宮崎駿監督は

「ハウルの動く城」のあと、

「崖の上のポニョ」(2008年)を経て

引退作品「風立ちぬ」(2013年)を発表します。

 

氏の引退については、

そう言っているだけで

いずれまた戻ってくるんじゃないか?

という声があるのも事実。

 

それどころか、

今回の「製作部門解体」発言についても

現在、劇場で公開されている

「思い出のマーニー」

客を集めるためのハッタリでは?

という声があるのです。

(注:「思い出のマーニー」の興行成績は、期待ほど伸びていないのだそうです)

 

たしかに宮崎さん、

なんと1980年代、

「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」のころから

ことあるごとに「引退」を叫び、

そのくせ新作をつくるということを繰り返していましたからね(ホントです)。

 

しかし。

「風立ちぬ」を観たとき、

私はこれが引退作品になると納得しました。

なぜか。

 

この作品が、ゼロ戦を開発したエンジニアを描きながら、

敗戦はおろか真珠湾攻撃にもたどりつかずに終わったからです。

 

つまり「風立ちぬ」には戦後がない。

 

けれども宮崎さんと言えば

いわゆる「戦後民主主義」の理想を

作品の中でストレートに謳いあげるところから出発した人。

 

戦後を全肯定するところから始まった人が、

戦後を否定するどころか

戦後の存在自体を消してしまったら

その先、何をつくるというのでしょうか?

 

かりに宮崎さんが

引退宣言を撤回し、

新作をつくったとしても

まったく形骸化したものにしかなりえないと思います。

 

そして、宮崎さんほどの人がそれに気づいていないわけがない。

だから新作はない。

(注:私は評論において、宮崎アニメをかなり批判してきましたが、それはドラマの構造や、テーマをめぐるものです。視覚表現の才能に関するかぎり、宮崎駿さんは天才以外の何者でもありません)

 

だが「スタジオジブリ=宮崎駿」のイメージが

ここまで確立されてしまった以上、

宮崎さんの新作がなくなることは

「ジブリの新作がなくなる」こととイコールになる。

 

したがって鈴木プロデューサーの「製作部門解体」発言も

本当だろうと思います。

 

さらば、スタジオジブリ。

 

とはいえこれは、

日本のアニメーションにとって

かなりの損失となるのは間違いない。

 

全体的な状況を変えてゆきたければ

ひとりの天才に頼るだけではダメなのです。

その天才がいなくなったら、それっきりになってしまう。

 

ですから「戦後レジームからの脱却」を本気でめざすのなら、

安倍しかいない

安倍か、無か

などと思い詰めないこと。

 

でないとトトロに笑われますよ。

ではでは♬(^_^)♬