何かを見る、というのは
ただ目を開いていればできるわけではありません。
スタンリー・キューブリック監督の
遺作となった映画のタイトル
「アイズ・ワイド・シャット(目を大きく開いたまま閉じる)」
ではありませんが、
人間、
自分に理解できないこと、
あるいは理解したくないことについては
目の前に突きつけられても見えないのであります。
その意味で「見える」とは
自己欺瞞や認知的不協和、
あるいは思考停止とも密接に関わっている。
キューブリックと言えば
自己欺瞞から自滅してゆく人間(ないし社会)を
完璧な映像美のもと、
辛辣に突き放して描くのを得意とした人ですから
最後に「アイズ・ワイド・シャット」という映画をつくったのは
必然のなりゆきと言えるでしょう。
ちなみに英語でも
I SEE は「分かった」という意味で、
YOU SEE? は「分かるだろう?」という意味。
平松禎史さんの大好きなアルフレッド・ヒッチコック監督は
このフレーズに深いこだわりがあったようで
「鳥」(※)のときなど、
シナリオの台詞のあちこちに
「I SEE」「YOU SEE?」を追加したと言われます。
全部で40回以上出てくるとか。
(※)「サイコ」ではなかったので訂正します。
ある人間の本質を知りたければ
何を見たがらないか、
さらには何が見えないかをさぐるべし。
そう言っても過言ではないかも知れません。
というわけで、
8月16日に発売された「表現者」74号の
わが連載「一言一会」のテーマはこれです。
米兵が見えなかった女。
・・・って、誰のことだ?
答は二つあります。
まずは漫画『この世界の片隅に』のヒロイン、
北條すず。
つづいて同作品の作者、
こうの史代さん。
『この世界の片隅に』には、
すずの前に米兵が立っているにもかかわらず
すずの主観はもとより
客観描写、つまりこうの史代さんの視点においてすら
当の米兵が(事実上)見えない、
という驚くべき場面が存在します。
まさにアイズ・ワイド・シャット!
なお片渕須直監督のアニメ映画版では
私の記憶するかぎり
この場面はそもそも盛り込まれていませんでした。
・・・しかしなぜ、
北條すず+こうの史代さんはアイズ・ワイド・シャットになったのか?
ここで注目されるのは
問題の場面に元ネタが存在すること。
長谷川町子さんの自伝「サザエさん うちあけ話」です。
ずいぶん前(1979年)ですが
NHKが「マー姉ちゃん」という題で朝ドラにしたことでも知られる作品。
「この世界の片隅に」には、
長谷川さんの本を元ネタにしたとおぼしいエピソードが二つあります。
巻末の参考文献リストにも
「サザエさん うちあけ話」が挙げられているくらいですからね。
米兵とのエピソードはその一つ。
けれどもお立ち会い。
「サザエさん うちあけ話」において、
長谷川町子さんはアイズ・ワイド・シャットになっていないのです!
つまり米兵がしっかり見えている。
にもかかわらず、
北條すず+こうの史代さんがアイズ・ワイド・シャットになったのはなぜか?
これを分析するのが今回のポイント。
みなさん、ぜひご覧下さい。
・・・ちなみに。
現在の日本が「右の売国、左の亡国」状態になっているのも
保守と左翼の両方が
さまざまな点についてアイズ・ワイド・シャット状態に陥っているせい。
とはいえアイズ・ワイド・シャット状態では
早晩、現実に対応できなくなる。
しかし主観的には「目を開いている(=現実を直視している)」つもりなので
なぜ現実に対応できないのかを理解することができない。
かくして何が始まるか?
そうです、炎上です!!
これによって、ほとんどの場合
アイズ・ワイド・シャットな連中は自滅するのですが
時々、まかり間違って
そういう手合いが国家権力を掌握したりすることもある。
すると何が起きるか?
そうです。
革命と称する支離滅裂なヒステリーです!!
