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そして10日には「FRONT JAPAN 桜」を
三橋貴明さんとやってきました。
題して・・・
均衡財政期の不都合な真実 / MMT VS 財務省[桜R1/5/10]
もちろん、「三橋TV」もどうぞ!
さて。
反グローバリズム、
ないし反・新自由主義の流れについては
階級対立(階級闘争)の発想を踏まえないと
本当には分からないというのは
1月14日の記事
「ヨーロッパの状況は『階級対立』を考えに入れないかぎり把握できないのではないか」
でも指摘したとおり。
グローバリズムや新自由主義のもとでは格差が拡大するためですが
それだけが理由ではありません。
20世紀以前の階級闘争論では
「国際共産主義」という呼称が示すとおり
貧しい人々が国境を越えて連帯、
各国で特権を享受している富裕層に対抗するという図式がありました。
しかし今や
「エニーホエアズ」(国境を越えて、どこでも生きてゆけるエリート層)と
「サムホエアズ」(特定の土地に根を下ろさないと生きられない庶民層)の対立が
論じられることが示すように、
21世紀の階級闘争は
富裕層が国境を越えて連帯、
各国の庶民から(構造改革によって)「既得権益」を奪いたがる
という図式を持っている。
だとしても、富裕層が富裕層であるかぎり
各国の国内で特権を享受している点は変わらないのではないか?
この点を見落とすと
グローバリズムに対抗するつもりで、自国内の新自由主義(=富裕層の支配)を強化する
なんてパラドックスが成立しないとも限らないわけです。
実際、イギリス労働党のジェレミー・コービンは
そういう理由で保守党のまとめてきたEU離脱案に反対したのですぞ。
この人物の見解をぜひ聞いてみたいところですね。
そして、かつては「一億総中流」などと謳われるほど
社会的格差の目立たなかったわが国でも
平成時代を通じて、格差拡大が着々と進行。
新自由主義やグローバリズムの発想にしたがって
構造改革に邁進したのですから
当たり前と言えば当たり前の話ですが
その結果、階級対立や階級闘争の
予兆とも取れる事態が生じています。
どうぞ。
「上級国民」というネットスラングの大拡散が示す日本人の心中
(NEWSポストセブン、5日配信)
「上級国民」というネットスラングの拡散が止まらない。
もとは4月19日に、東京の東池袋で自家用車が暴走、
歩行者10人をはね、母子2人を死亡させた事故の運転者を指した言葉だが、
いまやその範囲を大きく超えて、使い続けられている。
なんでもこの10連休には、
こんなツイートがあちこちでなされたのだとか。
〈モノレールが連休を旅行で過ごす上級国民様で満たされておる〉
〈10連休を取れるのは全体の3割。そんな能天気に生きて居られるのは、上級国民だけってか〉
〈10連休なんて上級国民様の催しでしかないのです、下級国民は労働奉仕なのです(震え)〉
記事の筆者、オバタカズユキさんいわく。
日本には一部の「上流国民」と
その他大勢の「一般国民」や「下流国民」しかいないみたいな構図(※)が、
いつの間にかできあがっているようであり、
そして、この言葉を使用する人々には、基本的に、
疲れていて、嘆いていて、捨て鉢になっている印象がある。
(※)「上級」「下級」の誤記と思われるが原文のまま。
なんでも「上級国民」とは
2015年に起きた東京五輪エンブレム盗作騒動で、
エンブレムの審査委員長が
専門家の間では十分分り合えるんだけれども、
一般国民にはわかりにくい、
残念ながらわかりにくいですね
と発言したのをきっかけに
「一般国民」の反対概念としてネットで生まれた言葉とか。
しばらくは忘れられていたようですが、
4年後の今年、
池袋での暴走事故をきっかけに拡散したというのです。
2015年といえば
消費税が8%に引き上げられはしたものの
安倍内閣が経世済民を達成してくれるのではないかという期待が
まだ残っていた時期。
実際、自民党がこの年に掲げたスローガンはこれです。
経済で、結果を出す。
しかし、それから4年たっても結果は出なかった。
デフレからの脱却も達成されていませんし、
国民の貧困化も止まらない。
おまけに10月には消費税の10%引き上げが待っている。
土壇場で増税の延期や凍結が決断される可能性も
むろん、皆無ではないものの
消費増税による財源を活用することを前提とした
改正子ども・子育て支援法や
大学等就学支援法が10日に成立したのを思えば
状況はかなり厳しいと言わねばならない。
