それでは、
残念司会®の擁護まいります。
「残念司会®の擁護」とか言うと、
近代フェミニズムの原点となった
メアリー・ウルストンクラフトの著書
「女性の権利の擁護」(1792年)みたいですが、
とくに関係はありません。
とりあえず。
「女性の権利の擁護」については、
「オスカルとアントワネット part2」(7月16日配信)をどうぞ。
さて。
先の討論番組
「異変? 日本文化の現在」
における残念司会®の言動には、
遺憾ながら、たしかに残念なものがありました。
残念だよ、イカンなあ・・・
という感じで、
「遺憾」と「残念」が自動的に増殖しそうな残念さ、
と申せましょう。
ついでに議事進行を仕切るべき立場という点からして、
フェア(公正)とは言いがたいものがあったのも事実です。
本サイトに寄せられたコメントにも、
この点を批判するものばかりでした。
私のお気に入りはこちら。
ENDOWさんから寄せられたものですが、
いわく!
困ったとき、男は怒ってごまかすか、笑ってごまかすかだ。
残念司会®は前者で、「手袋を拾わなかった男」®は後者である。
あの場面には、男の生きざまがみごとに体現されていた!
さすが日本文化チャンネル!!
なるほど、まさに日本文化の現在だ。
じゃあ、異変は起きていなかったということでいいですか?
ENDOWさんのコメントは、
「笑って逃げろ!」(7月15日配信)でご覧になれます。
(※)この箇所、7月16日配信となっていましたが誤りでした。お詫びして訂正します。
それから、日本の男の生きざまを体現した名場面 はこちらをクリック!
だいたい30分目から、43分目ぐらいまでにかけて展開されます。
・・・話を元に。
ENDOWさん、
キツい真実をウィットにくるんで表現しているわけですが、
ネットではキツい真実がむきだしのまま並んでいたのも、
これまた偽らざる現実。
残念司会®と私のやりとりについて、
「(残念司会®)木っ端微塵」
「(同)大敗北www」
などと書かれていましたからね。
上記二つは、ともにニコニコ動画に来ていたコメント。
検索すれば見つかります。
それはまあ、事実はそうだったかも知れない。
しかし「自信と優しさにあふれた男」®(©Saya)として、
私は残念司会®を擁護したいのであります。
それがわれわれの中の「戦後レジウム」というものであります・・・って、違うか。
というわけで、
擁護に入りたいのですが、
長くなったので続きは明日!
ではでは♬(^_^)♬
1 comment
buttmedd says:
7月 21, 2014
佐藤さんはじめまして。いつも興味深く拝読しています。
20日付の「投影(プロジェクション)」、強い共感を覚えました。
残念社長氏は東谷暁氏にも、西部邁氏にも、そういう「おもらし的」態度をみせています。
かつて多作を誇り「淫乱」と仇名された怪物ならぬ快物も要はお年を召されたのだと思ってましたが、
「投影」とは佐藤さん、お優しい方ですね。老人扱いしていた意地悪な自分が恥ずかしいです。
桜局が他に類を見ない良質な番組を数多く制作して来た功績には心から敬意を持っています。
しかし第2次安倍政権誕生以降、ミズスマ氏のミズスマ氏による「国民のための」放送局が
「ミズスマ氏のための」放送局に成り下がっているように懸念されてならないです。
討論の司会などもうとっくに例えば上島氏のような分別ある人物に任せてもいいように思うのですが、
それがなかなか出来ないでいるところに、監督・脚本家出身らしいミズスマ氏の細部にわたる執着と、
呉智英氏曰く必要悪の政治にいささか深入りし過ぎたことから来る焦燥と疲労とが感じられます。
少しでも放送が長く続いてほしいので、尚のこと気を揉む次第です。
今回の記事でひとつ気になった点があります。
佐藤さん。「生きざま」は誤用ではないでしょうか。
「死にざま」ならちゃんとした日本語だと思いますが「生きざま」なんて日本語があるのでしょうか。
かくいう自分自身、誤用に満ちた生活しているに相違ないし、
金田一春彦先生的ではない旧套な指導がいまの時代と会わないだけかも知れないので、
あまり強弁するつもりはないのですが、
討論で「ことば」をないがしろにしてはいけないと主張された佐藤さんに思わず拍手した私としては、
佐藤さんにこそ世間の誤用(?)に抵抗を示してほしいと思い、おそるおそる蛇足を試みました。
長文、失礼しますた。と施さんを真似ておわります。