れすぎていると感じますが、その理由はきっとひとつではないのでしょうね?
日本人の一般的な価値観では、「負けた以上はぐずぐず言わずに潔く敗者の立場に立つ」ことで、早く社会秩序を安定させようとしていた、ということなのだろうか。
日本人は、歴史をおおざっぱに振り返ると、平和が長く続くと武士でも貴族化する傾向がある、という性質が今でも変わっていない、ということなのだろうか。
あるいは、件の戦争で米国と戦って、「いくら戦争とはいえ、ここまで残酷になれるものだろうか?ためらいなく住宅地や無辜の民を攻撃できるものだろうか?我々とは違う。そこまで残酷にならなければ勝てないというなら、彼の国には勝てない・・」と思ってしまった、ということだろうか。
年配の方ほど、親米というかか恐米?と感じさせる方が多くいらっしゃるとしたら、理由のある事なのかもしれませんね。
私はなんの立場もありませんし、最近特に色々な人の意見を、批判せずに理解したい、聴いてみたいと思ってしまっていて・・こんな風に申しますと、不快に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが・・佐藤さんは許して下さる気がして、まだ少し曖昧な状態の考えを書いてしまいました。
とはいえ、行き過ぎた従米が、日本の国益を棄損し始めている現状があると思いますし、これ以上は・・という焦りみたいなものもありますし、親米派の方々に理解を求めたい。
メイ says:
4月 21, 2017
上記投稿、急いで書いたので、乱筆乱文ですね。すみません・・。
メイ says:
4月 21, 2017
勝ち負けに価値をおいているタイプの方と討論すると、力で押して来られる事があるから、難しい時がありますよね・・。討論とはどうあるのが良いのか、あらためて考えさせられました。佐藤さん、ご苦労されたのではないでしょうか。
私は佐藤さんが、戦前と戦後で断絶しかけている日本に筋を通して、連続性を途絶えさせずに、ひとつながりの「日本」であるように模索して下さっている事を感じて、本当に感謝しております。
敗戦後の日本は、「新生日本」というか・・アメリカ的な左翼国家に向かうよう方向づけられたと感じておりますが、それは運命ではないと思っています。
戦後日本で生まれ育った以上、私もきっと、ほんのり左翼的なのでしょう。確かに日本は、変わってしまったところがたくさんあると思う反面、左翼と言われる人の中に保守派よりも保守性を感じたり。結局左翼思想も日本風味になって、左翼本来の過激性とは逆の方向へ行ってるような気もします。
ひとことで、左翼・右翼と言っても、イデオロギーにどれくらい染まっているか等、色々なレベルや種類があるのでしょうけれど・・。
通すべき「筋」がどういうものであるべきか、佐藤先生のご本を読んで考えたいと思います。
SATOKENJI says:
4月 21, 2017
なりふりかまわず力で押さずにいられなくなるのは、内心で圧倒されている証拠です。
よく吠える犬と同じですね。
そしてどうも私がいると、吠えずにいられなくなる方がいるようで・・・
ペンギン says:
4月 21, 2017
誰の言葉だか忘れましたが、昔、西部先生だかが引用していたセリフで、
知識人は売春婦よりも恥ずかしい職種だ。
売春婦は肉体を晒すが、知識人は己の精神を晒してしまう。
というような感じの発言をされてた記憶があります。
佐藤先生の御著書や発言を聞いていると、自分でもはっとさせられるような
鋭い論考が至る所にちりばめられていて、正直リアルでは会いたくないな~w
と感じさせるものがあります。
私は単なるいち読者で、知識人でもなんでもありませんが、
素人の私でも、この人の前では下手なことは言えない。自分の内面を見透かされる
恐れを感じて萎縮してしまうでしょう。
ひょっとしたら話題の先生達も、佐藤先生に恐怖を感じたのかもしれません。
犬が吠えるのは威嚇ですが、威嚇はそれ以上近づくなという恐怖が潜んでますから。
Daniel says:
4月 21, 2017
桜チャンネルの討論、拝見しました。
佐藤先生の発言、「事と次第によっては、日米同盟を終了させられるというぐらいの気概を日本が持った時に初めて日米同盟は真に強固なものとなる。」には、その真正面の正論に、本当に感動的な衝撃を受けました。