消費増税をしなければ、これらの法律が実施できないというのではありませんよ。
ンなもの、積極財政に踏み切れば簡単にできます。
しかし、政府にはその気が(今のところ)ないのも否定しがたい。
とはいえ緊縮財政のもとでは
社会全体が「椅子取りゲーム」と化すのは不可避。
しかも新自由主義(=弱肉強食何が悪い、負けたヤツは自己責任)ですから
このまま行けばわが国は、少数の富裕層と多数の貧困層に分裂します。
「上級国民」の概念が広まるのも無理からぬことではありませんか。
オバタさんも、こう指摘します。
「エリート」「セレブ」には、
勉強なり、仕事なりで努力した結果、手にいれた地位といった語感がある。
「庶民」や「一般人」でも、
努力の上にラッキーが重なればそうなれる可能性が
僅かながら残っている。
対して、「上級国民」は手の届かない存在だ。
他の言葉では「上流階級」や「特権階級」に近いが、
「階級」もまた努力や運によって上に行くことが不可能ではないことを考えると、
「上級国民」という言葉はより固定的で、生まれ育ちで決定されている感がある。
生まれながらに決まっていて、
変更できない社会的階層は
「階級」ではなく「身分」と呼ばれます。
英語なら「class」ではなく「estate」。
ただし変更可能なはずの「階級」においても
富裕層の子は富裕層になりやすく
貧困層の子は貧困層になりやすいという固定化がしばしば見られるので
この相違は絶対的なものではありません。
「階級」にも「身分」的な要素はあるのです。
社会学者の橋本健二さんによれば
現在の日本には
1)資本家階級(経営者・役員)
2)新中間階級(被雇用の管理職・専門職・上級事務職)
3)正規労働者階級
4)旧中間階級(自営業、農業)
5)アンダークラス(非正規労働者)
という5つの階級が存在するとのこと。
してみると上級国民とは
資本家階級+政治家・キャリア官僚、
つまり社会の支配層を中核として
新中間階級+旧中間階級の中で、
収入・資産・学歴・人脈などに恵まれた者
を加えた概念と規定できるでしょう。
で、残りが一般国民ないし下級国民というわけです。
池袋の暴走事故への反応が示すとおり
上級国民はたんに豊かなだけでなく、
下級国民相手に何かトラブルを起こしても責任を問われないという
特権的な立場にあると見られている。
逆に下級国民は
上級国民にひどい目に遭わされても
泣き寝入りするしかないという次第。
しかし、かりにも一度は「一億総中流」と謳われた国で
ここまでの階級分化が生じたら
さすがに社会は安定しないのではないか。
まして、国民全体の貧困化がこれ以上進んだら
上級国民にたいする下級国民の階級闘争が始まるのではないか?
ジャン=リュック・ゴダールやベルナルド・ベルトルッチ、
ついでに大島渚といった
左翼系映画監督の作品も愛好する私としては
そうとしか思えないわけですが
オバタさんの結論はちょっと違う。
どうぞ。
そんな身も蓋もない階級社会は冗談じゃない、
ふざけるなとの怒りはどんどん溜まっている。
が、一方で、どうせ変わらないよという諦めや絶望も広がっている。
多くの人々は、疲弊しながら日々の生活をどうにか成り立たせるのに
精いっぱいといったところではないだろうか。
ネット上で「上級国民」を腐して、少しばかりガス抜きをして、
また「下流」の日常生活に戻っていく日本人の後姿が見えてくる気がする。
・・・どうもわが国の階級闘争は
下級国民側の不戦敗に終わるらしいのです。
だとしても、どうしてそんなに無気力なのか。
言ってはなんですが、
敗戦このかた
アメリカという上級国家にひたすら添い遂げ、
東アジアの現地妻に徹してきたことと
関係があるのではないでしょうか。
なにせマッカーサーは占領開始直後、
今回の敗戦で、日本は四等国に転落した
と言い放っています。
で、日本人はそれに反発するどころか
みずから「四等国」を流行語にして自嘲した(ホント)。
ついでに上級国民が下級国民にたいして持つとされる
何かトラブルを起こしても責任を問われない特権は、
取りも直さず、在日米軍が(実質的に)持っているもの。
あまりのことに凍りつく sayaさん。(※)個人の凍結です。
「ダメよsayaちゃん、爽快にならなくちゃ♥」(※)お姉さまのお言葉です。
アニメから sayaさんの熱唱まで、豪華絢爛たるプロモーション動画はこちら!
この週末も好調です。
対米自立の試みが不戦敗に終わるかぎりは
下級国民の階級闘争も不戦敗に終わる恐れが強い。
それが本日の結論であります。
不戦敗を脱するためには、この4冊も読むべし!
