新年度になりました。
ちょうど一昨日、病院に外来で行ってきたのですが
そこでも看護スタッフの入職式が行われていましたね。
私も厄落としをかねて
病院の美容室で、髪をバッサリ切ってきました。
さらばポニーテールです。
いずれ画像をアップしますので、お楽しみに。
それから三橋貴明さんが
ご自身のブログで取り上げて下さっています。
ありがとうございます!
タイトルは「政治的なキッチュ」。
みなさんもぜひご覧ください。
・・・さて。
新日本経済新聞でおなじみ、青木泰樹さんの本
『経済学者はなぜ嘘をつくのか』が
先月、アスペクトより刊行されました。
メガネに灰色のスーツ姿という「経済学者」が
カバーにしっかり登場し、
書名通り「嘘」をついてみせるという
ポップな装丁の本ですが
内容は本格的。
文章は平易ですが
読み応えのある、充実した一冊です。
この本については
いずれ新日本経済新聞のメルマガでも
じっくりご紹介するつもりですが
本日、考えてみたいのは
経済学者はなぜ嘘をつくのか
という書名の持つ含意について。
ご存じのとおり、
政府は目下、
「国際金融経済分析会合」を開催、
ジョセフ・スティグリッツや
ポール・クルーグマンといった
欧米の経済学者から意見を聞いています。
しかるに印象的なのは、
これらの経済学者が
消費税の10%引き上げに否定的だったり
財政出動の必要性を説いたり
マイナス金利政策の限界を指摘したりと
非常にまっとうな見解を披露していること。
三橋貴明さんも、ブログでこう慨嘆しています。
スティグリッツ教授にしても、
クルーグマン教授にしても、
外国人の方が「日本の経済」について適切な分析、提言をしているのは、
まことに情けない限りです。
日本で発言力が大きいのは、
財務省の飼い犬である財政均衡主義者、
今回、明確に間違いが明らかになった「デフレは貨幣現象」派、
そして特定企業のビジネス拡大を欲する構造改革主義者と、
この三派しかいません。
となると、青木泰樹さんの提起した
経済学者はなぜ嘘をつくのか?
という問題も、
ちょっと読み替えねばなりません。
すなわち、
欧米の経済学者は、なぜ本当のことが言えるのか?
または
日本の経済学者は、なぜ嘘をつくほうが発言力が増すのか?
青木さんは本の中で
経済社会学という学問ジャンルを確立する必要を説いていますが
ここにはたしかに
経済学の枠内では説明しきれないものがあります。
つまりわが国では
1)日本人の経済学者からは、もっぱら新自由主義的な嘘を聞きたがり、それに応じない学者は無視する。
2)欧米人の経済学者ならば、本当のことを語っても、おとなしく聞いて受け入れる。
というダブルスタンダードが成立しているとしか思えないのですよ。
・・・日本人ごときが本当のことを言ってはいけないわけですな。
けれどもこの構図、どこかで見たおぼえがありませんか?
そうです。
『戦後脱却』で論じた、キッチュそのものなのです!