先生の示された『気概』について、全く慮外であったという訳ではないのですが、やはり私は、アメリカが未だに強大であり、且つ彼らに悪意のある差別主義の裏面があることを知り、怯懦に傾き過ぎたのではないかと反省しました。
日米同盟は、日本の対米従属度に応じて大体以下の類型があると思います。
旧安保条約>新安保条約(現段階)>米韓同盟もしくはNATO型の新軍事同盟>日英同盟型の対等的同盟>逆に日本がアメリカを保護するような内容の同盟>日本の国力が十分強くなり、日米同盟を必要としない状態
早く理想形に近づけると良いなと希望を持ちました。微力ながら自分も頑張ろう。
ソウルメイト says:
4月 21, 2017
日米開戦が、真にやむを得なかったものであるかどうかについては、重大な疑義があると思います。そもそも戦争をやるからには、周到な準備と敵についての十分な情報の収集や分析がかかせないはずで、すくなくとも帝国海軍にそのような周到な準備や分析、戦略などがあったとは思われません。考えようによっては、アメリカと戦う必要性も必然性もなかったとさえいいうるかもしれません。ま、佐藤さんのことですから、そんなことは百もご承知、二百も合点だろうとは思いますが。また、戦況我に利あらずと認識した時点で壊滅を回避して再起をはかるというのも立派な軍略でしょう。玉砕しちゃったら、それでジ・エンドですからね。戦いは時の運、たった一度、まけたくらいで心も魂もへし折られて心の底まで去勢されてしまったことこそ問題なんじゃないんですか?国民のことごとくを玉砕戦に巻き込んで民族消滅、民族離散の憂き目にあわせることのほうがよほど無責任といものではないでしょうか?
SATOKENJI says:
4月 22, 2017
本土決戦を想像することすら忌避するというのも、
「心も魂もへし折られて心の底まで去勢されてしまった」状態の表れでしょう。
そしてご指摘の通り、そのような状態こそが問題だとすれば
本土決戦をしなかったからといって
「民族消滅の憂き目」を本当に回避できたかどうかは分からない
と評さねばなりません。
だから、「右の売国、左の亡国」と言うのですよ。
Daniel says:
4月 22, 2017
その昔、90年代初頭頃、共産圏が次々崩壊していって、非常に若い私は、「これで共産主義の悪辣な猛威は地上から永遠に去るに違いない。これまで圧倒的であった左翼論壇の影響力も順次去り、国際社会の現実に即した思想や政策が主流となり(カンボジアPKOの実現はその嚆矢になるに違いないと思ったものです)、日本は本来の姿に徐々に戻るだろう。耐え忍んだ甲斐があった。代って出てきた民族対立問題は気にかかるが、西側諸国内に深刻な対立はなさそうだ。我々は『平和の配当』を永く享受することになるだろう。」と心から喜んでいたものです。
しかしそれ以来約25年、四半世紀の時を超えて、私の予感はちっとも当らなかった。佐藤先生いわれるところの「復元力」が日本には働かなかったのです。
これぞまさしく、日本人が「心も魂もへし折られて心の底まで去勢されてしまった」状態の表出ではないでしょうか。
「本土決戦をしなかったからといって「民族消滅の憂き目」を本当に回避できたかどうかは分からない」ということの、一つの証左ではないでしょうか。
きっとこれは誰ぞが既にどこかで言ってるんでしょうが、『風の谷のナウシカ』って、巨神兵はアメリカ、腐海はソ連(国際共産主義)、風の谷は日本、トルメキア王国って日本の保守派なんでしょうね。
この構図ならば、いつぞや先生が仰ってた、戦後日本の物語の主人公が女性(しかも少女)になってしまうというお話も頷けます。『ゴジラ』で先生が少女の歌声を慰問団の女の子になぞらえたように、少女というのは、どう考えても無垢性の象徴です。少女という純粋で無垢なる日本の心性(神性)の結晶が、世界(日本)の救済に立ち向かう。ということは一方で男どもは、既に矢尽き刀折れたか、去勢されている(矢も刀も去勢も男性のシンボルに関わることですね)。
女性宮家の創設とか、皇統の女系継承(本当はこの時点で既に語義矛盾なのですが)賛成とかの世論は、案外ウーマンリブ(orジェンダーフリー)思想の蔓延によるものではなく、こういう日本人の心象風景にも一因があるのかもしれません。