見るものをちゃんと見ていれば
この世のすべてはつながっているのですよ。
ではでは♬(^_^)♬
25 comments
tanza says:
8月 19, 2017
下記リンクの記事を読んだ時は気がつかなかったが、日本国民の大多数は、まさに”アイズ・ワイド・シャット状態”なんだと、よくわかりました。
■なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか?知ってはいけないウラの掟
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52466
KATO says:
8月 19, 2017
こんなの裏でも掟でもなんでもないじゃないか?!と言うのが初読の感想でした。
流石の例えです。
KATO says:
8月 19, 2017
「人間を理解しようとするのは、人間が何を理解しようとしているかを見なければいけない」
ネタ元↓
https://www.youtube.com/watch?v=WJ6smMixzZE
所謂、日本礼賛番組や逆に日本の変な所を掘り下げて診よう♬系の番組(大分前ですが、ココが変だよニッポン人?!」ってのが在りましたね。)のいずれにも、嫌悪感というのは弱いですが、お前ら変じゃない(番組の作り手は勿論の事出演者やその同調圧力とでも呼べそうな何か)感が拭えなかったのは、恐らくはこのアイズワイドシャット状態を無意識に嗅ぎ取ったからでは無いかと、愚考する次第です。
豆腐メンタル says:
8月 19, 2017
ほうほう。。
解離性障害(ヒステリー)
意識の解離による精神障害。
つらい出来事などをきっかけに、記憶、意識、行動がバラバラになって現れる。
記憶喪失、多重人格、また突然、蒸発して後でその間の記憶がないなど。
苦境に置かれると、記憶をなくす、その場から逃げる、別の自分が現れる、
などの症状が現れる。
>別の自分が現れる
これぞ革命!
GUY FAWKES says:
8月 19, 2017
>これによって、ほとんどの場合アイズ・ワイド・シャットな連中は自滅するのですが
政治権力を奪取する、しないに関わらず(無関係な誰も何も道ずれにせず)、自滅する」とは書いていないのが悍ましいところ。
しかしながら佐藤先生、「時々、まかり間違って」と仰いますが、私的にはここ最近の日本政治は
ずっと炎上しっぱなしの絶賛延焼拡大中の様ですが…(苦笑)
ところで佐藤先生は数多くの映画・小説・詩・漫画・アニメ・音楽等の創作物全般に造詣が深いことは
今更申し上げる必要もありませんが、キューブリック監督の遺作である『アイズ・ワイド・シャット』については
どの様な評価をお持ちなのでしょうか?
浅学で若輩な私が申し上げられる感想としては、佐藤先生が『右の売国、左の亡国』の後半部に記された
「さらば、愛の行為」との接点が見出せる様な気がするのです。
SATOKENJI says:
8月 19, 2017
『未来喪失』(東洋経済新報社、2001年)でも触れましたが、傑作だと思います。
玉田泰 says:
8月 21, 2017
凡人としては、表現するにあたっての試行錯誤の連鎖から逃れられませんが、
やがては漠然とではなく、正しく間違う境地に至り(いや、分かりませんが)、
そして、そのさらに向こう側があるのなら、迷いから解放されるのかも?
