初期の理想はどこへやら、

粛清につぐ粛清の嵐となったフランス革命。

 

トマス・ペインも無事ではいられませんでした。

 

1793年末、

彼は革命議会の議員資格を剥奪(はくだつ)されたうえ、

投獄されてしまいます。

 

理由?

イギリス人だから。

ただそれだけ!!

 

・・・じつはこの年、

国王ルイ16世を処刑したことをきっかけに、

フランスとイギリスは戦争に入りました。

 

敵国の人間だから、というわけですが、

ちょっと待て!

 

ペインはそのイギリスから反逆者扱いされているんだぞ!!

ついでにフランスは、

彼に名誉市民権まで与えていたはず。

 

にもかかわらず、逮捕・投獄。

これはどう考えても理不尽じゃないでしょうか。

 

とはいえこの時期になると、

フランス革命はまともな理屈が通用する状態ではなかったのです。

 

ちなみにペインは、

独立戦争の功労者ということで、アメリカの市民権も持っていました。

そこで彼は、自分はアメリカ人だと主張、

釈放を求めます。

 

しかし過激化した革命政府は耳を貸そうとしません。

のみならず、フランス駐在のアメリカ公使ガバヌーア・モリスまで、

ペインを助けようとはしませんでした。

 

モリスはペインを危険なアジテーターだと見なし、

処刑を望んでいたのです。

 

そして1794年になると、

恐怖政治はさらにひどくなる。

 

結局、フランス革命を痛烈に批判したエドマンド・バークのほうが正しかったことに。

ペインも彼の言葉に耳を傾ければ良かったのです。

「フランス革命の省察」は、掛け値なしに名著なんですから。

 

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獄中のペイン、

「人間の権利」で同書を批判したことを悔いていたかも知れませんが、

まさに、後悔先に立たず。

 

そしてペインも、ギロチン送りが決まります。

 

このころのフランスでは、

処刑の決まった囚人については、

監房の扉にチョークで印をつけることになっていました。

 

ペインの監房の扉にも、看守が印をつけます。

もはや絶体絶命!!

 

──つづきは明日のブログをどうぞ。

ではでは♬(^_^)♬