一昨日の記事
「『経路依存』の主語は何か」
について、
せいさんから以下のコメントがありました。
(経路依存性とは)物語の「起承転結」や「序破急」で例えると、
「転」や「急」までのストーリーの流れやキャラ設定にそって、
説得力のある自然な展開にしなければ、
例えそれがベストな展開であろうとも、
視聴者はおいてけぼりで反感を持たれ、作品として失敗する、という感じでしょうか。
ハイ、だいたいそういうところだと思います。
ただし2つほど考えるべき点がある。
まずはこれ。
例えそれがベストな展開であろうとも、
視聴者はおいてけぼりで反感を持たれ、作品として失敗する
とありますが、
失敗に終わる展開がベストであるはずはないでしょう。
言い替えれば
説得力のある自然さを持つことこそ
「良い展開」の条件となります。
しかしこれは
「転」や「急」までのストーリーの流れやキャラ設定を
つねに墨守しなければならない
ことを意味するのか?
そんなことはありません。
これが第二点。
どんでん返しという言葉が昔からあるように
ひっくり返したっていいんですよ。
けれども、当のひっくり返し方が
それまでの流れや設定に照らして
説得力のある自然さを持っていなければ失敗するということです。
つまり
「経路と調和する変革だけが成功する」というのは
べつに
経路から脱却しようとしても失敗に終わるだけである
ことを意味しません。
説得力のある自然さを持たせられるかどうかが
経路脱却を成功させるカギだ
と言っているのです。
もちろん、
従来の経路に照らして説得力のある自然さを持たせつつ
その経路を否定する
というのは
決して容易ではありませんから
たいがいの経路脱却の試みは失敗することになりますがね。
だ・か・ら、
『右の売国、左の亡国』となってしまうわけですが、
関連して面白い事例をご紹介しましょう。
日清食品が19日から放送を始めた
カップヌードルのアニメCM
「魔女の宅急便・青春」。
「魔女の宅急便」と言えば
角野栄子さんの児童文学作品ですが
一般的には1989年につくられた宮崎駿監督のアニメ版が有名。
他に実写映画版や、舞台ミュージカル版(なんと三種類!)もあるものの
今回のCMは角野栄子さんの許可を得て
ヒロインの少女・キキが
現代日本に暮らす17歳の女子高生だったら
というコンセプトのもと、
「原作にも過去のアニメ作品にも登場しないパラレルワールド」
「まったく新しい『魔女の宅急便』」
(日清食品広報部)
を描いた、とのこと。
アニメ自体はかなり丁寧につくられていると思いますが、
映像のスタイルや音楽の使い方は
どう見ても宮崎監督というより
「君の名は。」の新海誠監督に近くなっている。
そのせいもあってか、
「これじゃない感」を訴える声も多いようです。
さあ、このCMをどう評価すべきか?
・・・お分かりとは思いますが
ここにはまさに
「経路と調和する変革だけが成功する」という問題が凝縮されています。
角野栄子さんによる「魔女の宅急便」の原作は
全部で6冊のシリーズとなっていますので
これがまず、ひとつの経路を持っている。
ついでに宮崎監督によるアニメ版が国民的人気を誇り、
かつ宮崎監督がいわゆる「ジブリ・ブランド」と不可分である以上、
こちらの経路も無視できない。
今回のCMだって、アニメとしてつくられているわけですからね。
すなわち「魔女の宅急便・青春」は
1)上記二つの経路から見て、説得力のある自然さを持ち
かつ
2)上記二つの経路をひっくり返してみせる
という条件を満たしてこそ、
まったく新しい「魔女の宅急便」として成功したことになるのです。
はたしてそれは、どこまで達成されたか?
評価はみなさんが各自、下すべきものですが
個人的な感想を言えば
30秒のCMとして見るかぎりは秀逸な成功作だと思いました。
ちなみにこれをめぐっては
『対論「炎上」日本のメカニズム』で展開した
〈仮相の出来のよしあし〉についての議論も
ぜひ参照して下さい。
ではでは♬(^_^)♬
8 comments
GUY FAWKES says:
6月 27, 2017
>・・・お分かりとは思いますがここにはまさに「経路と調和する変革だけが成功する」という問題が凝縮されています。
角野栄子さんによる「魔女の宅急便」の原作は全部で6冊のシリーズとなっていますのでこれがまず、ひとつの経路を持っている。
原作ではキキは魔女の習わしにおける13歳の旅立ちから数年間の時の流れがありますから、
この辺については件のアニメCMは逸脱している訳ではないですね。
>ついでに宮崎監督によるアニメ版が国民的人気を誇り、かつ宮崎監督がいわゆる「ジブリ・ブランド」と不可分である以上、
こちらの経路も無視できない。今回のCMだって、アニメとしてつくられているわけですからね。
少し調べてみたのですが件のアニメCM、こちらの監督はあの昨年話題になったスマートフォン向けアプリゲーム
「Pokémon GO(ポケモンGO)」のCMを担当された柳沢翔さんという油彩画出身の方の様です。
こちらが柳沢さん所属のディレクターズ・ギルドのHP。
http://www.d-guild.com/director/show-yanagisawa/
>すなわち「魔女の宅急便・青春」は1)上記二つの経路から見て、説得力のある自然さを持ち かつ
2)上記二つの経路をひっくり返してみせるという条件を満たしてこそ、
まったく新しい「魔女の宅急便」として成功したことになるのです。
>はたしてそれは、どこまで達成されたか?評価はみなさんが各自、下すべきものですが
個人的な感想を言えば30秒のCMとして見るかぎりは秀逸な成功作だと思いました。
実はこの件については私は「わかるんだけど、ナニカチガウ…」という感想を持ったので、
佐藤先生のご感慨についてもう少し詳しくお伺いしてみたいですね、お忙しい中で大変申し訳ありませんが。
なお今回『魔女の宅急便』と聞いて、今夏は来月公開される『思い出のマーニー』の米林宏昌監督作にして、
スタジオポノックの処女作『メアリと魔女の花』も佐藤先生のご意見が聞けるのではないかと思っております。
SATOKENJI says:
6月 27, 2017
>「わかるんだけど、ナニカチガウ…」
「何か違う」という、その違い方が面白かったのですよ。
アニメ版の舞台となった架空の北欧風世界から、現代の日本にキキを連れてきたら、こうなるだろうなと納得しました。
世界観を変換したわけだから、絵柄も音楽の調子も変わるのは当然。
あのコンセプトで2時間の映画をつくったら、どうなるかは保証しませんが
30秒の枠内では「世界観の変換の仕方」に自然な説得力があったということです。
もっともカップヌードルですから、「少年時代の銭形警部」を描いたほうが良かった気も・・・(「カリオストロの城」参照)。
半ライス大盛 says:
6月 28, 2017
経路依存性の物語として、『エイリアン』シリーズは傑作だと思います!