などと思いました。
この記事を読んで、
こうの史代さんから、試行の作法を学び、
キューブリックに、老成を先取りした知性の重みを感じた、気がします。
カインズ says:
8月 22, 2017
表現者は、まだ読めていないのですが、私が不自然に感じたのは晴美が亡くなったシーンですね。
自分の右手と晴美の喪失についての「全責任」が自分にあると思い込むすず。「行き場のない怒り」をすずにぶつける径子。
アメリカが存在しないことで、どちらの思考の流れもねじれてしまっている。さらには、アメリカを憎むどころか第42回では二人とも「米兵さん」なんて言っている。
この漫画の描写だけだと、日本がどこと戦争をしているのかさえ判然としないように思いました。
SATOKENJI says:
8月 22, 2017
>自分の右手と晴美の喪失についての「全責任」が自分にあると思い込むすず。
>「行き場のない怒り」をすずにぶつける径子。
あれは分かるんですよ。
あの場面の両者の振るまいには、
「すずがしっかりしてさえいれば、時限爆弾があろうと、晴美が死ぬはずはなかった」という含みがある。
これが正しいのであれば
「自分たちだって、アメリカの攻撃にたいして無力なわけではない」ということになるじゃないですか。
強がりゆえの傷つけあいは、よく見られることです。
カインズ says:
8月 22, 2017
もちろん、すずが自責の念を感じることも、径子が身近にいるすずに怒りをぶつけることも分かるのですが、両者に少しも「そもそもアメリカの時限爆弾がなければ」という発想や、アメリカに対する憎しみというものが一切無かったのが気になったのです。これだと、まるで晴美が自然災害で亡くなってしまったようで。そこにきて、最後には「米兵さん」ですから。玉音放送の時に激昂していたのはなんだったのと。
SATOKENJI says:
8月 22, 2017
その先は「表現者」74号をどうぞ。
kuma says:
8月 22, 2017
いつも鋭くも楽しい論評を有難うございます。「表現者」74号大変興味深く読みました。
先日アメリカ人の知人が、「アメリカは恥ずかしいことに、先の大戦で日本の民間人を殺傷したのは、戦争に勝つためには仕方のないことだったと言い訳をしている。」と言いました。
私が驚いて「戦争に勝つため?その言い訳は日本では、戦争に勝つため、ではなく、戦争を終わらせるため、と言われているよ。」と言うと、知人は「その表現はおかしい。アメリカに戦争をやめる気はなかっただろ。」と不思議な顔をしていました。
私も米兵が見えなかった一人のようです。
「表現者」の締めの一文が恐ろしいほどの現実味を持っていると感じました。
Daniel says:
8月 23, 2017
主旨はちょい違いますが、アメリカ人って、少しも、何も反省してないって、思うのですよ。
私は、日系二世の娘さんに会う機会がありましたが、はっきり言って、彼女のことが嫌いでした。明らかに日本のことを馬鹿にしている。家では、日本語を使っているのですよ。でも、外部では絶対それを明かさない。
親御さん(日系一世)は、決してそんなこと(日本を馬鹿にする)は無いんですがねぇ。彼女が、自分で一本立ちをしているのならば、私も目くじら立てたりすることはありませんが、日本からの支援も含め、親掛かりで生活していながら、その態度。
アメリカ人とひとえにいえども、簡単ではありません。攻撃的なところが全くない心優しきアメリカ人(しかも若手)にも、何人も会いました。日本でいうところの、「オタク」な若手アメリカ人にも、結構会いました。「日本人は、シャイだ。」ということが、まるで罪悪のように言われていたのに、シャイなアメリカ人をたくさん見たのは、とても収穫でした。
彼らになら、広島や長崎の話をしても、きっと通じると思うのです。彼らの心の琴線に触れると思うからです。でも、残念ながら、私はそこまで話は及ぶに至らなかった。
本当に残念なことに、なぜアメリカが日本をそうまで敵視して、「太平洋戦争」に追い込んだのかということが、私のような者では、分りません。開戦原因が、まるで分らない。だから、何となく、その話題を避けてしまったのです。
佐藤先生、どうしてアメリカは日本を敵視して、あそこまで追い込んだんでしょうか。普通に同盟してればよかった相手なのに。(戦前日本の石油需要割合は、アメリカから約八割、蘭領東印度(今のインドネシア)から約一割、北樺太の日本石油利権から残りの約一割で、100%でした)
商売を切り捨てでも、アメリカは、日本を亡き者にしたかったんですよね。如何なる情熱をもって?