さしずめ新自由主義キッチュ。
それが欧米コンプレックスと結びついているというところでしょう。
経済学者はなぜ嘘をつくのか。
あるいは、日本の経済学者はなぜ嘘をつくほうが発言力が増すのか。
このメカニズムを解明し、
脱却してゆかないことには
繁栄の維持は難しいと言わねばなりません。
青木さんの提起された問題には
きわめて奥深い意味合いがあるのです。
ではでは♬(^_^)♬
6 comments
ベッラ says:
4月 3, 2016
「日本人ゴトキが」って日本人が思っているところ、これっていつのまにこう固まったのでしょう。
自虐史観が大好きになった日本人、誇りを失った日本人・・・。
佐藤先生、また髪を伸ばしてください。どちらもお似合いでしょうけれど。
今日も鋭い佐藤先生。
私は安倍さんのこと、もう不安です。
Daniel says:
4月 3, 2016
衝撃です。情けないです。
1)日本人の経済学者からは、もっぱら新自由主義的な嘘を聞きたがり、それに応じない学者は無視する。
2)欧米人の経済学者ならば、本当のことを語っても、おとなしく聞いて受け入れる。
私は、安倍総理のことは、自民党が政権を失う前の第一次内閣発足当時から、(多くの保守言論人と全然違って)全く信用していなかったのですが、(恐らくは)財務省の反対を踏み切って、スティグリッツ教授やクルーグマン教授を呼んだ官邸のことは、最低限、評価します。誰が仕掛人だったのかは分かりませんが。
私は、佐藤先生のように、戦後日本に、恐らくは最も必要であった筈の、該博な文芸を見抜くような能力は残念がら全くありません。学徒動員で、優秀な文系学生が大量に亡くなって以来、本当は長い目で見て、戦後日本に必要だった、文系的な透徹力が、ようやく佐藤先生ほか多くの同志的な方々によって70年の時を経て、醸成・復活されていったものかもしれません。
それが、遅過ぎなかったことを、心から祈ります。
でも、1)、2)がなぜ生じうるのか、徹底的な分析と、それに基づく反攻作戦とを立案、実行せねば、日本は本当に終りです。私も、微力を尽したいと思います。
ところで、財務省は、「藤井番」、「三橋番」のような担当を、例えば「スティグリッツ番」、「クルーグマン番」という形でも置いて、いつでも彼らの言説を論難できるような態勢は、取っていないのですかねぇ。その結論によっても、色々と分かることはありそうです。
アイラ says:
4月 3, 2016
三橋さんも国民の安全保障のためには憲法解釈を変えて集団的自衛権を認めても構わないというキッチュに毒されているのではないでしょうか。
「現実には憲法違反だの戦争法だの、抽象的な方向に話が進んでしまったのが大変残念」
憲法違反であるということを指摘することが抽象的であるという思考が私には理解できません。
SATOKENJI says:
4月 3, 2016
キッチュの条件は
1)明らかに無理があるタテマエを
2)〈みんなが共有しているはずだ〉という点を根拠に「崇高にして達成可能な、美しい理想」のごとく絶対化し、
3)そのような姿勢を取るうえで都合の悪い一切の事柄を、汚物のごとく見なして排除したがること
です。
カギカッコ内の言葉が三橋さんのものだとすれば、上記三条件を満たすものとは言えません。
詳細は『戦後脱却で、日本は「右傾化」して属国化する』をどうぞ。
http://www.amazon.co.jp//dp/4198640637/
ホワホ says:
4月 3, 2016
日本の経済学者でも、菊地英博先生や宍戸駿太郎先生に青木泰樹先生のように
召致されて意見を述べる機会がそれなり以上に有った例もあるので
今回の投稿に関しては「?」という感じもします
この場合の「聞き入れられる」と言うのはどういう場合を指した物でしょうか?
Guy Fawkes says:
4月 3, 2016
以前に先生が仰っていた「日本人は褒められると丸呑みして鼻の下を伸ばすが、批判的な事は顔を真っ赤にして激高する」
という法則?が経済政策では真逆になっている…
何というか「日本は先の大戦で負けたフリをしていただけなんだ!」などの言葉にみられる、
「日本は本当は反省などしていない、謙虚さも上辺だけの偽りだ。何故なら主体性を他国・他者に丸投げしているからだ!」
というキッチュにしてBADな本質が如実に現れているとしか思えません。
(今更こんな事は佐藤先生にはお釈迦様に説法というものですが…)
自身の正当性を訴えたい、しかし責任は取りたくはないから自身の主体性は他所様に丸投げしたい。
これは何というダブルシンク(二重思考)なのでしょうか?(苦笑)
…尤も、おとなしく聞き入れているかどうかも怪しいものですが。
「もし自由に何らかの意味があるとするならば、それは相手が聞きたがらないことを相手に告げる権利をさすのである。」
−ジョージ・オーウェル 『オーウェル評論集』より