クラウドファンディングに支えられて製作され、

メジャー系の作品ではないにもかかわらず

興業的にも大いに健闘しているアニメ映画

「この世界の片隅に」(片渕須直監督)

先週、観てきました。

 

戦時中の1944年、

広島県は呉市の「北條家」という家に嫁いだ

ちょっと天然ボケで絵の上手い女性・浦野すずが、

1946年はじめまでの日々をどう生きたかを

日常生活の描写を中心に描いた作品。

 

こうの史代さんの原作漫画は

2011年、終戦記念ドラマスペシャルとして

テレビ放送されたこともありますが、

アニメの題材としてはいささか地味です。

 

片渕監督によれば、

企画を推進した丸山正雄プロデューサーすら、

当初は「映画は無理だからあきらめろ」と言っていたとか。

 

それがちゃんと完成し、観客を集めている。

素晴らしいことです。

 

いわゆる「売れ線」系の作品だけでは、文化は豊かになりません。

さまざまなタイプの作品がつくられ、

メガとまではゆかなくともヒットしてこそ、

その国の文化は良い状況にあるのです。

 

ついでに片渕監督、

企画が成立し、製作がスタートするまでに

大変な苦労をされた模様。

 

貯金はゼロ寸前となり、

家族(4人だそうです)の食費を

「1日、1食100円」に抑えたとか。

 

関連記事はこちら。

 

1日3食とするかぎり

1日で100円

1食で100円はちょっと違うものの

どちらにしろ、強烈に少ないことは変わりません。

4人分ですからね。

 

その苦労を乗り越えて

作品を完成された姿勢には

称賛のほかありません。

 

ですから私も

非常に好意的というか

できるだけ応援したい気分で劇場に行きました。

 

2度目に観るとしたらいつにしようかとか、

サントラCDを買って帰ろうかとか、

そんなことを思っていたのですが・・・

 

・・・片渕監督には申し訳ないものの、

作品の印象はあまりかんばしくありませんでした。

 

断っておけば、評価すべき点がないなどと言っているのではありませんよ。

まず挙げられるべきは、仕上がりの丁寧さ。

本当に丹精こめてつくられています。

 

歴史考証も行き届いていますし、

作品にたいする監督の深い愛情も、いたるところに感じられました。

 

しかし作品世界に思い入れるあまり、

観客を酔わせる以前に

監督自身が酔ってしまった感が強い。

 

それくらい陶酔したからこそ完成までこぎつけられたのかも知れませんが、

傑作とは言いがたい出来だったのも否めません。

気になった点を挙げましょう。

 

※※※ この先、多少のネタバレがあります。ご注意を。※※※

 

「この世界の片隅に」の原作漫画は

一話完結の性格が強い45の短いエピソード

(各8ページ)から成り立っています。

 

さらに、すずの子供時代を描いた

プロローグ的なエピソード(12〜16ページ)が、

「冬の記憶」

「大潮の頃」

「波のうさぎ」

と3つありますので、

計48エピソード。

 

これをなるべく忠実に映画化しようとしたためでしょう、

点描の羅列という感じになってしまい、

映画全体としてのメリハリが弱い。

とくに前半!!

 

それでいて、日常生活の微妙なニュアンスを味わって楽しむには

上映時間(129分)の制約もあってか、展開のテンポが早い。

 

漫画ならゆっくり読めばいいわけですが

映画はそうは行きません。

 

片渕監督、パンフレットのインタビューで

「原作のエピソードから取捨選択しながら

(映画として)ひとつながりの軸線をつくっていく」

ように心がけたと語っていますが、

それが徹底されていないというか、

要は「平板なのに詰め込みすぎ」になっているのですよ。

 

丸山プロデューサーは

「この世界の片隅に」をアニメにするなら

映画よりテレビシリーズに向いているのではと考えていたそうですが

その通りだと思います。

 

テレビなら1回30分として、

13回でも6時間半。

26回なら13時間です。

まあ実際にはCMとか、オープニングやエンディングの時間がありますので

この8割というところながら、

それにしたって5時間から10時間ぐらい。

 

これだけの分量で

戦時下の日常を追ったら面白かったでしょうね。

 

とはいえ!

 

一番引っかかったのは

北條家の日常生活と、

戦争という天下国家レベルの巨大な破壊の間に、

どのような関係というか、バランスが存在するのかをめぐって

解釈を提示しなかったこと。

 

具体的には、

次の各点への答えが見出せなかったということです。

 

1)北條家の生活など、戦争の巨大さの前にはまったくちっぽけなものだが

はたしてこの家族の日常は、戦争と対比しうるだけの重みを持っているのか?

 

2)それだけの重みがあるとすれば、なぜか?

 

3)そんな重みはないとすれば、この一家の日常を追うことの意味は何か?

 

これらについて、きっちり突き詰めていれば

ストーリーが同じでも映画がぐっと引き締まったはずなのです。

「なぜ、この物語を描くのか」

という点が明確になりますので。

 

しかるにそれを論理で整理することなく、

ムードで流してしまった印象がある。

失礼ながら、そこに自己陶酔を感じるのですよ。

 

そしてその陶酔が端的に出ていたと思ったのが

じつは映画のオープニングでした。

これについては、また次回。

ではでは♬(^_^)♬