そうじゃなきゃ、私にも米兵が見えません。
SATOKENJI says:
8月 23, 2017
日系に限らず、移民二世は、アメリカ社会に適応しようとするあまり、
出身国の文化を拒否する傾向が見られます。
20世紀のユダヤ系アメリカ人作家の大きなテーマは、
「故郷の文化を重んじる一世と、それをことさら軽視したがる二世の対立」だったりするのですよ。
日米開戦への経緯については、私もさほど詳しくはないものの、
「第二次大戦でヨーロッパが大騒ぎになっているのを利用して、日本がアジアに覇権秩序を構築すること」
が許せなかったのではないでしょうか。
Daniel says:
8月 23, 2017
>日系に限らず、移民二世は、アメリカ社会に適応しようとするあまり、
>出身国の文化を拒否する傾向が見られます。
>20世紀のユダヤ系アメリカ人作家の大きなテーマは、
>「故郷の文化を重んじる一世と、それをことさら軽視したがる二世の対立」だったりするのですよ。
衝撃です。そんな背景があったとは。やはり私は軽率だった。
前にもどこかで記述したと思いますが、戦争を反省しようにも、なぜそれが起ったのかを、安易な教科書的ではなくって、これだ!ということがなくしては、論じられないと思うのです。
アメリカ人に対しても、彼らの教科書的な理解に、どれだけ日本側の主張が肉薄できるのかと。主張することそのものに意義があるわけではなく、どれだけ彼らの心の琴線に触れられるのかに、意義はあります。
・日米開戦への経緯について
佐藤先生が明確には分らないのであれば、私などに分る筈もありません。何と言っても、私では、頭脳が桁二つ(三つ?)は明らかに劣りますから。どなたに知恵を借りましょうか。(笑)
SATOKENJI says:
8月 23, 2017
陰謀説を鵜呑みにすることだけはやめましょう(笑)
Daniel says:
8月 24, 2017
先生!私は一応、陰謀説(ルーズベルトの陰謀だとか、国際共産主義の陰謀だとか)を決して鵜呑みにせず、自分の頭で考えようとしているからこそ、原因の究明が得られないのですよ。(笑)
真面目な話、アメリカが国運を傾けてでも日本を滅ぼさんとする動機が見付からないのですよ。ただ、今のところ、第一次大戦で日本が取得した南洋群島の分布が真の原因でなかったのか?くらいには考えています。
マーシャル諸島(ヤルート)、カロリン諸島(トラック)、パラオ諸島、サイパン諸島などは、ドイツから領有権を継承しました(中島敦の著作で雰囲気が伝わります)が、それって、米西海岸、ハワイ、ミッドウェイ、ウェーク、グァム、フィリピン、中国へと至る、アメリカの極東への黄金ルートを思いっ切り塞いでいるんですよね。
だから、それを扼する日本を削ってしまえと。
でもそれにしても、当時アメリカの主要交易ルートは、決して極東にあるわけではありません(大西洋が死活ルート)し、中国市場の独占をアメリカが図っていたとする証拠も特には見付かりません。
アメリカ極東艦隊を日本に派遣しようとも、このルートでは、直前で信濃丸に発見されたバルチック艦隊と違って、絶対に途中で日本海軍に見付かり捕捉されます。
制海権が必ずしも得られないのに、日本上陸軍を載せて太平洋を渡るなんてのも、正直、現実的ではありません。日本と友好善隣関係を図った方が余程良い。現に日本からは、友好を促す外交的姿勢が外務省から民間以下、次々と示されています(日本としても、米海軍と戦うのは得策でない)し、日本商船隊は、アメリカからの輸入に社運を賭けていました。それはアメリカの経済的利害を直接に反映します。
日本は当時、石油需要の八割をアメリカからの供給に頼っていただけでなく、他にも、工業製品(自動車その他)や技術を、アメリカからの輸出(アメリカ企業の黒字)に大分頼っていたし、文化的にも、ある意味、戦後よりもアメリカ狂いであった(ジャズが東京では爆発的ブームであったそうです)形跡もうかがえます。
