財政政策と関連してよく用いられる言葉に
ワイズ・スペンディングがあります。
「賢くカネを使う」ということですが
要するに不況対策で財政出動するときは
将来的に利益や利便性をもたらすなど、
経済への刺激効果が大きい分野を
賢く選んでカネを出すべし、という話。
ケインズの提唱した概念だそうです。
しかるに安全保障、
ないし、ずばり戦争についても
ワイズ・ファイティングの概念を
想定することができるのではないか。
要するに戦争をやらねばならないときは
最小限の人的・物的犠牲で
国益や国家戦略が満たされるような戦い方を
賢く選んでやるべし、という話。
私の提唱した概念であります。
ちなみにワイズ・ファイティングの極意は
戦わずして国益や国家戦略が満たされること。
ただしこれは
いわゆる「不戦」や「非戦」とは異なります。
何があろうと、とにかく戦わないというのではありませんからね。
賢く効率的な戦い方をきわめたあげく
戦わなくとも勝てる域に達したということです。
ついでにワイズ・ファイティングの概念は
いわゆる「昭和の戦争」、
とくに太平洋戦争を反省するうえでもきわめて有効。
ご存じの通り、
かのインパール作戦をはじめとして
太平洋戦争におけるわが国の戦い方には
最小限の犠牲で国益や国家戦略を満たすどころか、
国益や国家戦略の追求は表向きで
人命をとことん浪費することが真のテーマだったのではないか?
と疑いたくなる事例が
遺憾ながら多々見られる。
政治学者の坂本多加雄さんも指摘したとおり
戦没者のかなりの部分は
じつは戦死ではなく、
病死や餓死、
あるいは輸送船が沈められたことによる水死だったんですからね。
連合軍側にしてみれば
何か知らんが、あいつら勝手に死んでゆくぞ
と言いたくなるところがあったのでは。
さしずめモロニック(バカ丸出し)・ファイティング。
すなわち、あの戦争を反省するというのであれば
大義の有無だの日本の加害者性だのを云々する前に
どうにも愚かで非効率的な戦い方をしてしまったことを
深く恥じるべきでしょう。
ついでに押さえるべきは
どんな大義があったとしても
戦い方がモロニック・ファイティングでは話にならないし、
逆にモロニック・ファイティングでボロ負けしたからといって
大義がなかったことの証明にはならない、という点。
ところが、であります。
私の知るかぎり
わが国では右も左も
こういう形の反省をまるでしようとしない!!
まず左は
モロニック・ファイティングでボロ負けしたことをもって
わが国に大義がなかったことの証拠と見なす。
ついでにワイズ・ファイティングなどありえないと思っているのか
何があろうと、とにかく戦争はダメ!
安全保障について考えるだけでもダメ!!
という、
ヒステリックな絶対平和主義に走りがち。
他方、右は
わが国にも相応の大義があったことをもって
モロニック・ファイティングでボロ負けしたことを正当化しようとする。
当然、ワイズ・ファイティングの必要性など認識できませんから
特攻隊の若者は崇高だった!
ついでに降伏して占領されようが、じつは戦争に勝っていたのだ!!
という、
ヒステリックな負け惜しみ的お国自慢に走りがち。
両者が対極にあるように見えて
同じメダルの裏表にすぎないことは
もはや明らかでしょう。
だ・か・ら、
『右の売国、左の亡国』と言うのですよ!
そしてヒステリックで論理性を欠いた精神の持ち主が
追い詰められるとどうなるか?
そうです。
炎上するのです!!
