9月1日の記事「天下国家を自分の言葉で」について

カマキリさんより以下のコメント、というかリクエストがありました。

 

「Voice」9月号での中野さんとの対談について、

http://real-japan.org/に論評が出ていたが、

いまいちピンと来ないので私のコメントがほしい、とのこと。

 

というわけで、さっそく論評を読んでみました。

永田伸吾さんという人が

「『単純化』の議論の果てに・・・」

なるタイトルのもと、批判的に取り上げているのですが、

ハッキリ言ってしまいましょうか。

われわれの議論が過度に単純化されたものかどうかはともかく、

永田さんという人は、単純化された議論もできないように見受けられます。

 

例を挙げましょう。

二番目の段落で、永田さんはこう書いています。

 

第一印象として、中野氏が、

自由や民主主義、法の支配や人権を普遍的なものとする

「アメリカの理想」に付き合っている「親米保守」と「左翼」を断罪する一方で、

佐藤氏の、以上のような「近代の理想」を崩壊させてはならないとする主張に首肯することに違和感を覚えた。

また、中野氏は、以上のように「アメリカの理想」を日本人が受容することに批判的であるが、

その理由を全く合理的に説明していない。

 

内容以前の問題として

読点が不必要に多いうえ、

(これについては、「言葉と呼吸」カテゴリーの「句読点を軽視してはダメ」シリーズをどうぞ!)

構文がゴチャゴチャしていて読みづらいというのが第一印象ですが

(こちらについては、同じカテゴリーの「これがインテリの文章だ!」シリーズをどうぞ!)

内容もツッコミどころ満載です。

分かりやすいよう、箇条書きで行きましょう。

 

1)「アメリカの理想」は、「近代の理想」を基盤として成立しているが、

「近代の理想」と100パーセント、イコールではない。

アメリカの都合、つまりは権益や国家戦略がからんでくる。

(当たり前ですね)

ついでに「近代の理想」そのものが、絶対的な普遍性を持っているわけでもない。

ただし「近代の理想」以上に普遍的な価値観は

今の世界に存在しないし、

日本もまた、この価値観の中で繁栄してきた。

 

 

すなわち中野さんは、

「アメリカの理想」が、近代の理想を基盤としており、

その意味では(かなり強い)普遍性を持っているからといって、

アメリカの権益や国家戦略につきあいすぎることはない

と述べているのであり、

これにたいして私は

アメリカの権益や国家戦略につきあいすぎることはないが、

「アメリカの理想」の根底には近代そのものの理想があり

日本もその理想の枠内で繁栄してきたのだから

同国を安易に全否定することはできない

と述べたのです。

 

単純化されすぎているかどうかはともかく、

十分に明快な議論だと思うのですが

引用文を見れば分かるように、

永田さんはそもそも、われわれが何を話しているのか理解できなかったようです。

あるいは複雑すぎたのかも知れません。

 

「違和感を覚えた」と書いていますが、

これはご自分の読解力不足にたいする違和感(より正確には劣等感)

われわれの議論にたいする反感へと、すり替えて投影したものでしょう。

 

2)よって中野さんが、

「アメリカの理想」を日本人が受容することに批判的な理由は、

説明するまでもなく明らかだと思います。

つけくわえれば

その理由を全く合理的に説明していない。

という一行には、

永田さんの文章能力の粗雑さが浮き彫りになっています。

 

 

まず「全く」は不要。

「全く合理的な説明」と「中途半端に合理的な説明」を区分するのならいざ知らず、

この言葉を付け加えることによって、新たに生まれる意味は何もありません。

「その理由を合理的に説明していない」で良いのです。

 

つづいて「合理的に説明していない」はトートロジー(同じ意味の言葉を繰り返すこと)。

それとも永田さん、非合理的な説明なるものを想定しているのかな?

もうちょっと、思考を単純化したほうがいいでしょう。

 

というわけでこの箇所、

「その理由を説明していない」で十分なのですが、

当の事実認識が間違っているのだから、文章をブラッシュアップしたところでどうにもならない。

文章の精度は、思考の精度を正しく反映するのです。

 

長くなったので、つづきは明日ということに。

ではでは♬(^_^)♬