「ディーモン 悪魔の受精卵」(原題「神のお告げ」)のラリー・コーエン監督は、

低予算ながらも、

知的な内容のホラー映画を多数発表した人物。

 

最大のヒット作は「悪魔の赤ちゃん」(それでは、みなさんご一緒に──「お前がまず産め!!」)ですが、

「ディーモン 悪魔の受精卵」は彼の最も野心的な作品と言えるでしょう。

 

舞台はニューヨーク。

ここで奇怪な無差別殺人事件が次々に起こる。

どの場合でも、犯人は逃げようとせず、

「神のお告げでやったんだ!」と言って自殺してしまうのです。

 

捜査にあたった刑事ピーターは、やがて驚くべき真相に気づく。

なんとニューヨークには、「神」が来臨していたのです!

 

この「神」、UFOを目撃した女性が、処女懐胎で産み落としたというミュータント。

それが富裕層に「世界を救済するための計画」を吹き込み、無差別殺人を引き起こしていたのでした。

 

神であるからには、世界にひそむ悪魔を倒そうとしているに違いない。

しかし実際にやっていることは殺戮(さつりく)なのです。

それが「悪魔を倒す」ことの代償かも知れません。

 

とはいえ「日本経済の悪魔を倒す」ことの代償が、

社会的な格差の拡大や、

中間層の没落、

生活苦による治安の悪化や自殺者の増加、

あるいは地方の疲弊だったらどうしますか?

 

「悪魔を倒す」発言で、引っかかるのはこれなのですよ。

現在のシステムの問題を「絶対悪」扱いすることは、

自分の正義を絶対化することによって、

目的達成のためならどんな代償を払っても良いという結論に行き着きます。

 

これについては、「国家のツジツマ」第一部で

「病理と共存するという知恵」として論じましたので、

詳しくはこちらをご覧下さい。

 

経済政策としての「第三の矢」のよしあしについて、

ここで論じるつもりはありません。

 

私の関知するかぎり、経済学は神や悪魔とは無縁のもの。

より合理主義的な世界観に立脚しているはずだからです。

 

そして政治において重要なのは、言葉を的確に使うこと。

経済政策をめぐる話であろうとなかろうと、

オカルトやホラー映画まがいの言葉づかいをしたら、

その文脈で論じるのが筋なのです。

 

ところが!!

 

ホラー映画の文脈に従っても、

「日本経済の悪魔を倒す」発言にはとんでもない問題があるのです。

 

これについてはまた明日。

ではでは♬(^_^)♬