そしてそのことで、自爆・自滅の道をたどる。
話にも何もなりゃしない。
昨日、わが国は
敗戦(玉音放送)から72年となりましたが
1)昭和の戦争をモロニック・ファイティングの観点から徹底的に反省したうえで
2)安全保障、および国家戦略の必要性をストレートに認め、
3)ワイズ・ファイティングの追求による「不戦勝」「非戦勝」を国の目標とする
という形の総括が
そろそろなされてもいいのではないでしょうか。
これなら従来の
不戦の誓いや平和主義とつながる形で
安全保障をめぐる方針転換ができますからね。
戦っても負けたら何の意味もなく、
戦わなくても勝てるのならそれに越したことはない。
ただし、戦わずして負けるしかないところまで追い込まれるのはサイテーだ。
この発想で行こうじゃないですか。
ではでは♬(^_^)♬
(↓)エドマンド・バークも、この革命はヒステリックで非論理的だと指摘しています。
7 comments
Daniel says:
8月 16, 2017
ワイズファイティング、大賛成です。
しかし、考えてみると、かつての陸軍中野学校ってそういうのを考え、且つ、実践する官製の総合機関だったんでしょうね。発足の時期がどうにも微妙で、いよいよ教育が深化して力を十全に発揮する前に大戦を迎えてしまったのが大変遺憾ですが。
少し調べてみるまでは、凄腕の旧諜報機関、という漠然としたイメージしかなかったのですが、諜報のみならず、国家間の広報戦、経済戦、謀略、ゲリラ戦術など、表から裏から、ありとあらゆる「ワイズファイティング」を扱っていたと知って、再軍備より、こっちの方が重要ではないかと思ったくらいです。
かつては陸軍が母体となってそういうことを総合的にやっていたというのが、我が国っぽくていいなと思う(いずれにせよ、或程度の秘密資金が扱えなければなりません)のですが、我が国の「経路依存性」を考えるのならば、これからの世も、その路線の洗練化、発展継承型でいいのかもしれません。
先の大戦の反省も踏まえた上で、早く、そういうことが、大学だとか、報道だとか、教育などの平場ででも論じ合え、また、そうした言論が主流の一つになるように、我が国もなれればいいですね。そうでない限り、真の意味で、モロニック・ファイティングの阻止も、中野学校の復活も遠い話でしょう。
ちょっとピリッと来ました。私のような戦後世代が「戦争を反省する」って、こういうことではないかなと。
さて、以下二つのURLは、面白かったので、ご紹介です。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52439
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/06/post-5300.php
GUY FAWKES says:
8月 16, 2017
>連合軍側にしてみれば何か知らんが、あいつら勝手に死んでゆくぞと言いたくなるところがあったのでは。さしずめモロニック(バカ丸出し)・ファイティング。
72年前の正午に玉音放送が流された日のちょうど半日後にこの言い喩えは大変な不謹慎を承知で申し上げれば
流石に吹き出します、早い話が草(w)不可避というヤツ。
>すなわち、あの戦争を反省するというのであれば大義の有無だの日本の加害者性だのを云々する前に
どうにも愚かで非効率的な戦い方をしてしまったことを深く恥じるべきでしょう。
>特攻隊の若者は崇高だった!ついでに降伏して占領されようが、じつは戦争に勝っていたのだ!!
普段から「アメリカの洗脳ガー、WGIPガー」と仰る方々は「じゃあ、そんな存在に負けた自分らってなんなの?」とは
梃子でも露ほどにもお考えに至りませんね、なんで現実主義を謳う保守が気色悪いポエムに耽美してるんですか!?
「歳食った俺らは必然的に賢者(ワイズマン…wiseman)、若者は借金してでも必死に苦労しな。本当に死んじゃうけどねww」
よし、ブラック企業経営者の方々には『牟田口ルドレン』の名誉勲章を贈呈しましょう。
玉田泰 says:
8月 17, 2017
以前、日本人が西洋人と決闘して「やあやあ、我こそは…」と名乗りを上げているうちに、あっさり打ち殺されてしまったと、聞いたことがあります。
日本人は、どこか暴力すらも、武士道のように、文化に取り入れてしまうのではないでしょうか。そんな日本人が、徹底して合理的に戦う西欧人と戦争して、勝てる訳がなかったと思います。日本はあの戦争で、文化的にも敗北したのかもしれませんね。
それで、興味深かったのが、この記事に先生が書かれた、ワイズ・ファイティングの極意が、戦わずして勝つという武士道の極意と通じているところ。
日本人は今こそ、ワイズ・ファイティングに学び、文化的洗練を(もう一段、高める形で)取り戻すべきなのでは?
