たえず新作をつくり、

しかもヒットさせる。

 

この課題を背負い込んだスタジオジブリですが、

驚くべきことに

しばらくはそれがうまく行くんですね。

 

「おもひでぽろぽろ」(1991年)

「紅の豚」(1992年)

「平成狸合戦ぽんぽこ」(1994年)

「耳をすませば」(1995年)

「もののけ姫」(1997年)

 

という具合に。

 

ちなみにこのラインナップ、

「耳をすませば」(近藤喜文監督)を除けば

高畑勲さんの作品と

宮崎駿さんの作品を

交互に製作する形になっています。

 

そして「もののけ姫」は

従来のジブリ作品より

さらにワンランク上の大ヒットに。

 

しかし、じつはこのあたりから

雲行きが怪しくなってくる。

 

1998年、「耳をすませば」の近藤監督が

47歳の若さで急死。

そして1999年に発表された高畑監督の

「ホーホケキョ となりの山田くん」

製作費20億にたいして

配給収入8億弱(ウィキペディアより)と

興行的に失敗!!

 

「もののけ姫」が当たっていなかったら

けっこうヤバかったのではないかと思います。

 

むろんジブリは盛り返す。

次の作品こそ、

日本映画史上最高のヒット作となった

「千と千尋の神隠し」(2001年)

ですからね。

 

とはいえ、

このあたりから二つの問題が表面化してきます。

1)宮崎作品がとにかく当たるため、「ジブリ=宮崎駿」のイメージが強くなりすぎた。

(注:高畑監督は「ホーホケキョ となりの山田くん」いらい、2013年の「かぐや姫の物語」まで沈黙していました)

2)その宮崎作品のテンションが、2004年の「ハウルの動く城」(ハッキリ言って、ワケワカな駄作だと思います)あたりから、明らかに落ち始めた。

 

つまりは

「宮崎駿しかいないんだ!」

「宮崎作品がダメになってきたというなら、他に誰がいるのか挙げてみろ!」

という、

おなじみの状況(笑)が成立してしまったのです。

 

こうなると話は、

宮崎監督がいつまで作品をつくり続けることができるか

という一点に集約されてしまう。

 

つづきはまた明日。

ではでは♬(^_^)♬