ではでは♬(^_^)♬
6 comments
GUY FAWKES says:
5月 13, 2019
>言ってはなんですが、敗戦このかたアメリカという上級国家にひたすら添い遂げ、
東アジアの現地妻に徹してきたことと関係があるのではないでしょうか。
個人的に件の『上級国民』なる言葉を巡る狂想曲は正に宇宙のジョークそのものと感じております。
加害者とはいえ事故の怪我人であり、逃亡の危険性無しと司法が断じただけにすぎないにもかかわらず
巷では「身分の高い存在は免罪者なんだ!」「裁かれないのは特権階級なんだぁ!!」と怨嗟の声で溢れかえっております…
…そういえば、ネット内の保守民の皆々様方はよく「韓国は国民情緒国家で法治国家じゃないwwwwww」などと嘲笑っておりますが、高齢者ドライバーの事故数は若年層よりも遥かに少ないのに高齢者をバッシングすることに躍起になり、一方で少年犯罪は増加も凶悪化もしていないのに厳罰化を煽り続けているとは、正に自裁した某(亡)思想家の言うところの「大衆」ですなぁ…
ネット右翼が「マスゴミの偏向報道ガー!」と叫びながらご立派なリテラシー()を曝け出し、「上級国民ガー!」と階級社会を体現しているその様たるや、最早つけるお薬がございません。
三橋さんが「ルサンチマンに流される」と看破していたのはこういうことでもあったのか…
富田師水 says:
5月 13, 2019
私は、かねてから水島社長がよく言う「敗戦後利得者」と「上級国民」の大部分は重なっていると思っていました。
様々な分野で、現在の占領体制を良しとする、ないし現在の体制の上で富を貪ってきた連中は、
当然の如く現体制の延命を良しとするわけです。
その上において、飯塚もそうですが、彼らは「これまで現体制を維持してきた功労者」なわけです。
だから勲章も授与されている。
表面化したのは経済的ストレスからですが、根はもっと深いと思います。
正直、高度経済成長時代からその萌芽はあったのではないかと思います。
豆腐メンタル says:
5月 13, 2019
椅子とりゲーム社会の構造を読み解き共有する必要性がありますね。
改めて『平和主義は貧困への道』が多くの日本人の理解する構造になれば良いと思います。
ゲームといえば戦後日本の現地妻的態度はゲーム理論でいうところのナッシュ均衡状態です。
ナッシュ均衡は最適解ではなく次善策の膠着状態。
御代替わりを良いキッカケにいい加減、ナッシュ均衡ではなくパレート最適を目指さねばならない。
パレート最適は
「誰も不利益を被ることなく、全体の利益が最大化された状態」
つまり、椅子とりゲームをしなくてよい国。
経済的にはGDPが”まともに”成長する国。
パレート最適の国では階級闘争や自己責任の悪意も治るでしょう。
エリートには社会を良くする理念と実践があり、庶民には愛する日々と場所がある国。
うーむ。。自分が統合失調かと思えるぐらい現実離れしてる。令和初入院だ万歳笑
汎損・フォード says:
5月 15, 2019
>上級国民は(略しました。m(_ _)m)責任を問われない。
消費税率を200%に上げようが、経済指標値▲200%に下げようが、支持率は安値感で安泰・・・・もうアホらしくなりますね。
そう言えばエニウェアとサムウェアって、自然界で言う植物(体内で栄養を合成する)と動物(動いて獲物を捕る)と相対化出来るような気がします。
意識界に於けるサムウェアとエニウェアとでもいいますか・・・・失礼しました。
危惧茄子 says:
5月 15, 2019
選挙後特番を見ていても同じことがうかがえる。
選挙権放棄者のインタビューを見ると
「現政権に思うことはあるが、どうせ私の一票では変わらない。」
というような内容をテンプレのように言う人のブイばかりが流される。
そりゃ勝ち負けを先に放棄していたらいつまでも変わらないでしょ…と毎回突っ込みながらみている。
ただ、日本の戦後民主主義の過程を今振り返って勉強してみるとそれは頷けてしまう。
戦前の民主主義(特に翼賛体制以前)は公民館などに一つどころにあつまり、少ない新聞を村の大人がシェア、または取り合いをして、侃々諤々、場合によっては命をかけるほど議論をしたものだと聞いている。
ただ、日本は敗戦を経験し戦中、戦前を全否定してしまった。
一つどころに集まっての議論も否定してしまった。
それでも民主主義国家として存続する必要はある。
そこで戦後の日本国民が選んだのは、「強い情報発信者に従属すること。」
劇場=炎上であり、また演じられている内容はチープなはずなのに、戦中・戦前の否定とその見てくれだけの痛快さゆえに劇場をよしとしてしまった。
(その痛快さが敗戦後の日本人の鬱屈した気持ちをいやす(ガス抜きさせる)効果は一方であったのかもしれないが)
Twitterを見ててもその傾向はまだ続いていると強く感じる。
本当の戦後レジームの脱却は戦前にあった本当の民主主義をとりもどすことなのかもしれないと常々感じる。
福岡ワマツ says:
5月 18, 2019
階級対立と階級闘争ですか…。
これぞ,ツー・ネイションズですね。
今回の記事を読みながら、佐藤さんが著書に書かれていた話を思い出していました。
その話とは、H・G・ウェルズの『タイムマシン』におけるイーロイ族とモーロック族の対立についての話です。
その話は、御著書『国家のツジツマ』の一節「格差による国民分裂の悪夢」(p91~95)にて、十九世紀のイギリスにおける国民分裂の話題に関連して展開されましたので、とても強く印象に残っていました。