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しばらく前、関東近県の温泉に行ってきたのですが
近くにある街を訪れて驚きました。
日本の地方が疲弊しているとは、
しばしば言われることながら
ここも例外ではなかったのです。
それも、想像以上のさびれ方。
今じゃ大通りは石灰塗料の塗られた窓と
空っぽになった店が並んでる
もう誰も、この街に来たいなんて思わないみたいだな
線路の向こうの繊維工場も閉鎖されるとか
職工長が言ってたよ、ここの仕事はなくなるんだ
戻ってくることはないんだぞ
(ブルース・スプリングスティーン「マイ・ホームタウン」)
彼の歌詞、そのままじゃないですか。
活気があるのはコンビニと
たいがいは外資系のファストフード店ばかり。
そう遠くないところにはアウトレットモールもありますが、
出店しているのは、やはり外資系が大半。
現政権は「地方創生」とか言っていますが
これを創生させるのは容易じゃありませんよ。
まさか、ファストフードやアウトレットモールをさらに増やすことが
創生だと思っているわけじゃないでしょうな。
昨夜、ベッドに寝たままケイトと話し合った
どこか別の街に行くしかないだろうと
荷物をまとめて、南にでも向かおうか
俺は35歳で、今じゃ自分の息子がいる
昨夜、息子を起こして車に乗せた
街を回って、こう言いきかせたのさ
よく見ておくんだぞ、これがお前のホームタウンなんだ
(同)
日本がアメリカのようになるというのは、
こういうことでもあるのです。
これも2014年の日本の風景。
ではでは♬(^_^)♬
4 comments
みぬさ よりかず says:
9月 9, 2014
「地方創生」という言葉が、創造して生まれるですから、もうネオリベ全開の予感がしますね。言語空間の乱れそのものです。
ところで、私のブログの方で、佐藤さんへの手紙という形式で、エントリーをアップさせて頂きました。
完全スルーでもちろん構いませんが、事実誤認が有る場合のみ御知らせ頂ければ幸いです。
以下、転載させて頂きます。
佐藤健志への手紙『大東亜戦争ではなく、太平洋戦争と呼ぶ理由』
http://ameblo.jp/minusa-yorikazu/entry-11920183591.html
『太平洋戦争という表現』
私が佐藤健志氏の最近の著作や発言で、気になる部分がありました。「太平洋戦争」という呼称です。ただ佐藤氏は、大東亜戦争という言い方をしていた時も記憶していたので、アレっと思いました。いわゆる保守派の論客の多くは、大東亜戦争と意識的に呼んでいるように感じます。
『先の大戦を何と呼びますか?』
天皇陛下のお言葉が代表的ですが、政府のパブリックな場面では「先の大戦」とか「あの戦争」とかの言い回しが多い気がします。「太平洋戦争」と呼ぶと、ビルマやシナ大陸で亡くなった方々が抜けている気がしますし、そもそも占領軍のプレスコードにより強要された「太平洋戦争」という表現には、何となく抵抗感があります。
『我が輩は戦争である名前はまだ無い』
しかし大日本帝国の正式呼称である、大東亜戦争だと残念ながら右翼っぽい感じがしますので、天皇陛下に大東亜戦争と語って頂くのは、政治的過ぎて好ましくないでしょう。サヨクなどは、アジア太平洋戦争とか15年戦争とか昭和戦争とか、勝手に名前を付けています。第二次世界大戦だと、その前の支那事変が抜け落ちます。要するに、正式名称の無い「あの戦争」状態が、現実ではないでしょうか。
『第二次世界大戦・太平洋戦線』
私は、漠然とですが、米国でも太平洋戦争と呼んでいると思っていました。日本に呼び方を強要するくらいですから、自国でも「太平洋戦争」と呼ばないと変だと認識していました。ところが、最近になって米国では、「第二次世界大戦・太平洋戦線」と呼称しているのと気付いたのです。
『栄光のWWⅡ二方面作戦』
しかし冷静に考えればそうです。イラク戦争の失敗で事実上不可能になりましたが、米国は第二次世界大戦以降、世界の二カ所で同時に軍事作戦を遂行するのが国是でした。WWⅡの欧州戦線ではナチスドイツを、太平洋戦線で大日本帝国を撃破という、自国より遠く離れた太平洋と大西洋の向こう側で、同時に世界一二の軍事大国の日独に完勝した栄光の歴史だからです。
『太平洋戦争は、戦後レジームそのもの』
占領軍は、アジア植民地の欧米からの解放という日本の「大東亜戦争」の大義名分の隠蔽を目的に「太平洋戦争」呼称への変更を強要したのだと思います。「太平洋戦争」という「あの戦争」の呼称は我々が打破るべき、戦後レジームそのものです。
『片思いだった太平洋戦争』
しかし、肝心の米国では、太平洋戦争とは呼んでいないのであれば、これは何とも変な名称になります。つまり太平洋戦争とは戦後日本のオリジナルになってしまうのです。その事に気づいた時に、佐藤氏が太平洋戦争と呼ぶのは、彼なりの戦略だと思うようになりました。
『佐藤健志のツジツマ』
