歴史における決定的瞬間というものは、

じつは二種類あります。

 

第一は、国や社会に巨大な影響を与える事件が起きた瞬間。

これは分かりやすいですね。

 

ところが第二の決定的瞬間はもっと微妙。

すなわち、

〈第一の意味における決定的瞬間〉の到来が不可避になる瞬間

なのです。

 

こちらの意味における決定的瞬間は、

何気にさりげないというか、

あんがい目立たなかったりする。

 

けれども、その瞬間を通り過ぎたあとは

もはや引き返せないのです。

 

アメリカの作家ウィリアム・W・ウッドワード

ジョージ・ワシントンの評伝において用いた表現を借りれば以下の通り。

 

真の危機というものは、

どうでもいい出来事のようにしか見えない場合が多く、

ゆえにしばしば、危機と認識されることなく終わってしまう。

 

さて。

今日は大阪都構想をめぐる住民投票の日です。

 

多くの方々が指摘されている通り、

構想が可決された場合、

それは大阪市にとって

第一の意味における「決定的瞬間」となるでしょう。

 

しかし日本全体にとっても

第二の意味における「決定的瞬間」となる可能性が高い。

 

なぜか?

 

「大阪都構想とフランス革命」で述べたように、

今回の住民投票は

〈理屈の上ではやって構わないが、道義的な制約を考えた場合、実際にはやってはいけないこと〉

に該当する恐れが強いのです。

しかも、いったん可決されたら後戻りができない。

 

つまりは

人々の支持さえ得られれば

〈正当性が疑わしく、かつ取り返しのつかない選択〉をしてもよい

という前例が生まれることになる。

 

大阪に住んでいないから関係ない、ではすまされませんよ、これは。

 

三橋貴明さんは昨日のブログで

住民投票で賛成多数となった場合、その先の日本はどうなるのか

という趣旨のことを書かれましたが、

まさに今日は、二重の意味で「決定的瞬間」となるかも知れません。

 

大阪市民のみなさんが、賢明な選択をすることを期待しましょう。

ではでは♬(^_^)♬