東大で政治学を学び、
博士号を取り、
エドマンド・バークとトマス・ペインの研究に生涯を賭けた
小松春雄先生。
彼の『コモン・センス』は
いかなる訳になっていたでありましょうか?
冒頭の部分から引用しましょう。
ただし読みやすいよう、段落分けなどは変えてあります。
イギリス国王は自分自身の権利によって、
かれらの権利──王はそう呼んでいる──に基づく議会を支持しようとしてきた。
さらにこの国の善良な人民は、
王と議会の結託によって耐えがたい苦しみを味わってきた。
したがって人民は両者の不当な主張を問題にする特権を持つとともに、
どちらの側からの強奪であろうとも
それを拒否する特権を持っていることは明らかだ。
(13ページ。太字になっているのは、原文で傍点を付してあった箇所)
意味が分かった人、手を挙げて!!
こう言っては申し訳ありませんが、
私にはさっぱり理解できません。
2行目「かれらの権利」とは誰の権利ですか。
3行目「この国」はどこの国ですか。
6行目「どちらの側から」とは、具体的にどの側とどの側ですか。
では、佐藤健志訳『コモン・センス完全版』より
同じ箇所の訳をどうぞ。
イギリス王はみずからの権限のもと、
同国議会のアメリカにたいする方針を支持した。
いわく、
植民地アメリカは「議会の支配下に置かれているもの」だからだそうである。
王と議会の結託により、
アメリカの善良な人々は苛酷な抑圧を受けている。
ならばアメリカ人は、イギリス側の欺瞞を暴き出し、
さらなる搾取(さくしゅ)を拒む権利を有する。
これに疑問をさしはさむ者はいまい。
(70ページ)
偉そうに言わせてもらいますが、
かりに小松訳を朗読したとしても
内容は全然、頭に入ってこないでしょう。
というか、
小松訳って朗読できますか?
試してごらんなさい。
あちこちで噛む(=つっかえる)こと確実です。
なぜか?
呼吸のリズムがメチャクチャだから。
つづきはまた明日。
ではでは♬(^_^)♬
7 comments
くらえもん says:
8月 12, 2014
『コモンセンス完全版』読了しました。
すごく読みやすかったですし、訳注も親切設計でした。
小松先生の訳はスラスラとは読めないうえに
何を言ってるのかよく分かりませんね。
今まで特に意識はしていませんでしたが、
文章を読むときに頭の中で音読しているというのは
その通りですね。
widelogy says:
8月 12, 2014
一目瞭然です。なるほど呼吸のリズムですね。
佐藤先生の語り口は、他の言論人の方々と比べると、どこか演劇調といいますか、抑揚・メリハリがはっきり付いていて聞き取りやすいです。
改めて言われてみれば、「そんなの誰でも知ってるよ」と言えるようなことなのかもしれませんが、こうした本が現実に出版されて、多くの指導者達が当たり前のように読み、世間一般にまで拡散していったはずだと考えると、これは中々罪深いように思います。
岩○文庫を初めて手にとった時の、あの違和感(というか忌避感)の原因が一つ具体的に見えました。
最近色々な古典が新訳で出版されるようになったのは、やはり多くの人が問題と感じていたということなのでしょうか。もしくは、いろいろな制約が解かれるきっかけがあったり無かったりしたのでしょうか・・・。
らくだこうろぎ says:
8月 12, 2014
私も、多くの学者諸氏が書いた文章に読み辛さを感じておりました。
おそらく彼らの大多数は、生活基軸を狭い学問の中に据え、専門用語とたわむれ過ぎているため、言葉の意味のみに固執し、音韻には無頓着になりがちになるのでしょう。
その結果、言葉と音との乖離が進行し、また、他人との生の対話をおろそかにしがちであるせいか、文章の構成も本人にしか理解できないような体を成す。
その点、佐藤さんの本を読んでいると、佐藤さんの声でアテレコがなされるほど スッと頭に入ってきます。
私も見習いたいと思います。m(_ _)m
buttmedd says:
8月 12, 2014
翻訳はほんとうに難しいですよね。洋楽が好きで、せっせと歌詞を訳して来た高校時代のノリで学校に進んだら、いま以上にバカだったせいもありますが、もう大変でしたもの。その分野に通じているのは勿論のこと、何よりも外国語以上に日本語の、それも突出した国語力が翻訳者には試されるのだと、権威、泰斗と呼ばれる偉い先生たちの迷訳悪訳を引き合いにぎゅうぎゅう絞られました。
岩波文庫が逐語訳に徹するあまり日本語を破壊したとよく嘲笑されます。しかし、たとえ日本語としてよく通る読みやすい翻訳であっても、私たちは注意が必要です。翻訳を依頼する編集者の嗅覚がよほど駄目になっているのか、あまりに意訳が過ぎて独善的解釈と化した書物が近年とみに溢れているからです。イタリアには「翻訳者(traduttore)は裏切り者(traditore)」という諺があり、私は警句として受け取っています。
恥ずかしながら原典を読んでいないのですが、原文に対応した上でこの訳にたどり着いたのであれば、佐藤さんが鼻息荒く、もとい力強く自負されるのも無理もない気がします。しかも「いわく、」とか、どこか佐藤さんの口ぶりに似ていて新鮮です。出来れば訳者ご自身のことばでなく、書評でこの比較に出合って、翻訳に費やされた佐藤さんのご苦労を称えたかったかな。
マゼラン星人二代目 says:
8月 12, 2014
逐語訳と意訳のどちらがいいのか、私には言えません。
>2行目「かれらの権利」とは誰の権利ですか。
一つはっきり言えるのは、和文と英文では語順が逆さになりがちな点への配慮が小松訳では余りにも欠けているということです。
英語の語順を和文のそれに改めたはいいが、それで指示語(“Theirs”)が何の工夫もなく(実質的な)指示対象(“the Parliament”)に先立って訳出されるとなれば、それは混乱を来そうというものです。
マゼラン星人二代目 says:
8月 12, 2014
>6行目「どちらの側から」とは、具体的にどの側とどの側ですか。
言うまでもなく、国王と議会、でしょう。
原文で、両者(“both”)とどちら(か)の側(“either”)が使いわけられているのは、単に繰り返しを避けるためで、原著者がこれらのフレーズにさほど重みを込めているとは思われない。
それなのに、対応の正確さだけを重んじて、それらをいちいち糞真面目に訳出するから、少し読みすすめるたびに一々支障物に突きあたるような、何だかしつこい感じが出てしまう。それでいて、対句の面白みが少しでも出ているのかといえば、そうでもない。
それならば、これらの語を強調するのを避け、むしろ埋めつぶす狙いで、イギリス国王とイギリス議会(の一方または双方)を一緒くたに「イギリス側」という訳語で包摂してしまうのも一策かとも思える。そうすれば、言葉の推進力も増し、文の流れも少しは円滑になろうというもの。
もー says:
8月 13, 2014
『コモン・センス』はどういった人が読んで理解できる内容だったのか気になりました。主婦でも大丈夫だったのかな。
小松春雄先生の訳は試験問題の文章のように思えます。