佐藤健志氏の著作を読むと、戦後レジームを打破する為に、サヨクを批判すればするほど、むしろ戦後体制が強化されるパラドクスが発生する。したがって本当に戦後レジームを脱却したければ、ただ批判するのではなく、歴史のツジツマを合わせる物語が必要だというのが彼の主張です。
『敢えて中庸を選ぶ』
現在注目の論客で、三橋貴明氏は中庸、廣宮孝信氏は統合、佐藤健志氏はツジツマと、それぞれ呼称は違いますが、いずれも二元論では無い、多元的な思考を重視する保守論客が増えています。これは単なる偶然だとは思えません。単なる二項対立による問題解決では、対立だけを強調するからです。
『佐藤健志の立ち位置』
当初、佐藤健志氏が太平洋戦争と呼ぶのは、現代日本では、大東亜戦争と呼んだ瞬間、自分が保守論客であると表明するのと同じなので、敢えて中立的な立場で発言していると考えていました。しかし、彼のブログの記事を読んで、もっと高度な戦略があることが分かりました。
『佐藤健志の戦略』
そのエントリーでは、TV番組で共演したサヨク的な考えを持つ論客が、大東亜戦争という呼称を用いていたと紹介していたのです。その瞬間、佐藤氏の戦略が私には透けて見えました。彼はむしろ確信犯的に、太平洋戦争と呼んでいるのです。
『南京陥落で提灯行列の理由』
1937年に大日本帝国が、中華民国の首都である南京を陥落した時に、提灯行列が行われ国内は祝賀ムードに包まれました。何故なら、古今東西、首都が陥落したら戦争が終るからです。ところが実際には戦争は泥沼化します。
『戦争が泥沼化した原因』
支那事変が泥沼化した原因は米国です。当時のルーズベルト米大統領は、なぜかチャイナにぞっこんで、援蒋ルートでボロボロだった蒋介石政府に援助し続けたのです。だから仮に米国が支援を行わなければ、戦争は大東亜戦争の前に終結していました。
『つまり日米戦争である』
これは憶測ですが、大東亜戦争と呼んだ場合、太平洋の向こう側の米国の存在が希薄になってしまいます。戦域が大東亜(東アジア全域)であったとしても、本質は米国と日本の覇権戦争なのだから、むしろ太平洋戦争という呼び方が正しいというのが、佐藤氏の考えだと思います。
『国家のツジツマを求める』
戦後レジームを脱却する為には、太平洋戦争などという占領軍のプレスコードを引きずっているうちは、駄目だと考えている人々が多いはずです。しかし佐藤健志氏は、戦後日本オリジナルの太平洋戦争の方が、むしろ戦争の本質を掴んでいるのだから、よりツジツマが合うと考えているのでは無いでしょうか?
『様々な統合が重要』
佐藤健志氏の真意は不明です。これは一種の戦後レジームを巡る探偵話みたいなモノです。しかし、サヨク的な事柄を注意深く観察し、保守側に統合する発想こそ、戦後体制からの脱却の近道なのだと思います。そしてこれは、現在の安倍政権に対する言論空間でも、応用出来る考えなのです。(了)
widelogy says:
9月 9, 2014
私は廃墟マニアというわけではないのですが、時間の経過を感じさせる物、体現したものは大切だと思うのです。その存在そのものが物語を提供してくれるから。
ただ、こちらの写真のようなものにはどうしても、寂しさや荒廃といった度合や傾きが強すぎますよね。しかもあまり美しくない。
時間を経ても尚、否、時間を経たからこそ美しい、そんな町並みや都市を目指す。
その美的感覚が為政者や住民に必要なのかもしれない、などと勝手に夢想いたしました。
ま、何はともあれまず経済政策の問題ですけれどね・・・。
tukuyomi says:
9月 9, 2014
はじめまして。いつも訪問させていただいております。
佐藤健志さんの斬新な意見、とても刺激的で面白いです。中野先生のご紹介で何冊か読ませていただきました。目の覚めるような思いがいたしました。
私のふるさとも同じような状況です。地方の再生容易ではないですが、根本的には学校を卒業した若者が地元で仕事を見つけられるかどうかにかかってると思います。地元に残りたい子も多いのですよ。
藤井先生の国土強靭化・リスクの分散にかかわってくるのですが、交通網の整備と企業の分散化は地方に若者を定着させる原動力になると思います。
農業にしても、大規模化・法人化できちんと収益を上げられるようにしなければ継続できませんよね。伊藤園と提携して会社組織で成功している熊本のお茶農家のように。
政策がまともであれば不可能ではないと思います。
ニャンタのパパ says:
9月 9, 2014
写真越しでも伝わる生気の無さ・・時間も止まってしまっているかのようです。
以前NHKクローズアップ現代に堤未果さんが出演した回で、アメリカの格差社会の特集をしていましたが
富裕層のみが境界線を作って特定エリアに住み、それ以外の場所はスラムのようになっていくというものでした。
この写真を見て思い出しました。
ネオリベに傾斜する安倍政権が掲げる地方創生なるものが、この景色を変えるとは想像しがたくむしろスラムエリアを拡大していくのではないかと危惧します。