Daniel says:
8月 18, 2017
合理的に言えば、
>何か知らんが、あいつら勝手に死んでゆくぞ
という現象の原因は、アメリカの飛び石作戦と、アメリカが日本の船舶暗号を解読して、常に日本の輸送船団を予め出現海域に待ち伏せしていたからでしょう。
日本軍は結局、遂に敵のこの基本戦術に追い付くことができませんでした。この差はどこから生じたか。よく、アメリカは物量作戦だったから日本は負けた、という評がありますが、しかし単に、物量作戦とは、物資の量だけではない。実は、頭脳も大量に動員して、日本やドイツに勝ったのです。
私がアメリカに行ってた時に、彼の国の国力の源泉の一つを知って、慄然としたことがあります。それは、アメリカが、頭脳に対して、人も金も、出し惜しみをしないことです。例えば、各種シンポジウムやフォーラムにパネリストになっているのは、Ph.Dを持っている人ばかり。日本のように、学士しか持っていない人は、全く出る幕がありません。修士号(のみ)取得者ですら、誠に肩身が狭い。「知」に対する扱いが、日本とまるで違うのです。(日本では、ドクターなんて、役立たずの代名詞ですよね)
勿論、アメリカにも、ドクター(医者(medecal doctor)のことではないですよ)に対する揶揄はあります。理由も日本と同じ。曰く、社会性(sociality)がない。しかしそれでも、ドクター、特に有名大学のその保持者は、別格の扱いです。アメリカの学歴社会っぷりは、はっきり言って、日本のそれを圧倒的に凌ぎます。
そういう連中が、大戦中も、束になって日本にかかってきたのです。暗号も解読する、戦術も戦略も立てる、占領政策まで考える、WGIPも立案する、ドナルド・キーンも活用する。日本にも頭脳派は決して少なくありませんが、そこまでの圧倒的頭脳集約に、抗し得るはずもありません。
そういうわけだから、アメリカの頭脳集団は、確かに一人当りの頭脳的効果は決して高くありませんが、その総数的総合力において、他国を圧倒したのです。例えば、CIAは、決して効率の良い諜報機関ではない。けれども、その圧倒的な投資量において、アメリカの覇権を維持し得ているのです。
それに引き換え、日本はどうでしょう。日本の宿痾は、精鋭部隊が、常に少数精鋭主義なところです。例えば、日本海軍軍令部は、海軍のエリートの粋を集めた部署ですが、その人数は驚くほど少数。一課に数人しかいなかったのです。この少人数で、よくも世界的大国たるアメリカに戦争を仕掛け、しかも遂行したなと、後世の私が物凄く不安に陥るくらいです。
でも驚くなかれ、これは、戦後の日本にも牢固として受け継がれ、現代の日本の官僚組織にも、民間企業にも、常に、連綿として続いているのです。皆さんも経験がありませんか。現場の全く与り知らぬところで、社の運命を変えかねない事案が、極く極く少数の企画陣によって、安々と決められ、しかもそれが失敗しても、誰も責任を取らないという不思議な事件が。
その少数精鋭陣も、ある意味では可哀相です。自分の能力以上のことを求められているからです。日本では、手を動かさない人間は、評価されません。だから、頭脳で勝負する人間は、必然的に極小にならざるを得ないのです。
私は、現在の北朝鮮を、天晴れだと大きく評価しています。それは彼の国が、先進国、とは言えないまでも、OECD加盟国たる韓国を、国際社会の誰もが、韓国がやがて西ドイツのように半島の統一を果すと目していたのにも関わらず、遂に謀略だけで陥落させたからです。これは並大抵のことではない。
だから、私は、北朝鮮が、韓国に侵攻するとは、とても思えません。既に自分の手中にあるものを、どうして毀損する必要がありましょうか。ただ後は、熟柿が落ちたのを喰らうだけです。あり得るのは、北が、韓国を駒として使いこなす(現にそうしてますが)ことです。
いずれにせよ、頭脳をフル回転させれば、北朝鮮のような国でも、ここまで出来るのです。現に、アメリカや中国でさえも、北にきりきり舞いさせられているではありませんか。
日本は、つまらない嫉妬心はやめて、非効率も承知で、もっともっと頭脳の活用をすべきです。そうしないと、またこっぴどく負けるのではないかと思います。
でもこれは、飽くまで私の論です。反論があれば、ぜひ先生でもいいので、仰って下さい。私の詰まらない名誉よりも、日本が勝つ方が大事ですから。
レギーム作 says:
8月 18, 2017
いつも楽しく、ひっそりと拝見してます。私は、特攻隊に尊敬の念を抱く者ですが、
「特攻隊の若者は崇高だった」で始まり、「しかし、そうならないに越したことはない」と続けば、
そこから、ワイズ・ファイティングの必要性に、気づくことができると思うのですがねぇ。
SATOKENJI says:
8月 18, 2017
本人の希望により、コメントを一部編集しました。ご了承下さい。
せい says:
8月 20, 2017
戦わずに勝つのが最良、とは孫子だったか孔明が兵法の極意でいってましたね。
渡邉哲也さんが、色々とこの手の事に通じているかと思います(笑)