ここでパッタリ分析が途絶えてしまうんですよね。誰かが、アメリカは結局、感情論に流されたんだよ、と言っていましたが、本当?と考えると、一向に腑に落ちません。
どなたかに本当に私の不明を教えてほしいものです。これは、柴山啓太先生か、或いは、中野剛志先生に尋ねてみるしか他なしかも知れませんね。
Daniel says:
8月 24, 2017
アメリカが日本を敵視しなかったのなら、日独伊三国同盟も、決して有り得なかったのですから。
豆腐メンタル says:
8月 24, 2017
佐藤先生こんにちは。
DANIELさんこんにちは。
横槍をお許しください。
どうも自制が効かなくて。
仮に先生のお許しをいただけるようであれば。。
以下の論に対するお二人の考察を知りたいと思ってしまいました。
私の好奇心に時間を割いていただければ幸いです。
農耕民族日本人の常識では見えてこないダイナミックさ。
力学的で刺激的と私は評価しています。
先生には無礼を改めてお詫びします。
この日本をどうする?(1) アメリカの西進(現代の後退のもとを作ったもの)
http://takedanet.com/archives/1013803939.html
▼予備
正義を知る001 アメリカの正義を知る-1
https://www.youtube.com/watch?v=Fn23QZkFmOw
▼BGM
https://www.youtube.com/watch?v=Uhn6KduyJHw
Daniel says:
8月 26, 2017
豆腐メンタルさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
はい、アメリカの西漸欲求は一通り理解しているつもりなんですよ。でも、それは何故?がサッパリ分らないのです。なぜそれが、Manifest destiny?
人間、山の向うに何があるかはやはり知りたいものです。だから幌馬車隊で西を目指した。平原を超え、山脈を越え、ゴールドラッシュもあって、遂に太平洋岸に達した。アラスカを買収し、ハワイを侵略し、グァムやフィリピンも、スペインから召し上げた。
でも、そっから先は、日本があり、香港(つまりイギリス)があり、ロシアやフランス(領インドシナ)がある。どうして、事業は一旦ここで已む、との判断にならなかったのか。例えば、石井ランシング協定では、日本の朝鮮半島の支配権と、アメリカのフィリピン支配権とを相互に承認しあうなどの確認が取れていて、日本は米権益に手を付けない約束を忠実に守っているんですよ。
蒋介石や毛沢東が、本当にロクでもない連中だったのに、なぜあんなに好きだったのかも、全く分りません。ヒットラーなんか霞むほどのワルですよ。ベトナムから引き上げるためだったとはいえ、キッシンジャーは、中国人民のためにも、目的は果したんだから、責任を取って自殺すべきと思います。
ワシントンDCのスミソニアン博物館には、ホロコースト記念館がありますが、ドイツだけでなく、ソ連や中国の悪辣な虐殺も特筆大書して「記念」すべきでは?と常々思っていました。
何度も言いますが、極東全般は、基本、日本にお任せで良かったんだと思いますよ。
まぁ結局、アメリカの大暴れには、今のところ、合理的理由が見当らない、というのが、合理的結論、といえましょうか。
豆腐メンタル says:
8月 26, 2017
西進は前提ですか〜。失礼いたしました。
でもなお残る疑問というのは私の想像を超えています。浅学の限界は早い。。
でも書き込んだついでに何か書いてみます。
ラリーで名を馳せた車で後輪から滑らせて派手に全損事故をしたことのある私ですが、スピンの間は正にアンコントローラブルで、デスティニー的でした。もう運を天に任せるしかなかったです。
「そりゃあんたの反応と技術がショッパイからさ」というのは横に置くとして、車の事故は怖い!と私の身体には刻まれています。以後すっかり安全運転になりました。笑