映画の続編は、前作と同じスタッフがかかわっていても失敗するケースが多いのに
このシリーズは、設定や登場人物を継承しつつも世界観が作品ごとに際立ってますね。
これじゃない感がありつつも、続編として成立している所がすごいです。
最終的には、『プレデターVSエイリアン』というコメディにまで昇華するなんて
ほんとうにすごいですね!
SATOKENJI says:
6月 28, 2017
時間をさかのぼって新たな経路をつくろうとした
「プロメテウス」
「エイリアン・コヴェナント」(9月公開)
もお忘れなく。
もっとも「プロメテウス」は、映像がすごかったわりに話がアレでしたが・・・
GUY FAWKES says:
6月 28, 2017
本年度の佐藤流ポップカルチャー評論の対象となりそうな期待作は『メアリと魔法の花』と
『エイリアン・コヴェナント』、そして『ブレードランナー 2049』ですね。
ブレランの方はリドリー・スコット監督が製作総指揮に回るみたいですな、
ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督については昨年の前田有一さんも高評価を出していたメキシコ麻薬戦争を描く映画
『ボーダーライン』が秀作だと思ったので期待大ですが。
SATOKENJI says:
6月 28, 2017
いやいや、ダークホースはこちら。
ツイン・ピークス THE RETURN!!
ネットに動画が出ていますが、6月25日放送の第8話
「火をつけてくれるか?」の核爆発シーンは圧巻。
1945年、ニューメキシコで行われた世界初の原爆実験を描いているのですが、
5分にわたって、キノコ雲の中心部における物質の崩壊と、雲のあちこちで生じる爆発の連鎖とを、ひたすら映しつづけるのですぞ。
どういうテレビドラマだ!!!(←褒め言葉)
Daniel says:
6月 29, 2017
やっぱり少なくともここに来る男どもは、映像や演劇などのオタクばっかりだ(笑)…(個人の感想です)
カップヌードルの「魔女宅CM」観ました!私は、なかなかこれでオモシロイ、と思いました。最大の違和感は、やはりコペンハーゲンやドブルヴニクを参考としたといわれる海洋ヨーロッパから、新宿副都心?と思える日本とその高校校舎へ舞台を移したところでした。海と石造りの街が消えた代りに、桜(淡い水をイメージ?)の点在する高層ビルの陸へと、キキの住む世界が切り替わった感じがしたところです。
それは、(キキの下宿した)パン屋からご飯(米)への転換では必ずしもなくて、やっぱり現代感のある麺類(カップヌードル)の世界への転換だったとみるべきではないか、などと素人考えを楽しんでいます。
そこには、トンボがどうにも気になるまんま、思慕へと想いが成長してしまったキキの清新なイメージが継続する一方、「富士山と桜と新幹線」のイメージを提唱した藤井聡・京大教授の筆法になぞらえまして、これまでの「魔法と海と煉瓦・石造り」(北欧調)から「魔法と桜とビル」(現代日本)への転換が図られているのです。
しかも、恋(これは食物への指向と言い換えてもいい)って、魔法と似ているじゃないですか。何となく、私はお見事だなぁと思っています。
さて、ところで、この御記事、待ってました! 経路依存(制約or決定)性から経路脱却へと至る良き道筋への言及、探求、これこそ佐藤先生の独壇場じゃないですか。それが出来ない、分らない我々(ま、要は私こと)凡人が呻吟する世界へ照らされる一筋の、しかし確かな光。五里霧中の宵闇迫る海に鳴る霧笛と浮び上がる探照灯。
これこそ、社会科学の醍醐味です。では成功する「経路脱却」とはどういうものか。既に、「経路と調和する変革だけが成功する」という言葉が先生から抽出されています。そして、「せい」さんの言及された「起承転結」や「守破離」という伝統の言葉にもその重大な成否が潜んでいるようです。
続編を、いよいよ期待します。
せい says:
6月 28, 2017
〉説得力のある自然さを持たせられるかどうかが
〉経路脱却を成功させるカギだ
日本がずっと不況なのは、間違った経済政策を続けたからなんだよ!な、何だってー!
何と説得力のある、自然な意見なんだろう。。。
ところが改革がやまないのは、まだまだ余裕のある人達が、元気で危機感もないのでしょう。
彼らをどう自然に、騙くらかすか、公共事業を横文字にするとか(笑)