とどまることなく過激化するフランス革命。

テロルの嵐は吹き荒れ、

トマス・ペインにたいしても、

ついにギロチン送り が決まります。

 

ちなみにギロチン、

「斧で首を切り落とすよりは痛みが少ないので人道的」

という理由で使われるようになったそうですが、

だとしても、痛いものは痛いよねえ。

 

ペイン(Paine)の死は

ペイン(pain、苦痛)に満ちて!

・・・というのは、対談で中野剛志さんが披露したシャレでしたが。

 

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(彼が健在であることは、この一言をもってしてもお分かりと思います)

 

──でもやっぱり、首を切られるのはシャレにならない!

 

ところが、です。

ここで運命はペインに味方する。

 

ギロチン送りの決まった囚人については

監房の扉にチョークで印をつける習わしだったことは、

昨日のブログでも触れました。

 

しかるに看守が印をつけにやってきたとき、

ペインの監房の扉は開いていたんですね。

なぜか?

 

アメリカ独立革命の功労者ということで、

面会人が多かったためです。

 

そのせいで看守は、

チョークで印をつけることはつけたものの、

扉の外側でなく、

内側につけてしまう。

 

こうしてペインは、

処刑される囚人を集める際、

みごとに見逃されたのです!!

 

人の生き死にって、こんなことで決まるんですね。

 

さらに幸運なことに、

「チョーク見過ごし事件」の直後、

恐怖政治そのものが終わりました。

 

恐怖政治の指導者だったロベスピエール本人が、

ギロチン送りとなったのです。

 

そしてアメリカの駐仏公使も、

ペインに反感を持っていたガバヌーア・モリスから、

ジェームズ・モンロー(のちの第五代大統領)に交代。

 

モンローはフランスで収監されていたアメリカ人の釈放に尽力、

ペインも晴れて自由の身になったのでした。

 

もっとも、

自分が積極的に賞賛した革命のせいで殺されそうになった

というのは、

なかなかのトラウマだと思いますよ。

 

現政権が崩壊するときにも、

同様のトラウマを抱え込む人が多々、出てくる恐れ大です。

 

200年以上の時が過ぎても、

人間のやることは大して変わらない。

 

だからこそ、古典は読む価値があるのです。

現代のわれわれについて、新たな洞察を得るために。

 

というわけで、どうぞ!

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ではでは♬(^_^)♬