であれば、どうしたら日米戦争を避けられたかを問うというような小賢しい議論は一先ず横に置いといて、日本人がもう一度、本土決戦について、真剣に考えてみる価値はやはりあると思います。日本人はユダヤ人のようにディアスボラに耐えられるか、というような、あるいはそれ以上に極端な例を想定してみてでも。
そうでなければ、希望のチコの実の芽がどう吹く(以下劇場版採用)のか(チコの実って子種、清浄な腐海の底はナウシカの子宮ということになりますかね)は、本当には論じられないように思います。
GUY FAWKES says:
4月 22, 2017
DANIELさんのご推察にはほぼ全面的に同意できるのですが、
「心も魂もへし折られて心の底まで去勢された」という点については少しだけ私論を申し上げさせていただきたく思います。
しかしながら、これは「日本にはまだ気概がある!」という様な希望的観測を申し上げているのではありません。
というのも、保革問わず反米の方々は「戦後日本とは米国に強姦された婦女子」という比喩を用いたことをよく聞きます。
ここには相手側(戦勝国)によって日本が一方的にされるがままだったという、
ある種の被害者対加害者の構図が前提にあることをが読み取れますが、私はそうは思いません。
結論から申し上げれば「日本人は心も魂も自らの意思で平気で売り渡し、更に自らを去勢した」私はこの様に考えております。
佐藤先生も「上の世代による下の世代の圧殺」についてはポップカルチャー分析から度々ご指摘されていますが、
『バラバラ殺人の文明論』の「ゲド戦記」批評において(未読であれば申し訳ありません)
担当監督の宮崎吾朗監督と宮崎駿氏の親子間の確執に絡めた「子殺し」的な自己去勢の構造も飛躍を承知で申し上げれば、
ユダヤ人がディアスポラの末にイスラエルを建国した事実と比較すると
「日本が敗戦国だから(戦勝国にしてやられた)」という理由だけでは到底説明がつかないのではないでしょうか。
また戦後日本に見出せる少女性による心性なるものが示すのも、「純真で無垢なままでいられる筈がないにも拘らず、
自分達に都合のよいキレイゴトだけが通用する世界観が当然と思っている」という幻想。
ここに近現代の日本にはモダニズムなりグローバリズムの様な革新・改革的な様式がある一方で、
ガラパゴスというか島国根性というかある種の保守・旧態依然的な様式もに渾然一体と定着している。
民放番組に「日本のここがダメだ」「日本のここが素晴らしい」と自虐と自己礼賛が纏まりもなく垂れ流されているのは
どこか示唆的の様に見えます、「善し悪し両面がある」と統合された公正な見方とは正反対のどっちつかずで中途半端なのです。
長くなって恐縮ですが、やはり戦後70年、もっと言えば明治維新からの150年、近代の西洋文明の好都合なところをつまみ食いし、
然もそれが自分達が真っ新なところから創出したと思い込み、「デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神様)」が存在するが如く
ご都合主義が前提にあったことこそが核心だと思います。
その意味で来年に今上陛下がご退位されるというのは決して偶然が齎した象徴的出来事ではない筈です。
だからこそDANIELさんの仰る様に「どうしたら日米開戦回避できたか?」ではなく、
「本土決戦に臨まなかった為に失ったものはないのか、また本土決戦にまで持ち込んで護るべきものとは何なのか?」
そこにずっと無頓着だったことは間違いないのでしょう。
少なくともそこを明治維新期から振り返って考え直せる余地があるのは保守の立場しかない。
(「負けてよかった」と豪語する件のK先生や「戦争に大義なんていらない」として憚らない
ジャーナリストのKさんの様な方々を拝見するとそれも疑わしいと指摘されるかもしれませんが…)
ですからついでに申し上げれば、思想の右左を問わず、日本は中国について「資本主義の市場経済と社会主義の平等性の
いいとこ取りをしている、だから失敗するのだ」などと嘲笑する資格などあってはならないとも考えています。
SATOKENJI says:
4月 22, 2017
>いいとこ取りをしている、だから失敗するのだ