ところで、舵取りという意味で安全運転と安全保障は似ています。とりわけ、ハザードとリスクの違いが言われますね。
管理可能なリスクと管理不可能なハザード。
車の事故に例えるなら、車の剛性とか運転技術、スピードとか状況判断に関わる事柄は、「事故を起こさない、または被害を小さくするための管理」で、すなわちリスクです。
一方ハザードは「可能性への備え」です。当然、備えとなれるかどうかは事故の性格によります。マッハで走っているかもしれないし、狂った博士が運転しているかもしれないし、隕石が降るかも。ハザードは非合理です。
DANIELさんの問い、
>どうしてアメリカは日本を敵視して、あそこまで追い込んだんでしょうか。普通に同盟してればよかった相手なのに
を見た私は、合理ではなく非合理、つまりハザードのレベルなのではと思い先の横槍となりました。
太平な世だと見過ごされがちなハザードですが、国ともなるとグラデーションをつけて備える必要があります。個人なら「無力だ」で済むかもしれませんが。
先生の本稿アイズ・ワイド・シャットですが、
>ある人間の本質を知りたければ
>何を見たがらないか、
>さらには何が見えないかをさぐるべし。
の部分がハザードの視点を述べておられるように思います。
DANIELさん。改めてお付き合いに感謝いたします。
Daniel says:
8月 27, 2017
>太平な世だと見過ごされがちなハザードですが、国ともなるとグラデーションをつけて備える
>必要があります。個人なら「無力だ」で済むかもしれませんが。
この言葉を伺って、アメリカの日本敵視政策って、「ハザード」として、一種の「予防的先制攻撃」だったのかなぁと思いました。まぁそれにしても、イチャモン付け過ぎですがね。
とはいえ、こちらも、陸海軍両軍ともクーデター(五・一五事件&二・二六事件)を起すとか、シビリアンコントロールが利かなくて、大陸での陸軍暴走が止められないとか、国際的に面目の立たない事件を何度も引き起しているのですから、分が悪いという側面は、否定できません。
これって、今の反捕鯨運動と何処か似通っているところがあって、合理性と差別性とで、均衡が取れていないのです。アメリカその他が何で反捕鯨なのか、ちゃんとした合理的理由はないのです。
これは、数学者の藤原正彦先生が仰っているのですが、欧米は、一旦ドグマを決めたら、容赦なくそこに一切の理屈と行動とを嵌め込んでいく、容赦はない、って強調してらしましたが、本当にその通りです。藤原先生は、そうさせないために、時間稼ぎでもいいので、欧米相手には、危険なドグマに嵌らせないことが肝要だと仰ってました。
でも、国際的反捕鯨運動は、きっちり連中のドグマに嵌められてしまっているので、もうIWC(国際捕鯨委員会)で、商業捕鯨の再開を承認させるのは、無理だと思います。
だったら、IWCなど、さっさと脱退してしまえばよいと。現にカナダとアイスランドは既に脱退してますしね。日本主導で、新しい、例えば、「世界捕鯨委員会」とか適当に作って、商業捕鯨を再開して、捕鯨船団を組んで(昔は、捕鯨船団の構成について、必ず社会科で習ったものです。本当ですよ。横浜大洋ホエールズなんて球団もあったんです)、それを海自の護衛艦(海上保安庁の巡視艇でもいいですけどね。海保にも、すっごい船が二~三隻あるんですよ。昔、フランスからプルトニウムを運んできたガッチリした奴です。噂では、対潜水艦装備も完備しているそうです)で護衛するんです。
シーシェパードとか出てきたら、容赦なく撃沈すべきです。証拠が残らないように、船員も射殺して水底に沈めていいんじゃないでしょうか。それで「シーシェパードの船は何故か行方不明になった。」とか厳かに発表すればいいんじゃないんでしょうか。プーチンならそうするでしょう。現にロシアとかは、オホーツク海で普通に日本漁船を撃沈してるし、他の弱小国だって、中国漁船を撃沈しています。
