みなさん、ご存じとは思いますが

西部邁先生が

21日、逝去されました。

 

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当日、

西部先生は未明から行方不明。

家族が探していたものの、

午前6時40分、

多摩川に飛び込んだという通報がありました。

 

警官によって救出されたときには意識不明。

搬送先の病院で、死亡が確認されたとのことです。

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および、こちら。

 

ここ数年、

先生は自殺をほのめかしていましたが

ついに実行されたわけです。

 

ある意味、これは分からなくもない。

西部先生は戦後日本の生命至上主義をずっと批判していましたし、

デヴィッド・クローネンバーグが指摘するとおり、

死をコントロールする唯一の方法は自殺だからです。

 

しかし親子二代にわたって

ご縁があった身としては

何とも寂しい。

 

謹んでお悔やみ申し上げるとともに

ご冥福を祈念いたします。

 

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ちなみに先生、

「表現者 criterion」の発刊直前に逝去される形になりましたが

これは1953年に起きた

ある劇作家の死を思い起こさせるものがある。

 

加藤道夫さんです。

 

加藤さんは敗戦直後の1946年、

「竹取物語」をモチーフにした戯曲「なよたけ」でデビュー。

以後、

「挿話(エピソオド)」

「思い出を売る男」

「襤褸と宝石」

などを発表します。

 

同時に左翼イデオロギーやら啓蒙主義やらに染まった

当時の演劇界のあり方を痛烈に批判。

慶応高校の英語の教師でもありました。

 

加藤さんの主張は

演劇界ではなかなか受け入れられませんでしたが、

やがて彼を慕う若者が

周りに集まってくる。

 

その中にいたのが

浅利慶太さん、

日下武史さんといった、

のちの劇団四季創立メンバーたち。

ちなみに浅利さんと日下さんは、ともに慶応高校にいました。

 

そうです。

加藤道夫さんこそ、劇団四季の生みの親ともいうべき人なのです。

 

しかし加藤さん、

四季の旗揚げ公演

「アルデールまたは聖女」(1954年1月)の直前、

1953年12月22日に

35歳の若さで自殺してしまう。

 

最後に書いた原稿は

「アルデールまたは聖女」のパンフレットに載せるための

推薦文だったと言われます。

 

加藤さんの自殺の動機は

本当のところ分からないようなのですが

弟子たちの旗揚げ公演の直前に世を去った彼の姿は

弟子たちの雑誌発刊の直前に世を去った西部先生と

どうしても重なってしまう。

 

さらに。

浅利慶太さんは

四季創立10周年にあたる1963年(※)、

「みつけた四季」という文章で

こう記しました。

(※)創立は旗揚げの前年、1953年7月14日なのです。

 

加藤道夫氏が日本の新劇界で果した最大の仕事は、

その覚醒(注:イデオロギーを捨てて演劇本来の姿に戻ること)の必要を

もっとも純粋に叫び続けたことにある。

しかし加藤氏はその運動を

きわめて絶望的なものと感じられていたようである。

 

当時の専門人(注:プロの演劇人)の間で、

加藤氏は孤独な芸術家だった。

氏の呼びかけが現実において

無力なものでしかなかったと知ったとき、

氏の孤独はますます深まり、

氏の言葉には一種の呪いに似た響きがこめられるようになったのを、

私たちははっきり耳にした。

 

覚醒を求める呼びかけが、

それを必要とする人たちには届かず、

私たち青年の胸にのみ鳴り響いたということに

氏の不幸の全てがある。

 

「演劇の覚醒」を

「戦後からの覚醒」に置き換えれば

これは西部先生の人生をも

みごとに要約した言葉になるでしょう。

 

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「みつけた四季」の中で

浅利さんは

劇団結成から十年を経て、「四季」の本質を見出し

それを身につけることができた気がする

と述べました。

 

だから「みつけた四季」というわけですが

それから半世紀あまりを経た

現在の劇団四季は

浅利さんがめざしていたものとは

かなり違った存在になっていることも否定できない。

 

浅利さん自身、

数年前に四季を離れてしまったくらいです。

 

四季は本当に見つかったのか?

ならば、なぜ見失われたのか?

 

・・・こう問いたくなってしまうところですが

 保守思想における加藤道夫とも呼ぶべき西部先生の

薫陶を受けたわれわれにとって

これは他人事ではありません。

 

かつて浅利さんたちがそうしたように

われわれもまた

みずからの四季を見つけようと

努力しなければならないのです。

 

見つかるかどうかは分かりません。

見つけても、また見失われるかも知れません。

 

しかし探索をやめないことこそ

西部先生への最大の供養になることは間違いないでしょう。

 

われわれは探索をやめない

そして、すべての探索の目的は

出発点へとたどりついて

その場所を初めて知ることなのだ

──T・S・エリオット「四つの四重奏」

 

あらためて、ご冥福をお祈りいたします。

 

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