W(^_^)W\(^O^)/和魂洋才はどうなるんだ?\(^O^)/W(^_^)W
そりゃ失敗するわな、うん。
Daniel says:
4月 23, 2017
何だか佐藤ゼミのような様相を呈してきましたな。
>W(^_^)W\(^O^)/和魂洋才はどうなるんだ?\(^O^)/W(^_^)W
個人的なお話として、自分としては、この「和魂洋才」ってやつを目指していたつもりなんですね。でもこれって、正直非常に難しい。ともすれば欧米思想の奔流に足を掬われそうになったり、その暗黒面にゾッとしたり、もっといいとこどりをしようとして深みにうっかり踏み込むと、心を千切っていってるような気がするんですね。エヴァにシンクロし過ぎて取り込まれそうになるというか。ロンドンで「夏目狂せり」となった漱石の気分が分るように思います。
この点、理系の方の方が心理的抵抗は少ないのだと思います。最近の日本人ノーベル賞受賞者の広がりはそれを端的に示している例でしょう。次第に海外での(長期)研究がなくとも、京大東大の出身者でなくとも、世界的な発見・発明に受賞者がどんどん広がっています。
少し脱線しますが、その昔、「日本式の詰込み暗記教育では、ノーベル賞に値するような独創的な研究が出ない」などと内外でエライ言われようだったのに、詰込み暗記教育を受けた世代からあっさり、ずいずいとノーベル賞受賞者が出ている痛快さ。きっと、ゆとり教育だか、アクティブラーニングだかの流行り病のような最近の教育改革は、失敗に帰すことでしょう。この流行り病の教育改革を堂々と国策にしてしまうところが、「魂を失った日本人」らしくて、涙が出ますな。
さて戻しますが、「洋才」なくして国際社会は生き延びられませんが、むしろ、というかだからこそ『和魂』がもっと強化されるべきでないか。
というかそもそも「和魂」とは何なのか。『何事のおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる』、『敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花』。その実体は在りそうで無い、否、無さそうで在るのか。
確かにGUY FAWKESさん仰るように、150年前の明治維新以前にもぐいぐい自由に遡って、それが一体何なのか、それをどう「強化」できるのか、なぜいつの時点でか失ってしまったらしい?のか、真剣に考えてみるのは、ある意味、我々の特権かもしれませんね。一応「和魂」を対象にするとしても、しかしまさかここで、21世紀に一種の「国学」が復興することになるとは、思いもよらなかったですね。
差詰め、時代の新しい順から考えると、明治初年期に行われた「日本の文化大革命」、廃仏毀釈から考えてみるべきかと思いますが、皆様いかがでしょうか。
最近、日本の神社仏閣等に油をかけた中国籍朝鮮族?と思しき二人組の犯人が明らかになりましたし、それ以前からちょくちょく類似の犯行がありましたが、多分これは、反日行為のお呪いというよりは、廃仏毀釈のミニ版ではないかと疑っています。
GUY FAWKES says:
4月 23, 2017
>差詰め、時代の新しい順から考えると、明治初年期に行われた「日本の文化大革命」、廃仏毀釈から考えてみるべきかと思いますが、皆様いかがでしょうか。
「廃仏毀釈」のご指摘は極めて重要です、そもそも日本が近代国家の形成を目指す上でお手本にしたのはプロイセン王国(後のドイツ帝国)でしたが、あの鉄血宰相ビスマルクは新生されたドイツ帝国の世俗的な国家を重視する為にローマ・カトリック教会の保持する政治・社会的な影響力を低下させる為に「文化闘争(Kulturkampf)」というを政策を行なっています。
しかもその時期は廃仏毀釈の発端となった1870年3月の大教宣布の詔に対して、文化闘争は1871年から78年…なんと前者の方が早いのです!
勿論、歴史を紐解けば秦王朝の始皇帝による焚書坑儒、8~9世紀の東方教会によるイコノクラスム(聖像破壊運動)と前近代時代においては往々にして見られました。
しかし、歴史家でもない自分の調べですが、近代国家成立の過程において国家主導の文化的浄化政策を推進したのは少なくともアジア全域を見渡しても日本が初めてなのではないでしょうか?