でも、それって、国際連盟脱退の悪夢をついつい思い起しちゃうんですよね。一体どうすればいいんでしょうか。
私は、記憶が正しければ、中学一年生の時分まで、鯨が給食に出ていたと記憶しています。確か、竜田揚げと、ソースが特徴的な煮物でした。はっきり言って、旨かったです。とても好きなメニューでした。とはいえ、鯨肉の風味が好きでない子もいたので、給食時には、そういう子から、鯨を分けてもらって思いっ切り頬張っていたことを覚えています。まぁ、概ね、男子には人気の献立でしたね。
実はその頃は、スーパーにも普通に鯨肉が売ってて、こんな時代が来るんだったら、あの時買い占めとけば良かったのにと思うくらい。
(閑話休題、これは小学生時分ですが、男子は馬鹿なので、先生がいないとき、給食で牛乳早飲み大会とかやるんですね。何とそこで、二秒で牛乳瓶を飲み干す奴がいて、これは幾ら何でも俺では勝てない、と舌を巻いた覚えがあります)
まぁともかく、何かこれと似ているんですよ。気に入らなきゃ、勝手にドグマを作って、それに現実を思いっ切り嵌め込む。嵌め込んだが最後、一切の容赦なく、徹頭徹尾その枠内でカチこむ。妥協は一切ない。人権だって何のその、相手が殲滅されるまでやる。悪いのは、全部相手。
この不毛なロードから、どうやって脱出すれば良いのでしょうか。皆さんの、どなたかのお知恵を借りたいものです。
Daniel says:
8月 27, 2017
>この不毛なロードから、どうやって脱出すれば良いのでしょうか。
先生も、何卒どうかお知恵拝借と思います。私の考え方の筋道がおかしいんであれば、お叱りいただいて結構です。まぁでも、そんな義理などない、と言われれば、それまでですけどね。
でも、これは、皆で考える価値があると思うものだと思うんですよ。違いますでしょうか。
SATOKENJI says:
8月 27, 2017
>欧米は、一旦ドグマを決めたら、容赦なくそこに一切の理屈と行動とを嵌め込んでいく、容赦はない
そのような傾向が見られるのは事実でしょうが、
欧米といえども御都合主義と無縁ではありえません。
つまり、どのドグマを前面に押し立てるかについては、実利をまじえた計算が働くはずなのです。
というわけで、こちらに不都合なドグマを抑え込み、
こちらに都合の良いドグマを引き立てる行動戦略は可能ではないでしょうか。
ただし昭和初期の場合、アメリカ側のドグマをどうこう言う以前に
自国の中ですら、「軍の統制はつねに守られるべし」というドグマを維持できなかったり、
「大陸に日本の覇権を確立すべし」というドグマを抑え込めなかったりしたのが
敗因として大きい気がしますね。
のみならず戦時中の日本には
「八紘一宇・アジアの解放・自存自衛・鬼畜米英」などのドグマを決めて、
そこに一切の理屈と行動をはめ込んでゆく
という、じつに欧米的な傾向まで見られました。
つまり藤原先生の指摘が、どこまで欧米固有のものかは少々疑問でもあるのです。
Daniel says:
8月 27, 2017
ううむ、、成程。。
>というわけで、こちらに不都合なドグマを抑え込み、
>こちらに都合の良いドグマを引き立てる行動戦略は可能ではないでしょうか。
見極めの問題でもありますが、確かに、それは大いにありですね。余り成功例は思い出せませんが、でも、アメリカにポーツマス条約を主導させたりとか、これは戦後の例ですが、今の日米原子力協力協定(プルトニウムの濃縮を日本に認めさせたりとか)のことを考えてみれば、丸っきり不可能というほどでもありません。
謀で相手を撃つ、というのは、孫子の兵法でも、かなり上等の部類です。
>ただし昭和初期の場合、アメリカ側のドグマをどうこう言う以前に
>自国の中ですら、「軍の統制はつねに守られるべし」というドグマを
>維持できなかったり、
