情報ポータルサイト「ASREAD」で展開されている特別連載
「<愛国のパラドックス> SPECIAL TRAILERS」の4回目が
昨日(3/16)より配信されています。
題して、「保守こそ本当の反日になれ」。
トップページの画像をご紹介しましょう。
以前、紹介したこの図式でも指摘されているように
いわゆる保守派は反日的言動について
非常に敏感です。(↓)
むろんここには
日本(とくに戦前の日本。以下同じ)にたいする批判を
自国の外交カードに使いたがる国が存在するという事情がある。
日本国内のメディアでも
同様の批判をしばしば展開するものがあるのは
みなさん、ご存じの通り。
ただし当該の諸国やメディアを批判すれば
問題は解決するのか? というと
必ずしも、そうではありません。
戦後日本そのものが
良くも悪くも戦前の日本の否定の上に成立しており、
当の否定こそ
「戦後の正しさ」の証拠のごとく扱われてきたのも
否定しがたい事実だからです。
「かつてわれわれは、間違った道に踏み込んだあげく
無謀な戦争をやらかしてしまいましたが
そこから貴重な教訓を学び、
今では平和国家の道を歩んでいます・・・」というおなじみの言説は
その典型的な例でしょう。
ならば反日を真に克服するには
戦後日本のあり方を否定してゆかねばならない。
しかし70年近く続いてきた自国のあり方を否定する以上、
それはそれで
「愛国の反日」とも呼ぶべき行為ではないでしょうか?
そう、ここでもパラドックスが顔を見せるのです。
言いかえればわれわれは
「反日」とは何かについて、
あらためて考える必要があるのではないでしょうか。
ぜひ、ご覧下さい。
そしてその後は、むろんこちらを!
ではでは♬(^_^)♬
2 comments
akkatomo says:
3月 17, 2015
反日というか、単に日本を批判的、ないし懐疑的な態度で聖域なく見ることができるか否か、
というような問題の気もします。反日行為だ、反日的だと仰る方々は
余りに日本の正しさを自明視し過ぎているような
何といいますか、日本への自己同一化及びに日本の絶対化を通じての自己絶対化
そのような精神構造があるような
もし私の考えが正しいならば、寧ろ左翼側が言っている「保守は幼稚な精神構造をしている」
という批判は相当程度その通りな訳で
保守的な態度と致しましては、常に正しいかを反省吟味していく事が求められるんでしょう
日本は絶対的に正しくはない。が、少なくとも部分的には正しく、
正しさと過ち、両方を引き受けていく態度が必要なのかもしれません
tamaleah says:
3月 17, 2015
思うに反日の裏には自己効力感への渇望があるのではないか。
先の図式における左右がそれぞれ好む主張というのは(言葉を尖らせた表現という意味で)実に露出狂じみている。
しばしば露出行為は、例えば全裸で自然の森の中に身を置いてみるとして、冷静に見ればそれは自然の森の中で全裸の人間が突っ立っているだけであるのに、当事者に何かしらの一体感を感じさせているという事がある。おそらくは、自分とは違う自然の森の中に異質な自分が存在し得ているという「事実」がそう思わせるのであろう。
とするならば図式にあるような主張は、それを通じて現日本への一体化を図ろうとしている姿かも知れず、また、日本という森には異質でなければ一体感を得られない点において、特定の偏りを見せるのはある意味当然の事かも知れない。
また、異質である「事実」が一体感に必要であるならば、左右に傾く彼らが(異質で有り続ける為に)頑なに自らの主張に拘泥するのも無理からぬ話なのであろうや。