オスカー・ワイルドの有名な芝居に
「まじめが肝心」というのがあります。
ただし、この題名を真面目に受け取ってはいけない。
もとの題名は「THE IMPORTANCE OF BEING ERNEST」。
アーネストには、たしかに真面目という意味がある。
しかしこれ、じつは人名。
「アーネストであることの重要性」というシャレなのです。
まじめが肝心という題名を
真面目につけたりしないところが
さすがオスカー・ワイルドですが・・・
6月28日の記事
「激動の時代をひたむきに生きない」について
傑作なコメントをいただきました。
いわく。
激動の時代をひたむきに生きる
⇒大変な状況で思い詰めて突き進む
⇒視野狭窄による自己破滅
激動の時代をひたむきに生きない
⇒大変な状況でもどこか醒めて、又は笑い飛ばす形で進む
⇒柔軟な方向転換の可能性
何て思っちゃいました(笑)
・・・まさにそうなんですよ!
ひたむきという言葉には
基本的に良いニュアンスがありますが、
コメントにあるとおり
これは一つ間違えると
とにかく思い詰めて突き進むことにつながる。
大阪都構想とか
TPPにだって、
ひたむきに推進しようとする方々はいた(TPPについては今もいる)のです。
それどころか
安保法制に反対するあまり
全体主義的発想に陥った某政治学者だって
きっと、きわめてひたむきな方に違いない。
しかるに問題は、
とにかく思い詰めて突き進む状態にいたると、
頭を冷やして考え直そうとすることが
不真面目で良くないことのように思えてくるのです!
というわけで、
視野狭窄による自滅のリスクが
ガンと上がってしまうわけですな。
「愛国のパラドックス」で私は
保守にはユーモアのセンスが不可欠と書きましたが
人間、あまりひたむきでないぐらいの方が
物事に対処しやすいのです。
西部邁先生の名言を借りれば、
クソ真面目はダメだ、しょんべん真面目ぐらいにしておけ
というやつですね。
〈激動の時代をひたむきに生きる〉系の作品が
通り一遍でつまらない内容になりがちなのも、
戦争の時代を描くんだから、シリアスにやらねば!!!
と思い詰めたあげく
歴史を見る目が視野狭窄を起こしたうえに硬直するせいなのです。
ではでは♬(^_^)♬
3 comments
マゼラン星人二代目 says:
7月 3, 2015
>作品が
>通り一遍でつまらない内容
しかし、よく考えてみれば、
「通り一遍だからつまらない」というのも、
本当にそうなのかな、という疑問が出てきます。
紋切り型を遵守しながら、そこにどういうひねりを入れるか、
で勝負が決まってくるということも、よく聞く話ではないでしょうか。
(「日本映画ダメ絶対bot」で言われているようなことをすべて禁じ手にしたら、事実上、何もできないような気がします)
SATOKENJI says:
7月 3, 2015
「日本映画ダメ絶対bot」さんが指摘しているのも、あまりにひねりがなさすぎということではないでしょうか。
HIH says:
7月 3, 2015
戦時中は全員同じ目標に向かって一致団結していたわけで、その連帯感たるや、ある種の官能状態だったのではないだろうか。