>「大陸に日本の覇権を確立すべし」というドグマを抑え込めなかったり
>したのが敗因として大きい気がしますね。
ここは、本当に弱いところですね。理由はさておき、軍の統制が守れなかったのは、本当に拙かったと思います。国家の信用を根本から失うと思います。今の日本でも、防衛強化は必要ですが、文民統制の問題は、余程気を付けないといけないのではないかと。
>つまり藤原先生の指摘が、どこまで欧米固有のものかは少々疑問でもあるのです。
私の父は、戦後生れのくせに、ほろ酔い加減になると、いつも、「欲しがりません、勝つまでは。鬼畜米英。」と唱えて、戦後第二世代たる私達兄弟を困惑させていました。あれは一体何だったのか、父に尋ねてみたいものです。もう訊けませんが。妹なんか、その口真似をさせると、天下一品、父にそっくりで大笑いです。でも本当は、父も良く分らずに何故だか体に染み付いたものだったのでしょう。
要は、戦後生れの父をも洗脳するくらい、戦時のドグマはきつかったということでしょう。これ、今のゆとり以降の世代には、想像を絶することでしょうが、私達は、中学校では、授業時間のほとんどを、始業式、体育祭、文化祭、球技大会、合唱コンクールその他の集団行動の練習に充てられていて、まともな授業時間を先生方から取ってもらえなかったのです。
いい加減にしてもらいたいと考え、証拠を集めようと、私は、どのくらいの授業時間を集団行動の練習に奪っているのか、統計を集めたことがあるんですよ。驚くなかれ、50%弱の授業時間が、そのために潰されていたのです。教科書やノートその他を持ってきたって、使わずに一日終ってしまうなんてのも、ざらでした。そして当然、その集団行動で、統制を乱せば、人格が歪むくらい怒られます。
私は遺憾ながら音痴なので、歌が上手く歌えず、満座で教師に叱られ、且つ嘲笑されたのを、今でも鮮明に覚えています。
日本人として、集団行動の練習が大事なのは、私にだって分ります。けど、ここまで来れば、一種の虐待ではないか。ある時、先生に、学校なんだから、ちゃんと授業をして下さい、とデータを添えて本気で訴えたのですが、鼻で笑われて終りました。今なら、教育委員会で大問題になるレベルでしょうが、その頃は、それが当り前だったんですね。
今思うと、公立を避けて、頑張って勉強して、私立の進学校(通学するには遠いんですがね)にでも行けば良かったんですが、そういう選択肢が可能だとすら、認識してなかったんです。
だから、高校に進学した時は、これで地獄からはおさらばだと、心底ホッとしたのを覚えています。先公(この言葉を使うのも本当に久し振りだな)からは、内申点から見て、私の希望よりツーランク低い高校への進学を薦められていましたが、私は出来うる限りの自由が欲しかったので、絶対に首を縦には降りませんでした。
縦に振っていたら、今はない。
内申点は、教師が生徒を支配する道具に成り果てているので、私が仮に文部科学大臣だったら、即座に全廃させます。客観評価オンリーにする。中学校の同窓会にも、絶対に行かない。行ったら、ふとした弾みで怒り狂って、大暴力を振るいそうだから。嘗ての担任を見たら、理性が狂って、腕とかへし折りそうです。その担任は、剣道家として鳴らした口ですが、絶対に負けないよう、私もその後、鍛えてきた積りです。
済みません、、つい感情が溢れまして。共謀罪で捕まりませんよね。
私が何が言いたいかというと、要は、戦後40年経っても、日本の田舎の公立中学校では、嘗ての陸軍内務班の教育そのものだったということです。恐らく尋常小学校が国民学校になった辺りから、教育現場に持ち込まれた「経路依存性」だったのではないかと。公平に見て、丸っきり意味がなかったとまでいう気はない。けど、明らかに、手段が目的と化していたのです。
だから、愛する日本を良く思いたい、という欲求を捨てて、佐藤先生の指摘を肯んじます。私自身が実例ですものね。
そう、確かに、あのドグマは、本当にきつかったです。