コメントへのお返事、
本日は kanata さんに。
そう長くないので、全文をご紹介しましょう。
言葉を正しく使用するということが、本当にそれほど優先順位が高いのでしょうか?
僕は、いま日本にとってやらねばならぬことを一歩でも前に進めることのほうが重要であると思います。
確かに安倍政権は迷走ぶりが顕著になっていますが、この日本は、やりたいことが自由にできるという状況にはありません。
アメリカの監視のもと、敵対するマスコミを受け流し、中韓と繋がる野党勢力と対峙しながら、政策を進めざるを得ないのです。
言葉の乱れは野党勢力の格好の攻撃対象にもなります。
それを保守言論人が攻撃することに、ためらいがあるのではないでしょうか。
Kanataさん。
言葉を正しく使うことは、何よりも優先順位が高いのです。
状況が厳しければ厳しいほどそうです。
なぜか。
言葉が正しく使えていないというのは、
自分が何をやっているか、的確に把握できていないということなのです。
そんな政権が、
「日本にとってやらねばならぬこと」を着実に進めてゆけるでしょうか?
あなた自身、
言葉の乱れは野党勢力の格好の攻撃対象にもなります。
と書いているでしょうに。
で、言葉を正しく使用することの優先順位は低くても良いのですか?
野党勢力だけではありませんよ。
外国勢力だって
「この政権は自分の行動をちゃんと把握できていないようだから、つけ込みやすいぞ」
と(正しく)判断するでしょう。
保守系言論人が見て見ぬふりをすればすむ問題ではないと思いますが、
いかがでしょうか?
謎の中国系アメリカ人、黎夢諾の言葉を
抜粋して再度、ご紹介しましょう。
日本の保守派などチョロイもの。
安倍がレーム・ダックになったとしても、
「新たな攻勢に出るための過渡期なのだ」とか
「あれはアヒルではない、白鳥なのだ」とか
楽しい理屈をこねて擁護するだろう。
いいか、びっこのアヒル(レーム・ダック)のように歩き
びっこのアヒルのように鳴く生き物がいたら、
それは要するにびっこのアヒルだ!
言葉はなぜ大事か。
びっこのアヒルが目の前にいるのに、
なぜか白鳥に見えてしまう、
そんな事態を予防するためなのです。
ではでは♬(^_^)♬
15 comments
akkatomo says:
8月 2, 2014
古人に曰く、敵を知り己を知らば百戦危うからず。翻って言葉をいい加減に使う輩は
敵を知りえず己を知りえずして百戦して百戦敗れる、でございますね
凡そ状況認識がまともに出来ない輩が勝つなんてことは
特に状況が厳しい時には非常に稀なことです
それでも戦えば勝つと仰られる人は、正に賭博で借金を取り戻そうとする輩です
taiseiyou says:
8月 2, 2014
言葉は大事です。
佐藤さんの仰ることはその通りだと思います。
安倍政権が醜く迷走しているのもその通りです。
が、しかし安倍さん本人の意思とは別に、従属国日本の総理という立場が、如何に手足を縛られているのか否か、我々の知る由もない世界です。
何故中川昭一さんは死ななければならなかったのでしょうか。
どこの世界もその内情も知らず、一方的に外野からすべてを決めつけて批判するのは愚者の証拠です。
もし安倍晋三がATフィールドに守られていたなら、我々が納得出来る政策を実現できたかもしれません。
私自身は安倍政権に対してこれからも是々非々で見て行きます。
ただ残念ながら是々非々非々非々なんでよすね。
プー太郎 says:
8月 2, 2014
そのうち、「いや、安倍さんはあえてああいう言葉遣いで、敵を撹乱しているんだ!」
なんて陰謀論が出てきそう。
kobuna says:
8月 2, 2014
>言葉を正しく使うことは、何よりも優先順位が高いのです。
そんな事もないはずですよ。
あなたには言葉では表現しきれないほど難しい事まで考える習慣が無く、それでその様に思っているのではありませんか?
そもそも、政治家の場合には口にしてはいけない本音だってあります。
例えば、
「公明党はいずれぶっ潰す」
こんな本音を安易に口にするような総理大臣では「日本にとってやらねばならぬこと」を着実に進めていけないでしょう。
「言葉」に拘りすぎる人達が愚かなのではないでしょうか。
普通の人は「察する」という事もする。
しばしばそれが全く出来ない人達が他人の「言葉」に文句を言っていて、そういう人達に一番問題がありそうだと私は思っています。
SATOKENJI says:
8月 2, 2014
「日本経済の悪魔を倒す」は、口にしても良かったのですね。
勉強になりました。
kobuna says:
8月 2, 2014
>「日本経済の悪魔を倒す」は、口にしても良かったのですね。
これは別に口にしてもいい言葉だったのではありませんか。
僅かな人達が過剰に反応して騒いでいるだけ、というのが私の認識ですが、間違っていましたっけ?
