KADOKAWA のメルマガ「踊る天下国家」
第1 1回が2/25の8:00より配信されます。
今回のテーマは
ジャン=リュック・ゴダールの最新作
「さらば、愛の言葉よ」にちなんだタイトルですが
わが国では言葉のみならず、
愛の行為にまで「さらば」と言わねばならない恐れが強い。
なにせ新成人の2割近くは、
片思いすら一度も経験したことがないとくる。
セックスに関心がないか、嫌悪感を抱いている男性の割合は過去最高。
同じく女性の割合は、
過去最高ではないものの4割以上。
そして、夫婦の半数近くはセックスレス。
すべて統計的な裏付けのある数字ですよ。
ゴダールは映画の中で
「ADIEU(さらば)」=「AH(ああ)」+「DIEUX(神よ)」
というシャレを(わざわざ3Dにして!)披露しましたが
「AMOUR(愛)」=「AH(ああ)」+「MORT(死よ)」
という感じではありませんか。
ちなみに、どうやってシャレを3Dにしたかというと、
DIEUX という文字の前に、AHが飛び出してくるようにしたのです(ホント)。
しかし愛の行為がここまで衰退しては
少子化対策も何もあったものではない。
日本を保守したければ
われわれはこの状況も変えてゆかねばならないのですが、
そのためにまず、問われるべきはこれです。
日本人はどうして、
恋や、
愛や、
性を捨て去っていったのか?
そこにはいかなる要因がひそんでいるのか?
メルマガではこれを探求します。
なかなか衝撃的な結論が出てきますよ。
ちなみに私、
「さらば、愛の言葉よ」は2回観ましたが
映画の中には、たしかこんな台詞(というかナレーション)が出てきました。
左右がひっくり返っただけで、上下はひっくり返っていない。
上下もひっくり返せばいいのに。
「愛国のパラドックス」そのもの! と興奮しましたね。
おかげさまで、amazonのイデオロギー部門では30日連続の1位です!
ではでは♬(^_^)♬
4 comments
die tamu says:
2月 25, 2015
少子化対策も鑑みた上での整合性のとれた構造改革ならともかく
少子化対策とは別の次元であるかの様に規制緩和と言う供給力の過剰をデフレ脱却もしきれていない内から目指す様な構造改革は矛盾した行いだと
最近痛感する今日この頃…
ストレスを抱えすぎると特に男性は性的欲求が抑制されるとの研究結果が出たとの話を最近耳にしましたが
それが仮に本当であるとするなら、ストレスを抱えすぎない様余裕を持たせられる形を模索する事が大事になる筈にも関わらず
なおストレスを抱えさせるかの如く競争を”デフレなのに”煽る方向に導こうとするのは、
寧ろ少子化Welcome!なのでは無いかと疑われても仕方ない状態であるんではないかと
で困ったから移民らしいのですが(笑)
hello says:
2月 25, 2015
凄いですね、ここにもぴったり「信」の問題が当てはまります
人も言葉も信じられない為に愛し合いもしないのは至極当然
tamaleah says:
2月 26, 2015
最近の安倍首相を見ていると、どうも国民に対する不信感が彼のどこかにあるという感覚を覚える。
民間議員を多用するのも、不信の中での信頼を求めている表れかも知れない。
他の政治家もそうだろう。真面目に政治に挑んでも国民がそれを理解しないと不信感が募る。
官僚もそうだろう。真面目に政策を立案しても政争に振り回されれば政治家への不信感が募る。
国民もそうだろう。真面目に労働していても政治の不備で不景気になれば政府への不信感が募る。
みな不信感に覆われている。
マチコ says:
2月 27, 2015
読みました&聴きました。
とっても面白かったです。
自分が日常、うすうす感じていることを、
ここまでかというくらいに、言語化されていました。
佐藤先生の頭脳の明晰さに(これまで何度も驚愕しましたが)
また今回もすごい!っと思いつつ、メルマガに書かれている内容に納得し、腑に落ちました。
井上陽水さんの「最後のニュース」という歌の中で、
「薬漬けにされ治るあてをなくし
痩せた体あわせどんな恋をしているの」という歌詞があります。
日本は薬漬けならぬ、骨抜きにされ、治るあてをなくしかけていて、
そこに住む国民の精神が貧相になりつつあるとしたら、
どんな恋愛ができるのだろうと、井上陽水さんの歌詞を思い出した次第です。