「表現者」の最新号(63号)が
MXエンターテインメントより、本日発売されます。
私の連載「一言一会」、
今回のテーマは「道に迷った〈偉大なる行進〉」。
交通事故に遭う直前に執筆、
病院の集中治療室でゲラをチェックした(ホント)という
たぶん後にも先にもないであろう一編です。
タイトルの「偉大なる行進」とは
チェコ出身の作家ミラン・クンデラが、
傑作小説「存在の耐えられない軽さ」で提起した概念。
簡単に要約すると、
友愛、平等、正義、幸福といったものが支配する理想世界に向けて
人類が着々と進めている(はずの)歩みのことです。
つまりは進歩(主義)を分かりやすくイメージ化したものですね。
そしてこの概念を信奉する者は、
政治的イデオロギーのいかんによらず、左翼と規定されます。
クンデラいわく。
労働者の独裁をめざすか、民主主義をめざすか?
消費社会を拒絶するか、生産性向上に血道をあげるか?
ギロチンを導入するか、死刑を廃止するか?
それらはすべて、どうでもいいことだ。
どんな理想社会のビジョンを掲げるかによって、人は左翼になるのではない。
自分の掲げる理想に向けて、
世界が「偉大なる行進」を続けていると信じられる者が左翼なのである。
ならば当然、
わが国の現政権も左翼です。
「一億総活躍」をめざすなど、偉大なる行進でなくて何でありましょうか。
・・・しかし。
私に言わせれば
21世紀の「偉大なる行進」は
すでに向かうべきゴールを失っている。
にもかかわらず、
行進それ自体は続いているというのが
世界の現状だと思うのです。
その先には何があるのか?
あるいは、何もないのか?
「道に迷った〈偉大なる行進〉」、
ぜひご覧ください。
・・・ちなみに。
この評論でも「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を取り上げたものの
集中治療室でゲラを読み返して、何とも複雑な心境になりました。
あの映画は間違いなく傑作だと思いますが
まさか自分が車がらみで重傷を負うことになるとは。
事実は映画より奇なり、であります。
ではでは♬(^_^)♬
7 comments
マゼラン星人二代目 says:
10月 16, 2015
>世界が「偉大なる行進」を続けていると信じられる者が左翼なのである。
「いま、ここ」が「偉大なる行進」の終着点だ、という立場もあり得ると思いますが、そういうのもやはり左翼でしょうか。
SATOKENJI says:
10月 16, 2015
自己満足に陥った左翼、というあたりでどうでしょう。
平松禎史 says:
10月 16, 2015
「偉大なる行進」
マルクスの唯物史観、発展段階説ですね。
これによれば共産党が言うように「天皇制」などは遅れた制度であって文明の発展とともに消え去るはずだ、となる。
ところが封建(フューダリズム)も含めて段階の過程なのか地域に特有の文化なのかは、見方によるのだろうと思います。
日本の文化、という見方からすれば段階的に目的へ行進していくもの、という見方は相容れないでしょう。
佐藤法道 says:
10月 16, 2015
おはようございます。
「これが絶対正しい」とすることが左翼なら、「これは完璧な方法ではないが、この方法をとるしかない」とすることが保守でしょうか?
話が変わりますが、佐藤さんが二十代の頃熱中していた事は何ですか? 僕は十九歳で無趣味なのですが
SATOKENJI says:
10月 16, 2015
「これは完璧な方法ではないが、今のところはこの方法以上のものがない。
だから、この方法にひそむ問題点も自覚すべきだし、弊害が強まってきたときに取るべき、第二、第三の方法を模索しておこう」
これで保守になるのだと思います。
二十代のころは、映画、音楽、演劇に熱中していました。
ダンスが追加されたくらいで、今とあまり変わりませんね。
佐藤法道 says:
10月 16, 2015
佐藤さん、ご返答ありがとうございます。
熊五郎 says:
10月 17, 2015
…するとキリスト教(少なくともカトリック、正教)は、保守かなぁ、と思いました。チェスタートン?なにしろキリストの教え以上になる教えはない、という考え方ですから…。