村田 says:
8月 2, 2014
このKOBUNAという人は三橋貴明の「新」日本経済新聞でも、他の保守系ブログでも何度論駁されも論点をすり替え、「バカだ」「~の広告塔だ」のようなくだらないレッテル貼りで粘着し続けて、無視されるようになっている方です。橋下徹氏などを擁護し、国家や公共事業が大嫌いなようですよ。まともな日本語や真心が通じる相手ではなく、時間の無駄になるので相手にしなくてよろしいかと思います。残念ながらこういう人は一定数(特にネットでは)いますから・・・
かえる法師 says:
8月 2, 2014
言葉を正しく使うことは、なによりも優先順位が高いはずです。
少なくとも、政治家、評論家、学者等の言葉で人を動かす職であるならば、言葉の
使い方は正しくあることを求められるでしょう。
政治家であれば、政策を「語」り、学者であれば論文を「執筆」し、それによって、人に影響を与えること事態が実践であるはずです。言葉によってよって評価されるのが当然であるのです。
外科医はその技術で人の病を治します。職人は作品にて評価されます。私は児童福祉の職に就いておりますので、児童の福祉にいかに貢献したかが問われます(児童の福祉はと何かについては別途議論が必要ですが、ここでは立ち入りません)。これらが我々の実践です。政治家の発言、語りは、我々に影響を与えます。それが政治家の実践です。政治家の発言一つで、学者の論文によって、医療の在り方、工学・建築の在り方、福祉の在り方を変えることができてしまうのです。そう考えるならば、言葉には慎重であるはずです。
「言葉では表現しきれないほど難しい事」に対してならば少なくとも言葉を選ぶはずです。いい加減な手術をする外科医を信用する者はいないでしょう。
最後に…
「言葉と行動」から人は人を察します。それ以外に察しようがないからです。言行が一致しているならば、ある程度は判断できるかもしれません。言行が不一致であるならば、「言」がその人の本性であるかもしれないし、「行」がその人の本性であるかもしれません。また、本性等元々人間には本性等ないかもしれませんし、その人の内部が引き裂かれているかもしれません。人を察するのは難しいです。そうであるならば、少なくとも政治家においては「言」が問われても致し方ないのではないでしょうか?政治家においては「言」こそが「行」なのではないでしょうか?
かえる法師 says:
8月 2, 2014
「影響を与えること事態」を「影響を与えること自体」に訂正致します。
かえる法師 says:
8月 2, 2014
「本性等元々人間には本性等ないかもしれません」を
「元々人間には本性等ないかもしれません」に訂正致します。
掲示板汚し失礼致しました。
プー太郎 says:
8月 2, 2014
人の思考においても言葉は非常に重要だと思いますよ。
だから、佐藤さんもおっしゃっているように、言葉を正しく使わないと、自分が何やっているのか把握できなくなる、と思います。
あなたは考え事するときに、頭の中で言葉を使わないのですか?
難しいことを考えるためには、なおさら言葉を正確に使う必要があるのではないでしょうか。
それに、あなたは「公明党はいずれぶっ潰す」なんていう例を出していますが、
かつて「自民党をぶっ壊す」といって総理になった人が安倍さんの政治の師匠ですけど。。。
確かに、政治家には言いたくても言えないことはあると思います。
それをいろんなニュアンスで表現し、国民がその真意を「察する」必要があるのも認めます。
だからといって、その政治家が言葉をいい加減に使っていいということではありません。
指摘されている安倍さんの言葉遣いは、いずれも明確に論理的な破綻をきたしているものです。
あなたは、安倍さんのあれらの発言からどのようなことを「察し」たのですか?
ぜひ教えて下さい。
くらえもん says:
8月 2, 2014
別に政治家たるもの本音を言う必要はない。
本音とは違うことを口にすることもあるでしょう。
しかし、口に出した言葉には責任を持たなければならない。
たとえ、本音が言えないような状況であろうが、
自分のやるべきことを的確に把握しているのなら
まっとうな言葉遣いとなるはず。
だが、安倍総理の場合は
使わなくてよい言葉を使い
使わなくてよい表現を使い
つじつまの合わない表現を使っている。
これらの言葉を仕方なく使わざるを得ないという状況は論理的には説明できない。
とすると、やはり分かってないんでしょうね。
john doe says:
8月 2, 2014
カタカナ英語、和製英語で原義とは著しく乖離した使われ方をしている言葉を
見ると非常に驚くことがあります。翻訳された文章でも原本に当たってみると
全然違うことが書いてあったりして、驚くこともあります。
同じ言語を用いた伝言ゲームですら、伝達する人間が多くなると最初の言葉とは著しく乖離していたなどというのはよくあることです。そこに外国語が入ろうものなら、もう言葉や文章としての意味をなくしてしまうでしょう。
Cliché says:
8月 2, 2014
佐藤さんに同感です。
そもそも自分が一体何をしていてこれから何をしようとしているのかということを自分の言葉で明確に説明できないような人間なぞ政界はおろかどこへ行こうともよくて厄介者扱いされるのが関の山だと思いますが。
言うなれば精神分裂病の患者に車のハンドル握らせてるようなものですかね。
あと佐藤さんはここでは触れていませんが、あらかたの国民が考える「日本にとってやらねばならぬこと」と現首相が考えている「日本にとってやらねばならぬこと」は実のところ全くの別物でしかなかったのかもしれないという可能性にもそろそろ考慮する段階にきているのかもしれませんね。
kanata says:
8月 3, 2014
「言葉が大事ではない」などと考える人はいないでしょう。しかしながら「言葉を正しく使うことは、何よりも優先順位が高い」とは僕には思えません。それは「何をなしたか」よりも「何を言ったか」の方が重要であるように聞こえます。日・米・中韓のいずれにも良い政策はありません。中韓は軽視できても、米はできません。その米の指令が「中韓とうまくやれ」なのです。自民党内も、親米・媚中派に比して、日本派は少数です。状況は単純ではない。白鳥がびっこのアヒルを演じることもあるのではないですか?安倍総理が絶対そうだとは言いませんが…。