>最近、日本の神社仏閣等に油をかけた中国籍朝鮮族?と思しき二人組の犯人が明らかになりましたし、それ以前からちょくちょく類似の犯行がありましたが、多分これは、反日行為のお呪いというよりは、廃仏毀釈のミニ版ではないかと疑っています。
こちらのご指摘も意味深長です。これは極端な話になるかもしれませんが、上の歴史的経緯からも私としてはソ連による大粛清や中国の文化大革命は勿論のこと、民主カンプチア(ポル・ポト主導のクメール・ルージュ政権)による原始共産制を一方的に罵倒し続けるのも些か考えものと考える様になりました。
長くなって大変申し訳ありませんが、美味しいところだけをつまみ食いし続けてきた(つもりの)現代日本にとって、歴史に筋を通すというのは相当「痛みを伴う保守」に他ならないのかもしれません…
柾木 says:
4月 23, 2017
初めて書き込みさせていただきます。
K先生のセリフもそうなのですが、「スキャンダルで騒いでいるうちが華の日本政治」を読んだ感想が右も左も甘えてるだけなのでは?と思いました。そして続く平松テーゼの解説で
「善悪をめぐる評価はともかく、いくら批判・攻撃しても倒れないだけの強さ・有能さ・しぶとさを持った存在」
が在日米軍だけだという指摘で思い起こされたのが、かわぐちかいじ氏の漫画「ジパング」です。現代のイージス艦が乗組員ごと第二次大戦時の日本にタイムスリップする内容ですが、当時の軍人の一人に日本の未来歴史を教えその人物が現代人を評して、
『アメリカに育てられた子供達(現代日本人)』といったセリフがあった気がします(うろ覚えですが)。
現代日本人の国民感覚・感情は子の様な感じなのではないかなと。戦後はアメリカが父親と言わんばかりの存在で、その偉大だと思い込んでいる父(今では祖父?)に甘えている子供が現代の日本人のように思えます。父親なのだから子供に対して意見という名目の内政干渉も煩わしいと思いつつも受け入れ、最後には絶対に守ってくれるはずだと思い込んでいるように見えます。
日本人の生存安全は父親であるアメリカが責任を持つはずだと。だからアメリカが日本に自立を促すようなまれな意見(自前の核を持て等)は自ら必死に否定し、逆に見捨てるような行動言動をされたら慌てふためき必死に媚(TPPや構造改革)を売りにいっているのではないかと。
佐藤さんの著書で知ったマッカーサーの神武天皇再来説やマッカーサーの子供が欲しいと嘆願の手紙がGHQに多く届いたとか。あとマッカーサーが日本人の精神を評して12歳の子供(少年?)と言ったらしいですね。その場合父親は誰になるのか…。
戦後は命あっての物種と言わんばかりの風潮をすすんで受け入れて生存安全の為には何をしても良いとばかりに構えてきた為に依存するしか考えられなくなった気がします。
こうまで醜い感情を持つようになる程に敗戦の衝撃が大きかったのでしょうが、逆に捉えると当時の日本には国家や民族消滅の危機を負ってでも守り戦わなければならないなにかがあったのかもしれません。戦前戦後で分断している今ではそれがなんなのかは想像するしかないですが、先の大戦は自分たち自身の存在(生存ではない)をかけての戦いという一面もあったと考えるのは大げさでしょうか。
SATOKENJI says:
4月 23, 2017
占領中、日本人はマッカーサーについて、
よく「おやじ」と呼んでいました。
玉田泰 says:
5月 28, 2017
「メチャクチャな言動に関する佐藤テーゼ©」
メチャクチャでありながら一貫性を保てている理由は、結論を先回りして決め付けているからではないでしょうか?その結論に力づくで持って行くから過程はメチャクチャなのに、本人は気付くことなく平然としていられるのではないでしょうか?(そして平然として居られなくなったら、闇雲に否定してから、その理由をこしらえるという…これも一種の結論ありきですね)
SATOKENJI says:
5月 28, 2017
だからこそ
「なぜその結論に固執するのか」
を考えると、いろいろ分かるわけです。
世の中、あらゆるものに何かしら価値があるのですよ。