おなじみ平松禎史さんが、
先週、ツイッターで興味深い指摘をしました。
いわく。
与野党が「オール自民党」な状況で
あたかも党による理念対立があるように見せかけるのは
建設的な政治を阻害するんじゃないかしら。
違いがほとんどないから権力の潰し合いにしかならない。
違いがほとんどない。
というのは財政均衡主義とグローバリズムに
「否!」(懐疑的・抑制的・慎重であるべき)
と主張している党があるだろうか?
ということですな。
これは重要なポイントです。
というのも、わが国の野党
ないし左翼・リベラルは
伝統的に緊縮財政志向なのです!
この伝統はいつから始まったか?
なんと、明治時代。
ご存知の通り、
当時のわが国は政府主導のもと
富国強兵をスローガンに
産業化・近代化を推進しました。
これは当然、財政出動を伴います。
というわけで野党
(このころは「民党」と呼ばれました)は
今でいう「小さな政府」論の立場を取るんですね。
財政出動は重税につながり、国民生活が圧迫される!
ここでいう「税」は
主として地租を指したようですが
こうして生まれたスローガンが
民力休養・政費節減。
政府が緊縮財政路線を取ったほうが
国民生活はラクになるという発想です。
そして歴史学者の坂野潤治さんに言わせれば
このスローガンが大受けしたせいで
緊縮財政志向が野党の習い性になってしまう。
山口二郎さんとの対談本
「歴史を繰り返すな」(岩波書店)から
関連した発言をご紹介しましょう。
(政費節減論が支持されたせいで)
その後も、一貫してリベラルから左翼は
小さな政府論になったんじゃないかと。
民政党の井上準之助が超デフレ政策を打つと支持されるし、
逆に、高橋是清以後のインフレ政策を左翼はあまり支持しない。
しかも戦後はこれが
反戦平和志向と結びつく。
戦争しているときは、財政赤字も何もないからです。
財政をケチったせいで、負けたら元も子もないでしょうに。
かくして
政府が緊縮財政を取るほうが
平和も維持されるし、国民生活もラクという図式ができあがる。
財政均衡主義に「否!」と言わないのも当然ではありませんか。
平松さんが指摘した問題には
なかなか根の深い経緯がひそんでいるのです。
ではでは♬(^_^)♬
1 comment
Daniel says:
1月 15, 2016
いや、これは別に、明治時代に始まったことではないと思うのですよ。
少なくとも、その前の江戸時代から既に始まっています。
享保の改革(by 徳川吉宗)も、寛政の改革(by 松平定信)も、天保の改革(by 水野忠邦)も、完全なデフレ政策(吉宗の貨幣改鋳(金融緩和政策)を除く)でした。
しかも、いまだ後世の我々は、それらを、あたかも素晴しかったもののように扱い、それらが失敗したのは、我々(祖先)の金銭を愛する品性が下劣であった故であるかのように教わり、例えば、寛政の改革が否定した田沼意次の政治を「汚職の政治」であったかのように、学理を完全に超えて、今も教科書ですら喧伝しています。
儒教的伝統なのかそれ以上のものなのか、どうしても「金銭」にまつわる(例えば「積極財政」というような)積極的な政治を「不浄」のものとして扱う如何ともしがたい感性を、我々は今なお有しているようなのです。
確かに、新年の民主党代表岡田氏の発言は私も拝見、拝聴しました。そしてそれが如何に底の浅い経済観に基づいて発せられたか、骨身に沁みました。彼ら(のほとんど)は、政権担当時代、遂に何も学ぶことはなかったのです。
でもそれが、日本人の根底にある感性に根付くものならば、そしてそれを奉じて選挙で政権を奪取した経緯があるのならば(民主党のみならず、嘗ての民政党も)、どうしてそれを責められましょう。この我々の骨絡みの感性を見抜き、その処方箋を編み出し、且つ、それを克服・実践・定着するだけの力量を生み出す土壌を我ら国民が持たねば、決して次の選択肢はないと思うのです。
その段で言えば、はっきり言って戦後現在、日本の権力中枢は、財務省(旧大蔵省)です。政治、政治と言いますが、短期的に城を陥とすんならば、こここそが本丸です。三橋貴明さんも、「政治家にインプット」する暇があるんならば、ここをこそ標的にして狙って陥落させねばと思います。
とはいえ、財務省も、そのバックにあるのは、最前申した、「国民の(暗い)意識」です。本当にこれは、どうしたら良いのか、ちゃんと方法論を研究し確立せねばと思います。